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満員電車でも物語に浸る

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

行き帰りの通勤時間は絶好の読書タイム。満員でぎゅうぎゅうだろうが、本を読まずにはいられない人。

むしろ、物語に浸っている間は、周囲の状況から逃避することができる。

たとえ乗客同士でおしくらまんじゅう状態になっても、遅延や間隔調整で停まっても、3回までなら扉の開閉があっても気にしない。

その点で言えば、読書はここではないどこか別の世界に行くことができるという説もわかる気がする。

肉体はここにあれど、心は物語にいる。だから周りがどうであろうと気にならなくなる。

でも、電車内で本を読んでいる人がいるときには、流石に気になってしまう。何読んでるのだろうか、結構読むの早いっすねとか。

人の本を覗き見するのは悪いことだとは思うけれども、やっぱり電車やカフェで近くの人が本を読んでいると、何の本を読んでいるのか気になっちゃうんですよ。

先日実家に帰る途中、電車内で上橋菜穂子さんの「精霊の守り人」シリーズを表紙のまま読んでいる方を見かけて、そう言えばこのシリーズはまだ読んでなかったなと思う。

さっきも、目の前で本を読んでいる人がいたけれども、どういう気持ちだったんだろう。案外気にしてるのは私だけかもしれないが。

とは言え、今日は疲れた、執筆でくたくた、もう文字を見たくないって時は、スマホを見たり、音楽を聴いたりする。

でもそういう時に、思いの外一駅間って遠いのねって、いつも思う。

本を読んでいると、もう降りる駅!?ってなるけれども、携帯とか見ていると、毎回何駅か確認している気がする。

もとよりnote以外のサイトをあまり見ることがない。X(Twitter)やInstagramもほとんど見ないし、かといってnoteの記事を読むならば、手持ちの本を読んじゃうし。

結局、携帯だと集中できてないんだと思う。本を読んでいる間は、物語に対面しているから、あっという間に時間が過ぎていく。

要は、読書好きというものは、本を読まないことには時間をうまく過ごせないんだなってことなのかもしれない。

でもあまり物語に浸りすぎるのも考えもの。のめり込みすぎて、いつの間にか降りる駅を過ぎていたことが何度あったことか。

でも過ぎたら過ぎたで、往復分本が読めるなって、ポジティブ思考だから困ったものです。それではまた次回!

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