なぜ人生には本が必要なのか
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
何だかんだ言って今年もあと1週間だとふと思う。そして今年の年末こそは本を読んでゆっくり過ごしたいと意気込んでは、おせちの手伝いとか新年の挨拶とか、駅伝を見ている間に休みが終わるんだろうなと思う。
まぁ今年もそれなりに本を読んで過ごした。2023年は読書記録だけでも80記事くらいあるし、記事にしていない漫画や読み返した本も含めれば、100冊以上は確実に読んでいる。いいペースだとは思う。
さて、先日神保町のブックフェスティバルにて購入した三砂慶明さんの「千年の読書」誠文堂新光社(2022)をこの度読み終えた次第。
紐解いて最初に目にとまるのは、まえがきの見出し「なぜ人生には本が必要なのか」という文章である。
個人的なことを言えば、本など読まなくても生きていけるというのが、私のスタンスである。なぜ人生には本が必要なのかと問われても、「本を読むことでしか、うまく時間を使えないから」と言うのが関の山である。
そりゃ読んだほうが良いとは思うけれども、人に勧めるほど本を読むべきだとは思わないし(そもそも読むべきと啓蒙すること自体烏滸がましい)、是が非でも読んで欲しい本があるわけでもない。
よく「この本が自分の人生を変えた」と言って、何度も紹介する人も見かける。私自身、そういう本もなくはないけれども、私にとっていい本だっただけで、人に勧める気はない。
そもそも、世に出版される本は全て面白いという前提がある。
面白くない(とされる)本を紐解いていないだけかもしれないが、すべての本が私にとって何かしら響くところがあり、考えさせられるところがあり、即ち面白いものである。
すると漠然とながら、自分が本を選んだ理由が少しづつ見えてくる。
自分の人生には本以外にも選択肢があったはずなのに、なぜ選ばれたのが本だったのか。
それは、自分なりに本の価値や魅力を見出していたからに他ならない。
では、本の価値とはなにか?
新しい言葉を知ることができる
自分が知らないことを知れる
自分の価値観を変える
精神的な効用を満たす
一人でできる(一人でもできる)
想像力を培う
相手の立場になれる
客観的な視点を得られる
とかまぁ、箇条書きならばいくらでも出てくる。まぁこれらの価値は概ね正しいだろう。
そうなんだろうけれども、じゃあ毎回これらの目的意識を持って私が本を読んでいるかと問われたら、正直微妙である。
とりわけ最近は小説ばかり読んでいることもあって、何のために本を読んでいるのか、どうしてそんなに小説ばかり読んでいるのかと、自問自答してしまう。
結局のところ、私にとっての読書は心の滋養なんだ。
パラダイムシフトよりも、カタルシスを重視している。
ウィットの効いたユーモアに笑いて、
52ヘルツの叫び声に泣いて、
どんでん返しの真相に驚いて、
なんてことのない日常にほっこりして、
家族愛や兄弟愛に心が暖かくなって…。
そういう喜怒哀楽が人生に必要で、それが本を読むことなんだ。
もちろん、教養を深めることや自分を磨く(自己啓発)、立身出世のために本を読んでいる人はいる。知識欲を満たすことで幸せを実感する人は、少なくない。
だから、あくまでも「私の」人生にとってなぜ本が必要であるのか、の回答例であって、他の人と違って当然だと思っている。
だけど、本著で引用されている保坂和志さんの「言葉の外へ」河出書房新社の言葉が、やっぱり自分にとっての本の価値を再認識してくれる。
読書は精神の駆動そのもの。三砂さんの言葉を借りれば、私達は本を通じて著者と対話するのみならず、”読むことで湧き上がってくる私たち自身の心の声”を聞いているのではあるまいか。
先日読書会に参加された方が、小説を紹介するのって難しいと述べていた。
教養系の本は事実だけを述べればよかった(伝わった)けれども、物語は自分の感情も入り混じると。
だからこそ、本は面白いではないか。
感情が揺さぶられてこそ、本を、物語を読むべき理由であり、人生に必要なことなのではあるまいか。それではまた次回!
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