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読書記録「努力論」⑫
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
前回の⑪から約1ヶ月ぶりに 幸田露伴先生の「努力論」岩波書店 (1940)の要約を進めます。ハマトンの「知的生活」のように、勤勉に努力するためにも健康体であることについて述べております。
疾病について
まだまだ流行り病に関して注意を怠らない日々が続いておりますが、古来より病気や疫病は後を耐えない。
疾病は個人の所有の如くでもある。しかし確に社会の共有である。故に疾病絶滅を希図する上においては、社会が単に社会的、個人が単に個人的では成就せぬ。
疾病が絶滅できれば越したことはない。
露伴先生がこの章を記した明治44年に比べたら、医療制度や衛生管理が整ったため病気に罹りづらくなり、昔は治らなかった病も今の科学や医学ならば治癒・回復できるようにはなっている。
だが、現在のコロナウイルスで身を持って体感していると思われるが、社会や施策が整えば良いというわけではなく、個々人の注意や心がけは大事である。
露伴先生によれば、知識や情報が少ないがゆえに疾病を招いてしまったケースも決して少なくないと述べているが、ニュースやテレビで情報をいくらでも見られる現代にとっては、個人の振る舞いが大事であろう。
病気に対する心構え
病気に対する心構えとして、露伴先生は
病に罹らないよう努力すること
病に罹った時如何にすべきかを考えておくこと
について述べている。
自ら招くと自ら招かざるとに論無く、病は明らかに現代においてその人の好運でないのみならず、また将来におけるその人の好運を障害する。
病気になると気分が落ち込むのは誰でも思うことであろう。近現代文学の中でも、結核や胃潰瘍を患う登場人物が人生を悲観したり、死生観を覚えている作品を読んだ方も多いであろう。
病人に無理に「弱気になってはダメだよ」と言っても逆効果であるので、露伴先生によれば、悲観するくらいならば、おだやかな心を持ってのびのびとした考えで天命に任せよと語る。
もっとも、病気にかからないように努力をする必要はある。
薬物と医療とのみを尊んで、健全法と持心の道とを尊まぬのは今の人の弊である。物を尊んで心を尊ばず、外を重んじて内を重んぜぬのは、たしかに今の人の弊である。
現代の予防医学と同じで病気にかかってから医者や薬に頼るではなく、病気に罹らぬよう日々健康な生活を心掛けるべきであると述べる。
どうしてもいざという状況にならないと動き出せないのが心情ではあるが、そこを将来の健康のために運動したり、栄養を補う食事を心掛けてみる。
特に長期に働くことが求められる現代において、身体という資本を大事にして損はないはずです。
無論、病気にかかることで健康の大切さに気づくという人も中にはおります。大病・倒産・逮捕という"成功する3つのT"という話も聞いたことはあります。
そんな病気に対する捉え方をポジティブにする方法もありますが、やはり無病息災の状態で日々生活したいものです。それではまた次回!
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