プライドが満たされないと怒るのが人間だと感じている小学生の頃からのエピソードトーク
こんにちは、元気がない可愛唯です。
義務教育で道徳や学級や総合といった授業ありましたよね
低学年の時はお友達にやさしくしよう、中学年からは人と協力し合うこと、高学年になると反戦についてなど
ともかく、これらに共通して言えることが「他人に優しくしよう」と「他人に嫌なことをしない」なんですよ
傷つけてはいけません。なんなら、思いやりましょう。
しかし、大人になるたび思うのですが優しい人たちって損していませんか
思いやる人より傷つけたり、蹴散らす人の方が評価されるし
強い女の子ブームなんて嫌だった。
女の子が身を守るために強い言葉を使って、ガールカッシュな服を着て、強く魅せる文化。
今でも廃れていないし、それが始まった時はその文化をいち早く取り入れた人が評価されていた。
羨望の眼差しで見られて、真似する女の子も多かった。
刃物を振り回している姿がかっこいい!なんて、いつか誰かを傷つける恐れがある姿の危うさを評価される
ヤンキーかっこいい!自分もオラついて闊歩しようだけならいいけれど…そこにカツアゲしたり暴行のアクセサリーが入ってくるとカッコよくないのに、自分を強く見せる方がかっこいいと思い込んで大人になって後悔するパターン。
散々、戦うな!他人に優しくしなさい!と教えられても義務教育は所詮通過点であり、自分がいざ傷つけたり傷つけられたりしてリアルを体感して学んでいきますよね
でも、そうやって教えを説いていた大人たちは戦っていたし、強く魅せるのに必死だったし、生徒を弱い者扱いして傷つけまくっていた。
こういう大人のプライドの高さを見透かしていた私はきっと態度に出ていて、その可愛げのなさから先生からの当たりはキツかったです。先生をヨイショする生徒の方が可愛がられていましたよね、私はそういう処世術も持ち合わせていなかった。それに、大人のプライドが複雑でいつか誰かを傷つけるものだと分かっていたから怖くて必要最低限の関わりしかしない。
わさわざ、プライドを満たすことも下げることもしなかった。
さっきまで「他人に優しくしなさい〜…」とか言っていた教師が私の挨拶をスルーしてきてびっくりしたことがある。挨拶とお礼と謝罪はするけれど、チヤホヤしなきゃならないのかぁって。
それに、担任を持っていなくて保健体育の授業の女性の先生がたかがクラス30人の中の一人であって、話したことも無いのに遠くから「唯ちゃんその髪型変だよ!自分のこと可愛いと思ってそう!赤ちゃんみたい!」
と大きく強い口調で言ってきたことがあります。
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