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ワタシィ?

うむ、うむ、良い天気の午前中だ。
では中学生時代から始めようか。

中学生の悩み

私は小学生の時と同じように賢いフリをし続けた。
授業中はしっかりと授業を聴いて、ノートをとって、わからないところは先生に聞く。そうすることが正しいと思っていたし、『チャレンジ(進研ゼミ)』にもそう書いてあった。
中学校に入ると『休み時間』は準備の時間になり、空想・冒険の時間は減った。それでもいつも私はふわふわしていたし、水泳もきらいじゃなかった。
あるときから授業の内容がすこしずつ、わからなくなる。わからなくなることにも気づけないまま、すこしずつ、すこしずつ、なぜだかはいまだにわからないが、たぶん、少し授業中に空想をしてしまったことが原因じゃないかと思う。話を聞けないことが重なると、あの頃の勉強は、すべての基礎であるから、すこしわからなければ、それが全てのわからなさの素になる。わからないが積み重なる。でも自分では気づいていない。
ではどう発覚したのか。テストである。あれは、良いシステムだと思う。当時は好きではなかったが。テストは文字通り授業に追い付いているのか、理解しているのか、それらがはっきりとわかる。また点数の悪いものはテスト返しの際にさらし者になる。数学のソレによって、私は気づいた。「私が賢くなくなっている」

「私が賢くなくなっている」

それはそれは衝撃だった。だって私は賢い者だと思っていたから。
原因は勉強不足だろうか、部活のしすぎだろうか、あまり遊んではいなかったから、部活なのであろう。そうだろう。……

ショックを受けて軽く落ち込んだのを覚えている。自分は部活で華々しく活躍するタイプの熱血主人公ではないと思っていたから、だったら頭で打ち勝つタイプのクール主人公だと思い込んでいたからだ。だって部活でも全然成績を残せていないどころか、初心者なので、コートに立つことすらまれだったのだ。自分は、主人公ではない…?自分は、自分は?

いいや、まだだ。自分は勉強をそこそこに、部活に打ち込んだ。まじめにまじめにまいにちまいにち、雨の日も風の日も部活がある日もない日も、ひたすらに願い、がんばった。自分は主人公なのだと。いつかできるようになるはずなのだと。
勉強クールタイプの主人公じゃないなら熱血運動タイプの主人公に、ということだ。あほかと言いたくなるが、そういうものだから、しょうがない。

頑張りに頑張ったが、最後まで報われなかった。最後というのは、つまり、引退まで。三年生になるまでにキャプテンに立候補して意地でも主人公に食らいついたが、副キャプテンに落ち着いた。あの世界は、私には遠かったのかもしれない。引退のときは、泣いた。自分の不甲斐なさに、他の子と自分のセンスの違いに、スポーツの難しさに。まあ他の子の努力量に追い付いてもいなかったのかもしれないが。思えばこれが、自身の無力さに泣いた初めての経験のような気がする。記憶に残っている限りでは。
最後まで、「『主人公』にはなれなかった。」と、そう思っていた。

「てめーは私を怒らせた。」

ちょうどその辺り、中学三年生夏の三者面談。先生と親と私との三者で私の将来について面談をするというもの。
そこで担任の先生は、偏差値の高い、県内トップレベルの高校を志望する私を鼻で笑った。私の高めの志望自体は、自身の素質についての高い自己評価からして当然であるが、あろうことか先生は自身の受け持つ生徒の希望を鼻で笑いおったのだ。私はもちろんのこと、母もカチンときた。

やってやろうじゃないか。

三年生の夏は塾(予備校)に通う毎日だった。学年で100位弱、中間層になり果てていた自分を変えるために。鼻で笑った先生を見返すために。

夏休み明けの学力テストでは、あまり覚えてないが、学年8位とかにまで上がった。その次の統一テストでは、学年2位にまで上がった。

高校入試も、自己採点で落ちることを感じて泣きそうだったが、ぎりぎりと思っていたが、普通に低くない点数で受かった。

この成功体験。やはり私は勉強に生きる主人公かもしれない。だって合格までにドラマがあったから。落ち込んで、また這い上がったから。

その青春

そういうわけで高校に入ってからも「主人公病」は続くことになった。ただ、世間の激風を受け、強大さを知り、それに対する自身の弱さにスポットが当たりはじめていた点は、前までとは大きく違うところだった。「今の自分に無いものは、無いのだ。」ということに徐々に気づいていったのだ。
そして、下手に世間を知り始めていたから、自分は主人公でありつつも、世間に流されることも当然にあるということを自覚しようとしていたようだった。というよりも、ただ流される高校時代だったとでも言うべきだ。

流されるように部活に入り、流されるように勉強し、また流されるように恋愛し、流されるように志望校が決まり、流されるように大学に合格した。そのような高校生活だった。

なまじ頭の良い人ばかりがあつまる高校だったがゆえに、流されるままそれらしい理由の下で中途半端に道を選び、勉強をして、楽しんで、頑張って、忙しい毎日を送った。私の記憶は高校時代からはある程度鮮明である。

色々と覚えているが、所属していた少林寺拳法部は、参加頻度が高い低いとかの話ではなくあくまで雰囲気の話なのだが、みんなが仲良く、まるで大学のサークルのようで、すごく、すごく楽しかった。だから、あえてここで触れることはやめにしておこうと思う。私だけの思い出ということだ。楽しかった。

ううん、さて、長くなってしまったので大学時代の話はまた今度にしようと思う。

じゃあ、また。

以上。

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