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夢もチボウも目標も持たない幸せ【きまぐれエッセイ】

快楽主義への警告:無欲のすゝめ
人間に欲があるのは生きるために必要だからである。
無欲とは、欲がないということではなく、欲を捨てよということでもなく、今満ち足りているから、特に欲しいものはないということ。
現状に満足しているから、次から次へと欲望がアタマをもたげてくることはない。
無欲とは、過剰な欲望に囚われないということ。
だから、満足を知る者は過剰な欲に走ることはない。
たとえばかつて貧乏に苛まれていた人が、奮闘努力の結果、財を築き裕福な暮らし手に入れたあと、往往にして金銭感覚がマヒしてしまうことがある。
欲望に囚われ贅沢三昧、泡沫の快楽にのめり込むとき、人はやがてその刺激のなかに溺れ、正常な感覚を狂わす。
人は、虚しさ寂しさ不安な心を充たすため、五官の欲望を追求し、それに囚われ、溺れていく。
五官の奴隷になれば、心はますます荒野にさ迷う。
道(タオ)に繋がる者は、道念を固めることに精進し、五官の欲望を追求しない。
あなたの夢はなんですか~?
あなたの目標はなんですか~?
あなの理想はなんですか~?
あなたの希望はなんですか~?
道(タオ)に生きる者は、憂世のテーマソング♪に、こう応える。
「夢もチボーもありません」東京ぼん太

快楽主義への警告:無欲のすゝめ

欲望があたしたちの人生を駆り立てる。あの新しい車、最新のスマートフォン、豪華な家。欲望はまるで尽きることのない泉のように湧き出てくる。しかし、果たしてその泉は私たちを本当に潤しているのだろうか?ここで一度、立ち止まり考えてみようではないか。

無欲とは何か。欲がないことではない。欲を捨てることでもない。むしろ、今この瞬間に満ち足りていることを知ることだ。そう、無欲とは現状に満足し、過剰な欲望に囚われないこと。次から次へと欲望が湧き上がってくることがない状態を指す。

例えば、かつて貧乏に苦しんでいた人が、努力の末に裕福な生活を手に入れる。しかし、そんな成功者でも金銭感覚がマヒし、贅沢三昧の生活にのめり込むことがある。欲望に囚われた結果、刺激に溺れ、正常な感覚を失ってしまうのだ。

人は、虚しさや寂しさ、不安な心を埋めるために五官の欲望を追求しがちだ。しかし、その欲望に囚われ、溺れていくとき、心はますます荒野にさまようことになる。五官の奴隷となれば、心はどこまでも荒んでいく。道(タオ)に繋がる者は、道念を固めることに精進し、五官の欲望を追求しない。

では、あなたの夢は何だろうか?あなたの目標は?理想や希望は?これらの問いに対し、道に生きる者はこう答える。「夢も希望もありません」と。
あの東京ぼん太のように……

この無欲の境地に至るためには、まずは今この瞬間を見つめ直すことが必要だ。私たちはすでに多くのものを持っていることに気づくべきだ。新たな欲望を追い求めるのではなく、現在の自分を満たしているものに感謝しよう。そして、過剰な欲望に振り回されないよう、心を静めることを心掛けよう。

無欲の境地に達すれば、私たちは本当の意味で自由になれる。欲望に囚われない心。それが、真の幸福への道であるのだ。

[老子第12章]


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#東京ぼん太

常日頃から並々ならぬお心遣いをいただき感謝いたします。これからも変わらぬお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。