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それでも世界は…(あんのこと)

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

昨夜は急に映画が見たい気分だったのもあり、仕事終わりに映画館へ。あらすじだけ読んで、フィーリングで「あんのこと」に決める。

21歳の主人公・杏は、幼い頃から母親に暴力を振るわれ、十代半ばから売春を強いられて、過酷な人生を送ってきた。ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた彼女は、多々羅という変わった刑事と出会う。大人を信用したことのない杏だが、なんの見返りも求めず就職を支援し、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく。

上記 ホームページより抜粋

2020年に実際に日本で起こった事件をモチーフに脚本・映画化されたというこの作品。

冒頭は「お、赤羽だ…」なんて呑気に構えていたし、シャブ(覚醒剤)で逮捕された取調室にて、佐藤二朗演じる多々羅の素っ頓狂なやり取りに、思わず笑ってしまう。

最初は人のことを信じられなかった杏も、赤の他人のために無償で行動してくれる多々羅や、厚生施設を取材する週刊誌記者の桐野に対して、徐々に心を打ち明けられるようになる。

私が知らないだけで、どんな世界にも、手を差し伸べてくれる人たちがいるんだなと。

しかし、過去に事件が起きてしまっているがゆえに、結末は暗い。

そう思うと、3ヶ月前に、同じ行く映画館で観た「52ヘルツのクジラたち」は、まだ救いがあった。

家族から虐待を受け、お前が代わりに死ねばよかったんだと罵倒され、一度は死を意識した貴瑚(キナコ)。その辺りは、杏と境遇が似ている。

キナコの場合は、良くも悪くも死を考えたタイミングで、偶然にも同級生の美晴や、安吾(アンさん)に出会えた。「魂の番」と呼べる人に出会えたから、キナコはまた生きる選択に気づけた。

だけど、小学校にも行けず、売春までさせられていた杏にとって、救いになったこと(という言葉が正しいかは難しいが)、悪い大人から与えられた覚醒剤だった。

これまで覚醒剤常習犯の更生を行ってきた多々羅が言うに、薬をやった人は思い詰めても自殺を考えないらしい。死ぬ前に、もう一度シャブをやりたいと思うものだから、と。

ふと、学生時代に体育館で観た覚醒剤防止の啓発ビデオを思い出した。

友達に誘われて軽い気持ちでやってしまった、という流れが多いけれども、なんというか、心掛けができれば止められるものばかりではない。

薬にせよ酒にせよ、何かしら依存せざるを得なかった根本的な原因があるはずで、単純に薬を断ち切れば済む問題ではないのかもしれない。

それこそ、杏のように家に帰れば母親から暴力を振るわれ、ゴミ屋敷で祖母の面倒を押し付けられる日々。抜け出そうにも、どこにでも現れる母親(すごい悪い言葉を使うと「ガキがガキを産む」って印象)。

時期的にも、流行り病が蔓延していて、休校や休職が余儀なくされたタイミング。人と出会うこともできず、それでいて隣人から「思いがけない頼み事」をされて、いよいよ。

現実はフィクションのように、ハッピーエンドを迎える物語は、難しいのかもしれない。

それでも、世界には手を差し伸べてくれる人がいることには違いない。

多々羅が杏を覚醒剤から救おうとしている行動を、たとえ不純な気持ちがあったとしても(勿論、許されざることはあるが)、僕らにできるだろうか。

「52ヘルツのクジラたち」の美晴や安吾のように、キナコの叫び声を聞いて、手を差し伸べることができるだろうか。

本当の意味で相手に寄り添う事のできる人は、その人自身が深い悲しみを負っていないと、それはただの傲慢、偽善でしかないと言うけれども。

ただ、気づいていないだけで、そんな出来事が世の中には溢れている。全てに寄り添うことはできなくても、きっと1つ、一人にでも、できることはあるんじゃないかって。

そんなようなことを、おぼろげながら感じた作品でした。それではまた次回。

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