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人に興味を持つこと

川口市出身の自称読書家 川口竜也です。

読書ばかりの日々を過ごしてきました。

読書会の主催者をやっておりますが、お恥ずかしい話、人と話すのが得意ではないです。

主催者としての、ある種のイベンターとしてのペルソナで人と接するときは、そんなに苦労はしません。

けれども、社会的動物として、私個人となると、何を話せば良いかわからなくなってしまう。

人と仲良くなるためには、
その人が求めていることとか、
考えていることとか、
ニーズを把握するとか、
なんとか言われているが、
それがよくわからない。

そもそも、人に興味がないのかもしれない。

その人のことを、本当に深く知りたい、親友と呼べるほど仲良くなりたいのであるならば、自然と深く聞きたいと思うもの。

だが、私の場合、それがよくわかない。

太宰治の「人間失格」ではないが、他人がどう思っているかなんてわからないものだし、それを深く知ろうという意欲が湧かない。

それは薄情なのだろうか。

多分、私の周りにいる人たちが、コミュニケーションが得意な人ばかりだから、余計にそう思うのかもしれない。

周りの人たちは、
みんな人当たりよく、
仕事ができて、
誰とでも仲良くなれて、
責任感があって、
みんなから応援されるような人ばかり。

凄いなあ、あんなふうに振る舞えたらな、と思う。

でも、いざとなると、かっこよく振る舞えない自分がいる。
話をしていても、思うことは自分の興味の範囲。相手に寄り添って考えるって、一体なんなのだろうか、と。

そんなことを、知り合いに相談したら、こう言われた。

「自分という人間に興味はあるの?」

最初は、理解するのに時間がかかった。
いや、正直今でも完全には理解しきれていない。

聞くに、自分のことに興味を持っていないってことは、自分という人間をわかっていないということ。

自分のことすらよくわかっていないのに、他人のことを分かろうとするのなんて、どだい無理な話。

だとしたら、
自分には一体何ができるのだろう。
私は何を求めているのだろう。
人に何を与えられるのだろう。

自分は、他の人と相対評価する癖がある。
これができない、
あれができない、
足りていない、
ネガティブな面ばかり目についてしまう。

でも、きっと、私にも、できることがあるはずだ。

ある友達は、あんなに読書ができることを凄いと言う。
他の友達は、Noteが毎日更新できることが凄いと言う。
またある友達は、好きなことをあんなに楽しそうに語るのが凄いと言う。

気づいていないだけで、私にも、もっと、与えられることがあるはずだ。

まずは自分のことを、もっとよく知ろう。
自分の素敵なところを、もっと探そう。

私という物語が、大団円へ向かうように。

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