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結局"教養"って何なのだろうか。

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

先日ネットサーフィンをしていたら、「直木賞作家 今村翔吾さんが教える教養を高める手段」がおすすめの記事として挙がってきた。

ビジネス書やビジネスマン向けの雑誌にも、「教養」を深めておくべきだと推奨する話は多い。時代の変化に対応するために、教養を深めることは重要だという。

だが実際のところ、教養とは一体何なのだろうか。

教養というと、歴史やアートに造詣が深いことがまず考えられる。実際読書会においても、歴史の出来事や時系列を何も見ずにすらすらと述べることができる人も多い。

しかし、歴史や芸術、哲学に詳しいということだけで教養があるとは言い難い。

そもそも、ただ知識を蓄えるだけではよろしくないという流れがあった。検索エンジンで調べたら分かることを蓄えたところでという背景が、教養を深めるべきだという話題が上がってきたのである。

そのため、知識を実際に使えるようにするのが教養であると語ることが多い。

例えば、歴史として起きた出来事を抽象化して、自分ごとに置き換えてみる。歴史上の人物が行った行動を、自分の会社の上下関係に当てはめてみるなど、使える知識(知恵というべきか)に変換する。

とは言え、そのように抽象化して自分ごとに使える知識というものは限られてくる(だから今村翔吾さん自身も歴史を勉強すべきだと勧めているのかもしれない)。

すると、まるで使えない知識は役に立たないと捉えてしまう人も少なくない。

知識を使える・使えない、役に立つ・役に立たないという2つの視点で捉えるのは、効率化が求められる今の世の中からしたら大事なことかも知れないが、教養ってそういうものなのだろうか。

例えば、私が好きな地学だって、人によっては無駄なことかもしれない。どうせ学ぶなら地政学とか、人が関わる学問の方が"使える"と考える人もいるだろう。

それこそ、小説や文学は役に立たないから、ビジネス書やハウツー本を読むべきであると言うがごとく。

すると、役に立つことを学ぶことが、教養なのだろうか。

こうなると教養ではなく「実学」と捉えられるだろう。実学になると、仕事で役に立つ知識や技術に注力してしまう傾向にあるだろう。すると、最初の提起からは若干ずれてくる。

すぐに使える知識や知恵、いわゆるライフハックやハウツーを多く知ることが、教養かと問われたら、私自身はそれは違うんじゃないかなとも思う。

それに、教養は必ずしも本だけから得られるものとは限らない。人とのコミュニケーションや出会いという経験によって培われるものであるという話もある。

その点でいうと、人に関わる学問が良いと言うのも、一理ある。

少なくとも、たった一つの原理原則が存在しないように、これこそが「実学」、これこそが「教養」という明確な定義は存在しない。

ただ一心、自分が何かの役に立とうという意志があり、その目標に向かって学ぶことは、何であれ「教養」と呼んでいいのではなかろうか。

まぁ何であれ、学び続けることに意義があると信じて、今後も世界を広げていきたい。それではまた次回!

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