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「本なんて読むの?」と言われた乙女の話

先日、読書会でお会いした乙女が語った話である。

居酒屋で一人晩酌を楽しんでいると、突然年齢不詳の男性から声を掛けられたと言う。

ナンパ目的かもしれないが、一人居酒屋ではこういうコミュニケーションも楽しいものどと、話に付き合ったらしい。

しかし事件は趣味の話で起こる。乙女が「趣味は読書です」と話したら、男性から「本なんて読むの?」と小馬鹿にされたとのこと。

その時点で男性に対する興味は冷め、だんまりを決め込んだと語る。なんなら飲みかけのビールを頭からかけてやろうかと。

問題はその後で、その出来事以来「趣味は読書です」と言わない方が良いのではと、弱気になってしまったらしい。

ことばの暴力を受けたとき、ぼくたちは殴られるよりもずっと深い心の傷を負う。殴られた痛みはせいぜい数日も経てば消えるけれど、ことばの暴力は一生引きずることもある。

古賀史健「さみしい夜にはペンを持て」86頁より抜粋

なんて奴だ。生かしておけぬ。自称読書家は単純な男であった。

個人の主義主張は勝手である。許せないのは読書会の参加者とはいえ、読書好きの知り合いを小馬鹿にしたことである。

出会い目的で話し掛けたのだとしたら、人様の趣味を馬鹿にした時点で敗けであろう。

だがそれ以上に、乙女の心は傷ついたのである。本人にとっては、単なる軽口程度の気持ちだったとしてもだ。

読書に限った話ではない。自分が好きなもの、好きだと思っているものに対して否定的な意見を受けることは辛い。

まるで自分の人生を否定されているかのようにも思ってしまう。

私はどちらかと言うとそっち側の人で、「誰がなんと言おうと…」と無視できるほどのメンタルは持ち合わせていない。

(言い返すセリフとして、一瞬、伏見つかささんの「俺の妹がこんなに可愛い訳がない」の五更瑠璃(黒猫)のセリフを思い出したが、とても引用できないのでやめておく)。

もっとも、私はその場に居合わせてないから、その男がどんな意図で語ったのかはわからない。多分居合わせても分からないけど。

単純に「見下し」や「侮り」だったのか、あるいは「羨ましい」の現れだったか。やんぬるかな。

私自身、「電車内で本を読むとか昭和かよ」と謎のセリフを言われた程度で、「本なんか読むの?」まで言われたことはない。

でもその暁には聞いちゃうな。「読みたくても読めない(読まない)」人は多いけど、「本なんて読まない」と公言する人の根底は伺ってみたいものである。

少なくとも、読書であれ何であれ、人様の趣味を否定してはならない。

別に理解しようとする必要はない。私にだって、理解できないことだってある。

ただ否定的な言葉を使わなければいいだけである。言葉は毒にも薬にもなることを、忘れてはならない。

それを理解しているだけでも、本を読んできた甲斐があると思うけどね。それではまた次回!

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