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【東京道路奇景ガイド#05】 海ほたるPAと壮大な都市構想

こんにちは。交通技術ライターの川辺謙一です。

今回は、「東京道路奇景」の実例として、海ほたるパーキングエリア(PA)をご紹介します。この記事では、海ほたるPAが造られた背景に、東京を救済するための壮大な都市構想があったという話をします。

■海ほたるPAの概要

海ほたるPAは、東京湾に浮かぶ人工島にあります。ここは、川崎と木更津を結ぶ東京湾横断道路(東京湾アクアライン)の途中で、海を横断する橋(東京湾アクアブリッジ)とトンネル(東京湾アクアトンネル)の境界にあたります。

このPAは、航空機から見ることもできます。羽田空港に着陸する航空便の一部が、東京湾アクアラインとほぼ並行に飛行するからです。

航空機から見た海ほたるPAの姿はちょっと異様です。海の上を横断する道路橋が、ここでプッツリと途切れているからです。これは、東京湾アクアラインの一部区間を海底トンネルにして、東京港などにアクセスする船の航路を確保しているからです。

告知2海ほたる高解像度

■東京を救済する壮大な都市構想

海ほたるが誕生した背景には、東京を救済する壮大な都市構想がありました。

東京は、1950年代にさまざまな都市問題が発生し、都市機能の維持が難しくなりました。戦後になって人口が急増し、都市化が急激に進んだのに、道路などの社会基盤の整備が追いつかなかっただけでなく、公害が発生し、市街地の住環境が悪化したからです。

そこで、東京湾を埋め立てて新しい首都を造るという大胆な構想が生まれました。その詳細は、政治家だった加納久朗氏(1886-1963)が1958年から1959年にかけてまとめた「東京湾埋立についての加納構想」に記されています。

産業計画会議は、この構想を参考にして1959年に勧告書『第7次・東京湾2億坪の埋め立てについての勧告』をまとめ、政府に提出しました。この産業計画会議は、戦後日本の再建を目的に設立された私設シンクタンクで、成田空港の整備や国鉄の民営化など、のちに実現した構想も政府に勧告した実績があります。

この勧告書には「ネオ・トウキョウ・プラン」と称する構想の地図が載っており、8の字型の幹線道路が描かれています。この幹線道路は、東京湾沿岸を通る道路と、東京湾を横断する2つの道路で構成されていました。

ここから現在に至るまでの経緯は、書き始めると長くなるので、この記事では結論だけ書きます。

※本当はこの間に防潮堤の話があるのですが、そのあたりは拙著『東京道路奇景』第4章で書きました。いつかnoteにも書こうと思っています。

東京湾を埋め立てるという構想は実現しませんでした。その代わり、8の字型の高速道路を整備する構想が出発点となり、東京湾環状道路が計画されました。この東京湾環状道路を構成するルートのうち、海を横断するルートが現在の東京湾アクアラインとして実現したのです。

つまり、東京を救済する壮大な都市構想が出発点となって、東京湾環状道路と称する8の字型の幹線道路網が計画され、東京湾アクアラインが建設された結果、橋とトンネルの中継点として海に浮かぶ海ほたるPAが生まれたのです。

こうした歴史を知っていると、海ほたるPAの見方が変わって面白いですよ。

■おすすめの鑑賞場所

海ほたる5F展望デッキ(木更津寄り)。

■アクセス(鑑賞場所まで)

小湊鐵道バス・東京湾アクアライン高速バス「海ほたる」下車
海ほたる1F停留所から5F展望台まで徒歩3分程度



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