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【小説を書く⑤】説得力を持たせづらいからといって、キャラクターの人格を修正する必要はない。むしろそのくらい難しい人格の方が、書ききったとき魅力的になる

読者の求めるキャラクターを書くのではない、と前回言った。

なら何を書くのか。自分の中から生まれるキャラクターを書く。
あくまで自分の中にある初期衝動は、大切にしなければならない。

肝要なのは、最初に生まれたものを、手癖でなく誠実に、一文字一文字の精度を上げながら執筆し、それを見返すなかで、「読者への説得力はあるか」を考えること。
見返していると、説得力がないな、と思うときもくる。
そのときにやることは、キャラクターを変えることではない。説得力がないから人格を修正する、はあたかも正解のように思えるけれど、「自分の中から出てきたはずの初期衝動」を薄めて、つまりは著者の武器をなまくらに変えて、どこかの誰かのコピーに近づけているということでもある(ちょっと暴力的な言い方だけど)。

それよりは、たしかに自分の中から生まれた、「きっとおもしろいはず」というキャラクターの精度を上げることを考える。
説得力がない原因は多くの場合、「人格の方向性が悪い」のではなく、「著者の中でまだ人格をつかみきれていない」から、というのがほとんどだ。

よく言われることだが、0歳で生まれてから、本編までの略歴を書くといい。
「3歳:両親が離婚。母に引き取られるが、母は仕事でほぼ家に帰らず、祖母に遊んでもらっていた」
「4歳:近所の公園にかならず一人でくる少年のことが気になり始める。しかし彼は近づいてこようとせず、こちらが近づくと遠のくので、ある日ボールを意図的に近くへ転がし、取ってもらうことで話しかけようと画策した」
などと、書いていく中でエピソードを膨らんでゆかせることができる。
そのエピソード1つ1つに、本編での大きな意味は必要ない。明かされない裏設定でいい。ただ、こういう部分にこそ、著者がキャラクターを生んだ理由、面白みの核のようなものが、往々にして詰まっている。

この作業は、あくまでキャラクターを本編で動かす(説得力を持たせる)ための土台ではあるが、最初からやはり突き詰めて考え、精確に作ろうとすることは大事だ。そのうえで、本編執筆中に変わることもあるかもしれないが、それはそれでいい。
済んだら、実際に執筆してみる。さきほどまでよりも、すいすいと書けると思う。
たとえば、それまで注視もしていなかった、喫茶店でのシーン。
「僕はアイスコーヒーを頼んだ」
だけだった描写が、
「アイスコーヒーにしようと決める。店内を見渡す。ウェイターさんは近くにいない。カウンターの中にうかがえるが、なにか忙しそうにしている。手を少しだけ、自分の顔よりも低い位置まで上げてみるけれど、急かすほどのことじゃないと思い直して、下ろす。こういうとき大声で呼べたなら、と憧れる部分もあるが、控えめは控えめで悪いことじゃない、と弁明する自分もいる」
こうなるかもしれない。
いや、たかがアイスコーヒーにここまで文面を割く必要があるのか、それが本編全体にとって有益なことなのかは、非常に怪しい部分ではあるのだけれど、言いたいのは、「これをやれば精度が上がるかもよ」「精度が上がればキャラクターに説得力が宿るかもよ」というようなことだ。

今回の、小説を書く④と⑤は一気に書いたので疲れた。アイスコーヒーはお腹を下すので、ポンジュースを誰かください。

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