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毎日は勉強であるか

さて、そろそろか。

やることに追われることは幸せであるか。本当に追われていいのか。
いいや、追うのだ。

私には夢がある

私には、夢がある。
とある夢があった。人の役に立てる人になること。それは、本当に夢か。いや、ただの夢物語かもしれない。でも、やっぱり大事な夢である。夢見ることは自由であり、万人に許されることである。あまり詳しくないが、奴隷であっても、主人であっても、王様であっても、芸能人であっても、同じである。
あくまで日本に限っては、内心の自由としてそれが内心にとどまる限り何であれ、ゆるされる。口に出すことも、表現の自由として許されるし、公共の福祉に反しなければ限度は無い。

人の夢は、変わりゆくものである。

変わってもいい。人間は変わるものだから、考えは変わっていくものだから。でももし、自分の感情が自分の変化を許せなかったら、許さなくてもいい。
許す必要は無く、ただただ変わりゆく自分を知ればいい。自分を知っていなければ相手のことも理解できない。自分にとっていちばん身近な人物は、親ではない、友ではない、自分自身である。自分を理解していないと、空っぽなまま生きていくことになるかもしれない。自分を理解してないまま社会に出ても、自分がわからないから、進めないし、休めない。何が自分の求めるものか、何が自分の好きなものか、何が自分を苦しめるものか。ぜんぶ、知ることで間違いなく、見える景色が変わる。外を知るには、まず内側から。自分を考える時間をとることが大事だと思う。

完璧じゃなくてもいい。少しずつ自分を知れば、自分が今なりたいものが見えてくる。夢を見ることは、まず自由だから、夢を見て、夢を見て、夢を見て、考えて考えて考えて、出てきたものが自分自身。

自分の夢を知ることは、自分の価値観を知ること。自分がなにを重要視しているのか、どこに重点を置いて生活を送っているのか、またはいかにそこに重点を置いて生活を送れていないのか、とか、そういうこと。

私は、弁護士になりたい。検察官になりたい。今はまだ、この段階。
知識をつけて外のことを知れば、それに照らされ内側にも光が来る。光が来れば、あとはそこにある自分を読み解くだけ。時間がかかろうとも、思考を尽くしたことは無駄にはならない。短期的には、他にすることがあるかもしれない。でも、そしたら多分、一生自分を考えることはできなくなる。今が最後のチャンスだと思う。
考えて、考えて、考えて、考えて、積み上げた知識を使って、自分の内面の端を照らす。今やるべきは、考えると積み上げる、その繰り返しだと思う。それに加えて、観察の力は一生伸ばすものだ。でも、いま必要無いわけじゃない。だから、観察もしっかり行う。つまりは3つの課題だ。

ううん、やることを明確にすると、漠然とした不安には勝てるようだ。
あとは輪郭の見えた不安と戦っていくだけ。なんて楽だ。一つ一つ、完璧でなくても、削って、減らして、勝っていく。勝っても、先には新しい不安、新しい課題がいるのだろう。でも、勝っていく。それが、人生。それが、一生。かもしれない。

ああ、ああ、やることが多い。
やることが多くて、幸せだ。

じゃあ、また。

以上。

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