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生きづらさについて考えてみた

https://note.com/kawaijun/n/n0ee19670b7fe(前の記事はこちら)


生きづらさ因子6つの後半部分は


自己評価の低さ
精神的な健康の問題
経済の不安

であり、これは自分自身の今置かれている状況や社会で関わる中で、うまくいかない状況が重なって常態化しているのだろう。または、生まれた時の家庭環境の問題に根差した深い悩みかもしれない。


自己評価の低さは、先天的なものもあるが、環境に対する絶望感が、後天的に精神に影響されたものとするならば、環境がもっとより良く変化すれば自己評価は上がっていくかもしれない。


自己肯定感を上げれば自己評価も上げることは可能かもしれないが、自己肯定感に対する解像度が荒いと、自己肯定感を上げる過程で他人のエネルギーを奪いかねない恐れがある。
自分が辛かった時に何かのきっかけで、めちゃくちゃガンバったことで自己肯定感バク上がり時期が訪れた時、過剰に他人を見下している時はなかっただろうか。


自分はこれだけ頑張ったから今があるんだ、頑張らない奴が悪い、という自己を過剰に評価し、他己を過剰に低評価する。


ある意味、見方によっては正解のように聞こえるが、厳密にはジャッジする基準なんてものは存在しないかもしれない。
冴えない男が飲み会に来て、よく見たら高級時計をはめていて、よくよく聞いたら資産家だったのを聞いて、見る目が急に変わったくらい、脳は上っ面の情報の刷り込みで右往左往しているだけかもしれない。


ここで強調したいのは、そういう人間が無意識にしている浅ましいジャッジではなく、そういう人間の集団に運悪く属してしまった繊細さの不幸である。


繊細さんの繊細さが攻撃的になって誰かを攻撃する繊細性も厄介だが、対人関係において私利私欲しか見えないくすんだ感情を察知することに敏感になれば、何も言うことができない繊細さんはもろに環境の影響を受ける。


自分の主張を言葉に発して言う能力が繊細さんにないのではなく、会話がどこまで続いたとしてもネゴシエーションの延長だと諦めを持っていると仮定したならば、そんなことに付き合ってたまるかという頑固さに起因したプライドかもしれない。


現実は討論番組における議題のやり取りのように、結論が出なくても時間内で終われるエンターテイメント空間のような環境ではなく、井戸端会議で起きるルール無用の同調圧力合戦に参加させられた日常にいることを悟っているのかもしれない。


そんな環境を手探りで進んでいくくらいなら、ボンタン短ラン剃り込み連中や「顔はダメだよ、ボディにしな」連中に出くわさなければ平穏な生活を送れる日常のほうがまだマシかもしれない。

                          今日は寝ます。


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