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長崎県産につき(仮) 前編


 畳んでいない洗濯物の山。見るだけでげんなりする。
 いや、タオルは何枚か畳んだが、それ以外は取り込んでから床に放置してそのままだった。
 その畳んだタオルの上に頭を乗せて、おもちゃの車で遊んでいる息子。

「けいちゃん……洗濯物の上に頭を乗せないで」
「ぶーん」
「けいちゃん……」
「どうんっ! ぶふー!」

 息子はこの前見せたアニメ番組に感化され、ずっと車のおもちゃでレースごっこをしているらしい。彼の頭の中ではアニメの中のポップで愉快な世界がそのままに広がっているのだろう。私の声は届きやしない。

「おーい、けいちゃーん」
「どかーん!」

 突然起き上がり、洗濯物の山に車でタックルを始めた。
 私の下着や夫のくつ下はテレビ台の前まで吹っ飛ばされた。

 ああ……。
 そしてくしゃくしゃになった山からTシャツとズボンを引っ張り出し、床の上で円の形に整えだした。

「おあっと、クイーン選手とロン選手の一騎打ちだぁ!」

 息子は手に持っている青色のクレーン車と赤色のオープンカーを、作った円の中で激しくぶつけた。
 ガチンガチンと痛そうな音を立てて遊んでいる。おもちゃが壊れそうだ。つい最近、祖父母に買って貰ったばかりのおもちゃなのに。

 とても楽しそうにご機嫌で遊んでいる息子にこれ以上、注意をする気力がわかない。「洗濯物の上で遊ぶな」と怒鳴りちらして止めることはできるだろう。本人には何度も教え注意もしてきたが、ちっとも守る気配が無い。聞く気が無いらしい。
 本人にする気が無いものをどう教えたらよい? 綺麗事ばかり並べる育児書にはうんざりだ。今頃になってあの本の内容にイライラしてきた。そんな良い子ちゃん一体どこにいるのだ。著者は子育てしたことあるのだろうか。腹が立つ。

「おーい、けいちゃん聞いてる?」
「ちゅどーん、バキバキッ」

 ……息子が遊ぶ前に洗濯物を畳んでしまうという作業を終えれば良かっただけのことだ。ただ、それができなかった。
 毎日毎日洗っては干し、畳んでしまう。洗濯がこんなに面倒な作業だってことを夫は知らないだろう。

 疲れた。
 息子は可愛い。可愛いけれど……。
 今は洗濯物の中からネットを引っ張り出し、それを車の上に被せて牢屋代わりにして遊んでいる。

「うわぁ、捕まったぁ! くそー、デカッチ伯爵め! ここから出せっ」

 夕飯を作る気力もわかなくなってきた。何とか夕飯の材料だけは買って来たが、キッチンに立って包丁を握る気力が無くなった。
 テーブルの上には今しがた買ってきたカレーの材料が無造作に置かれている。カレーを作る気力もわかないなんて……せめて今日、カレーを作ってしまえば2、3日の夕飯はそれでまかなえるのに。

「ママー、寝てるの?」

 ずっとテーブルに突っ伏している私を気遣ったのか、息子が側に寄ってきた。可愛い。言う事をきかない暴れん坊だが、息子は確かに可愛いのだ。

「うん、何か疲れちゃってね。ご飯はパパに買って来てもらおっか?」
「えー、元気出して。じゃあおまじないしたげる。ポテポテポテっとな」

 何のおまじないだろう。絵本で読んだ内容だろうか。全く思い当たる節が無い。
 息子はビニール袋に入っていたじゃがいもをひとつ手に取ると、テーブルの上でポンポンと弾ませた。

「ポテポテポテっとな。呼ばれて波乗りチャラポテェっと」

 何のおまじないだろう。しかも「チャラポテェ」の部分をやけに軽々しく言うものだから、思わずプッと吹き出してしまった。

「呼ばれて波乗りチャラポテェっと」
「なぁにそれ、面白いね」
「ママもおまじない言ってー」
「え、そうなの?」

 何で波乗りなのだろう。意味がわからないし、言葉に出すのは少し恥ずかしい気もした。ま、良いか。誰か見てるわけじゃないし。

「呼ばれて……波乗り……チャラポテっと」

 すると突然どこからか波の音が聞こえて来た。ざざぁという波の音が。
 思わず立ち上がり息子を引き寄せた。幻聴だろうか。

「ママー、どうしたの?」
「けいちゃん! ママから離れちゃダメ! 聞こえる? 変な音」

 波の音に混ざり、ポロロンと淡い音色が聞こえる。この音色はどこかで聞いたことがある。

「ウクレレ!」

 ウクレレの音色は次第に大きくなり、波の音よりもはっきりと聞こえる大きな音となった。

「ママー、ぎゅってきついよぉ」
「けいちゃん! 何か変っ! やだ、どうしよう……」

 夫に連絡した方が良いのだろうか。私の頭がおかしくなったのか。これが育児ノイローゼというものなのか。波の音と共にウクレレの音色が聞こえる。そんなにも海を求めているのか、私は。

「ママー、見て見てチャラポテいる。ちっちゃい。可愛いね」
「え?」

 息子の指差す方に視線を向けると、テンガロンハットを被ったじゃがいもがウクレレを弾いていた。
 いもからは小さな手足が生え、小さく白い脚を生意気にも組んでティッシュボックスの角に座っている。

「チャラポテっ!」

 私の腕を振り解き、息子は怪しげなじゃがいもに手を伸ばした。危ない! 噛まれるっ!

「おぉっと、危ねっ」

 じゃがいもが喋った。

 じゃがいもは立ち上がり、手を伸ばす息子から転がりながら逃げた。
 ごろんごろんとテーブルから転がり落ち見えなくなった。

「けいちゃん! ダメ! 危ないよ」
「チャラポテは危なくないよ。いものサーファーだもん。正義の味方だよ」
「え、何? サーファー?」

 いものサーファーって何? 何の話をしているの?

「おーい、チャラポテ。どこー? もーいいかーい」

 息子はテーブルの下やソファーの裏側を探し始めた。
 しばらく辺りをウロウロとしていると、ハッとして床に置いてあった車のおもちゃを取り出した。先程まで激しくぶつけて遊んでいた車である。赤色オープンカーのロンの方。

「チャラポテ。ロン……じゃなかった。カッコいい赤色のオープンカーあるよ。ここに置いとくねぇ」

 テーブルの下にオープンカーのロンを置くと、息子は私の元に戻って来た。
 息子にも見えているということは、どうやら私に問題があるわけでは無さそうだ。育児ノイローゼでは無さそう。それか二人とも頭がおかしくなったのか……。


続く

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