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人間の機微 知識と教養の違い

Youtubeにアップされている多くの動画が10分前後の尺だ。

この短さでないと再生数を稼げないのだと言う。

見るものがたくさん有り過ぎて1本を長く見ていられないのは理解できる。

が、しかし、アホな事でも有る。

長文を読めない様になってしまうのはアホ。

長い時間集中して観られないのはアホなのだ。

どんどんアホ化が進む。


先月、8年近く続いた「虎ノ門ニュース」が終了になってしまった。

週に5回、毎回2時間の報道番組だったが、殆ど毎日欠かさず見ていた。

正直言って、週に5回2時間の動画を見るのは大変だった。

大変だったけれど、どうしても見ようと思うのだった。


短い動画に慣れ過ぎてしまって、2時間の映画が見られなくなっている人が多いと聞く。

アホになると思う。

たまには集中して2時間じっくり見るマインドを持っていないと、

色々な事を考えて生きていられなくなってしまうのではないだろうか。


「で、結局?」

「要するに結論は?」

というのは知識のみを追いかける愚かな行動。

知識ではなく、教養を身に着けるべき。

知識と教養は大きく違う。全くの別物。

人の話を聞く場合、その人の話し方、間合いの取り方、表情や、言葉を選ぶ過程、

いわゆる「行間を読む」ことで多くの事が伝わって来て、多くの事を学ぶことが出来る。

例えば「資格」を取ってもそれだけでその仕事が出来る訳ではない。

結局は長くやって経験を積まなくては「きちんとした」仕事は出来ない。

人に同じ事を言うのでも、言い方や表情や言葉の選び方で相手の受け止め方が大きく違ってくる。

正しい事を言っても言い方が横柄なら理解されない。

知識というのは後で、「あれなんだっけ」と言ってその場ですぐ調べられる。

けれど、教養は長い時間をかけて身につけるもの。

平たく言うと時間をかけなくては身につかないということ。

昔、まだ若かった頃のホリエモンが、

寿司屋で10年修行するなどばかげている、

短期間で知識を覚えてやれば良い、という様な事を言っていたが、

やはり経験を積むと積まないとでは大きく違う。

10年に一度くらい来るとんでもない客の扱い方は、

40年のキャリアが有るマスターなら4回経験している。

こういう人間の機微は時間をかけた経験で養うものだ。


勉強の為にYoutubeを見るのなら、自分と波長が合う人を探して、

その人の動画を早送りせずに見るのが良い。

波長が合う人というのは、早送りしなくても見ていられる人だろう。

これは生身の人間にも言える事で、友達は人数がたくさん居るのが良いわけではなく、

波長の合う1人居れば良いのだ。

その人と会っている時はスマホを見たりしないで向き合っていられる人。

そして、自分も人間の機微を学んで、スマホを見ずに会っていてもらえる人にならなくてはいけない。

週に何回かは、2時間集中する時間を持つようにしたいものだ。


そういうわけで、ここはひとつ、寅さんの映画でもじっくり2時間見てみましょう。

寅さんは「人間力」のお手本です。

男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け (第17作)




暑いのに大変でごわすね

だいじょぶだぁ

はずかしい修行

死がふたりを分かつまで

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