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喜読哀楽

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

お恥ずかしながら、私は本を読んでいると声が漏れる。本を読んでいると、つい込み上げてくる感情を抑えきれなくなってしまう。

伊坂幸太郎さんの「終末のフール」集英社を読んでいたら、思わず吹き出してしまった。電車の中で。

中島敦の「山月記」を久々に読み返したら、あぁこんな内容であったと思わず感嘆のため息を漏らした。図書館で。

歌野晶午さんの「葉桜の季節に君を想うということ」文藝春秋を読んだときは、衝撃的な展開に部屋で一人叫んでしまった。

ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」早川書房を読んでいたときは、あまりに感動して泣いてしまった。電車の中で。

自分で言うのも何だが、単純と言えば単純な男である。

だが、言葉や物語には、それだけ感情を揺さぶるものがある。

素敵な物語は、心を揺らす。

他人事のはずなのに、自分が体験しているかのように心が動く。

まるで、もう1つの人生を追体験しているように。

本を読むと人の感情に寄り添うことができると言う。物語の登場人物に感情移入することで、相手に共感することができるようになる。

正直、沢山物語を読んでいるけれども、共感力がついているかは疑問である。

そもそも物語に登場する読書好きのキャラクターは、揃いも揃ってコミュニケーションが苦手か、性格や思考に一癖あるものが多い。

本当に物語を読み続けていたら、他人に寄り添うことができるのだろうか。こんなに人に興味が持てない人間なのに。

本が間に挟まれないと、会話することすらできない人間なのに。

あれ、もしかして私も小説の登場人物なのかな? だとしたら、私の物語の作家は誰? 村田沙耶香さん? 伊坂幸太郎さん?

こういう突拍子もない事を言う辺り、読書好きの弊害なのかもしれない。無論、全員そうというわけではないけれども。

ただ少なくとも、本を読んで感動できる。それってとても素敵なことだと思う。

本は、最も簡単に感動を得られるものだと思う。わざわざ遠い地に行かずとも、高級ディナーに行かずとも、紐解くだけでいい。

本を読んでいるときぐらい、もっと感情に素直になったほうが良い。たとえ誰かに共感すること無く、一人事だったとしても。

だって感動した分だけ、心は豊かになるもの。

エビデンスも根拠もないけれども、少なくともこれまで素直に生きてこれたのは、やはり物語に触れてきたからだと信じたい。

だからジャンルを選り好みせず、本は何でも読めるほうが良い。ビジネス書や仕事術も大事。でも物語に心揺さぶられることも大事。

でないと、仕事人間になってしまう。それはそれで良いかもしれないけれども。でも、根拠や理屈で生きる人より、だいぶ不完全であっても、物語に感情を揺さぶる人でありたい。

だから私は物語を読む。少しでも、私らしく生きるために。それではまた次回!

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