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1日何ページ読めば読書家か?

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

読書に関する質問は多々あれど、個人的に苦手な質問の一つに「その本どれくらいで読み終えたの?」がある。

何が嫌って、まるで自分が試されているかのような質問だからだ。

難しく考えなければ、「この本?1週間くらいかな」って言えば終わりではある。日数を聞かれているだけだから、結論さえ答えれば良い。

ちなみに私の感覚だと、小説だと50頁/30分くらいのペースである。一旦休憩を挟もうと思うタイミングが、50頁読んだか、30分を過ぎた頃である。

でも東京読書倶楽部の読書会で出会った人でいうと、小川哲さんの「拳と地図」集英社(640ページ)を、あまりの面白さに3日で読み終えたと語る方もいて、それに比べたら自分の読書スペースなんて鈍行もいいところ。

もちろん、本の難易度によっても読むスピードは変動するし、今日はこの本を読む気分じゃないって日もある。読書は、工場の生産ラインのように一定を保てるわけではない。

それに、読書においては、何日・何ページという数字以外の意味が絡んでくる。

東京読書倶楽部の読書会での紹介をきっかけに紐解いた、ジェリー・Z・ミュラーの「測りすぎ」みすず書房では、数字により成果や評価を管理すると、人は数字の誤魔化す(詐称する)恐れがあるという。

測定できないものを測定しようとしたり、定量化できないものを定量化しようとしたときに、測定は非生産的になる可能性がある。

同著 8頁より抜粋

一応、日本速読解力協会のデータによると、日本人の平均読書速度は、1分間に400~600文字程度らしい。それを基準にすれば、自分の読書は平均よりも早いのか遅いのかは計算することはできる。

そりゃ試験なら読むのが早いほうが有利かもしれない。早く読めて、早く回答に導けるほうが有利ではある(正解していることが前提ではあるが)。

しかし、ほとんどの人は、そんなことを考えて本を読む人はいない。感覚的なもので、自分の読書スピードを測っている。

それ故、「その本を何日くらいで読み終えたのか?」という話では、平均を軸にした数字を共有するのではなく、目の前の相手との読書感との比較になりがちである。

そうなると、目の前の相手に対して見栄を張りたくなるのが心情である。

別に嘘をついたところで何のメリットもデメリットもないはずであるが、数字を少し誤魔化して、少しでも早く読み終えた状況に仕立て上げたい。

自分はこの長編作品をこんなにも早く読み終えたのだと(逆も然り。この本を読むのに、こんなに時間が掛かったのだと誇りたいのもある)。

そもそもの話、「この本を何日で読み終えたか?」という質問自体、あまり意味がないと思う。

話が最初に戻るが、「この本?1週間くらいかな」と回答したところで、その後会話が膨らむわけではないからだ。

だって「そうなんですね」で終わりじゃん。それとも遅くなった旨を弁明したほうが良い?

質問者にとっては、自分は読むのが遅いから、あなたがどれくらいで読み終えるのならば、自分だったら何日くらいかかるだろうという意図かもしれない。

とは言え、結構読むの早いんですねと返されても、まぁこの本はそうだったに過ぎないだけって場合ある。

逆に、結構時間がかかったんですねとか言われたら、もう喧嘩よ。なんだァ?てめェ……ってなるよ。

人によって読むスピードは異なるのは当然であり、読書スピードの早い・遅いで優劣が決まることはない。

そもそも読書というものは、本を読んでどう思ったか(量よりも質)の方が、重要なのだから。

結論、その人が「自分は年間300冊本を読んでいます」「1日1冊ペースで本を読んでます」とか明記しているならまだしも、人様の読書に対して、あまり定量的な質問は控えたほうが無難である。それではまた次回!

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