文学は実学であるか?
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
先日、電車の中で日能研の広告を見つけ、思わず2度読み直してしまった。大妻多摩中学校の国語の試験にて、下記のような問題が出題された。
最近は「実学志向」という、商学や工学、医学など「取得した知識や技術がそのまま社会に役立つような学問」に重点を置かれるようになっている。
その基準でいうと、文学は「実学でないから役に立たない」と捉えられ、大学の文学部は減少傾向にあります。
ですが、文学を代表する物語作品は小説のみならず、映画やアニメ、漫画にドラマと様々な形で社会に広まっています。
もしあなたの周囲に「小説や物語などの文学は実学ではないから役に立たない」と判断する人がいたら、あなたはどう反論しますか。100文字以内で記述して下さい。
反論する前提の質問が少々いただけないとは思うものの、このような考え方を持っている人は、やはり一定多数いる。
ビジネス書とか仕事術系の本は読むけれども、小説や文学は無駄だから読まないと豪語する人はいる。本が好きというよりも、知識や内容が好きというタイプである。
このような実学志向の人に対して、文学は役に立たないから読まなくなったと言われたら、果たしてどう答えるだろうか。
私だったら、じゃあ読まなければいいのに、と思ってしまう(笑)。
とは言え、これが試験であり、いわゆる真っ当な考えを100文字以内で提出してくださいとあれば、真剣に考えざるをえない。
今の私が考えるとしたら、こう答えるだろう。
私にとって文学とは、人を感動させるものだと思う。
改めて考えてみると、実学志向の人たちでさえ、小説を読んできたからこそ、読書に励むようになったわけであり、前提として文学に触れてきたという土台を持っていると思われる。
ではなぜ小説を読まなくなったのかと言えば、その人にとって、ビジネス書に感動したからであろう。
資本主義の本質を捉えた本とか、資産家になる教科書とか、そのようなビジネス書に感動したからこそ、小説を読まなくなったのだ。
それが数字や数式が並んでいるだけなら、おそらく感動はしなかっただろう。自己啓発本やライフハック系の本が売れる根底は、感動がある。
「今までできなかった事ができるようになった」「今までと常識が大きく変わった」「仕事のスピードが大幅に改善された」。だから新しく実学志向の本を読む。その前提として、感動がある。
確かに文学の場合、役に立つという観点からすると、計量的に判断ができない。
だがどうして感動したか否かを定量的に測る必要があろう。
文学によって心を揺さぶること、それが文学の持つ力であり、実社会で役に立つことではあるまいか。
もしこの記事を採点者が読んでいたら、是非採点して頂きたい。もっとも、回答の他にダラダラと記載しているため、正確な点数はつけられないと思うが。それではまた次回!
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