見出し画像

壮年よ、大志を抱け。

2年前?くらいから、水面下で動いていたプロジェクト。
今年9月末の完成に向けて、これから、ピッチがあがっていく。

そう、1,2ヶ月前くらいかな?

プロジェクトメンバーのひとり、sbrから「このプロジェクトでnote使うから、アカウント取っといて」って、言われて、noteを始めた。

そして、ついに、今日、彼から招待が来た。
その名も『コンテナプロジェクト開発ドキュメント』

今日の昼間に招待が来て、気付いたら、仕事の合間に、自然に書き始めていた。

そう言えば、さっき、sbrが 『コンテナプロジェクト開発ドキュメント』 の一回目をアップしていたのを読んだ。

実にわかりやすかった。

実は、今日の昼間に『コンテナプロジェクト開発ドキュメント』を書き始めるにあたって、タイトルから、書き始めたんだ。

『壮年よ、大志を抱け。』

その内容は、タイトルからして、全く、論知的じゃなくて、悲しくなるけど、昼間に書き始めた『コンテナプロジェクト開発ドキュメント』の続きを僕なりに綴ろうと思う。

説明はここまでね。本文いくよ。

青年よ、大志を抱けってね。聞いたコトあるね。

誰の言葉?

まぁいいや。

壮年って、何歳のこと?

さすがに、調べたよ。

青年期15~24歳、
壮年期25~44歳だってさ。

ちょうど思っていたくらいで一安心。

この世に生をうけて、多くの人は、いろんな未来に夢を馳せて、自分なりの理想を掲げて、頑張って生きる。

でも、25年~44年生きているとさ、幾度となく、現実や限界という大きな壁が立ちはだかって、諦めなきゃいけない事が増えてくる。

きっとね。

そりゃ、思った通りにいくコトばっかりじゃないからね。

社会の中での自らの立場が変わって来たり、自分に求められるコトが変わって来たり、結婚をしたり、子どもができたりして、自分を取り巻く環境が変わったり。

はたまた、社会と距離ができてしまったり、周りの人が結婚したり、子どもができたり。

いろんなところで問題が起きたり、頭を打ったり、頭を打たれたり。

多くの人がそういう状況をこう言う。

現実。

生きているといろんなコトがある。

そのいろんなコトが経験として、自分の中に積み重なっていく。

やがて、自分の中に蓄積されたモノが、正体不明の意味不明の現実という名のモノに姿を変え、自分の中にあったはずのモノに、頭の先から、足の先まで覆い被さられて、身動きがとれなくなる。

シッパイスルカラ、ハジメカラ、ヤルナ。
ユメヲミルダケ、キズツクカラ、ユメヲミルナ。
キボウヲモッタラ、シツボウスルカラ、アキラメロ。

大志って何?
夢って何?
理想って何?

お金で買えるの?
食べられるの?

やがて、人に言う。

大志ってダサくない?
夢ってダサくない?
理想ってダサいよね?

大志や夢や理想は、自分を裏切らない。
きっと、自分を裏切ってるのは自分だ。

大志や夢や理想は、どこにも行かない。
大志や夢や理想から離れて行ってるのは自分だ。

いつも、諦めるのは、自分だよ。
諦めたら、そこで終わり。

僕は思うんだな。

自分がやりたいと思うコトをやれないのなら、生きてる死体だなって。自分がやりたいと思うコトを自分にやらせてさえあげられないのなら、誰のための、何のための人生なんだろうって。

今の自分がやりたいって思うコトを実現してあげられるのは未来の自分しかいない。

何回、傷ついても、何回、倒れても、何度、失敗しても、何度、バカにされても、また、立ち上がればいいじゃないか。

他人になんと言われても、
自分の期待に、自分で応えてあげればいい。

自分を信じて、また、次の小さい一歩を踏み出せばいい。
自分一人でできないのなら、周りの人の力を借りればいい。

確かにね、やればできるよ。なんてコトは言えない。

僕だって、失敗ばかりしてきたから。

でも、きっと、ほとんどのコトは、やろうと思わなかったらできない。
やろうと思って、一歩を踏みださないとできない。

そして、やろうと思って一歩踏み出した後、いろんなコトやヒトに阻まれても、信じ続けないとできないコトも多い。

信じて、信じて、信じた先に見えた景色。

散々、想像したり、イメージパースを見てきたはずなのに、いざ、眼前に繰り広げられる光景に、当の本人たちもびっくりしているプロジェクト、走り出しています。

壮年よ、大志を抱き続けようぜ。

信じた先にしか、思い描く未来は来ない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?