つまらなくても読書が好き
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
今勤めている会社には、福利厚生で使える図書スペースがある。
ビジネス書や実用書にかぎらず、小説や短歌と蔵書の数もジャンルも充実しているとあって、仕事終わりは毎日のように物色してる。
さて、会社として読書を推奨している風潮のあるのもあってか、読書術系の本も多い。
現状、「それなりに/人並み以上に」本は読んでいるとは思うけれども、なぜか読書術系の本って気になるのよね。注意関心が向くからかしらん。
それはさておき、そのような読書術系の本を読むと「自分にとってつまらないところは読み飛ばして良い」という説を見かける。
大前提、ここで言う「つまらない」とは、ビジネス書や実用書などを読んで、自分にとって「役に立たない」「必要のない」といった、目的から逆算したときの考え方である。
これは「タイパ(タイム・パフォーマンス)」が重要視される現代において、必要なスキルかもしれない。
しかし、それは「つまらない本を読む時間自体が無駄である」とも捉えかねられない。
とは言え、自分にとって「つまらない」と思う章を読んだ時間は、決して無駄というわけではないだろう。
珍しく、真面目ぶって購入したプレジデント「どんどん本が読めるようになる」(2024年8/30号)の中に、「成瀬は天下を取りにいく」の著者 宮島未奈さんのインタビューが載っていた。
少なくとも、「つまらない」と思いながらスマホを眺めるよりかは、本を読んだあとに「つまらなかった」と思うほうが、よっぽど有意義かもしれない。
本を読んでいる時間自体が好きなのであれば、そう思うものであろう。
私自身、小説を読んで「つまらない」と思うことはある。
正直、ジュール・ヴェルヌの「海底二万里」でやたらと海域の生物が羅列されていると、ここはまぁ読み飛ばすかってなる。
とは言え、自分にとって何が「つまらない」のか分かったのだし、今は分からなくても、のちのち「そういう意味だったのか」と分かることもある。
それゆえに、「本を読む時間・行為」自体が楽しいのであれば、決して無駄な時間などないはずである。
「タイパ」やら「効率性」が求められる中、そういう無駄(と思われる時間)を楽しむことも大事ではなかろうか。
私の場合は、必要性に迫られて読書をしていないから余計かもしれないが、読書している時間が幸せなのである。
「本屋大賞」受賞作家と自称読書家を同列にするようで、何様のつもりなんだと思われるかもしれないが、読書の捉え方が同じで嬉しく思った次第。
とは言うものの、読書というものには様々な側面がある。
目的や課題を解決するために本を読むこともあれば、娯楽のために本を読むこともある。
前者に求められる考え方と、後者のような「面白きことは良きことなり!」精神が良きということもある(ちなみに森見登美彦さんの「有頂天家族」にある言葉です)。
結論、たった一つの考え方にこだわり過ぎず、柔軟に「読書という時間」を楽しめれば良いのではないかと思います。それではまた次回!