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川崎の大人紹介#3 池田航介さん[前編]

川崎のまちをフィールドに活躍している大人にインタビューをする企画「川崎の大人紹介」。若者時代のお話や、活動のヒントを川崎の若者にお届けします!

第3回目は、川崎内外を問わず様々な地域で活動していらっしゃる池田航介(いけだ こうすけ)さんにお話をお聞きしました!
多摩区にある大学に通っている池田さんは、農学部で学ぶ傍ら、様々な場所で出会った仲間とPerma Futureという団体を立ち上げ「農のある暮らし」についての活動を行っています。


1. プロフィール

池田さん_prof_note

(イラスト by はなちゃん)

2. 人生のお話(前半)

事前に紙に今までの人生をグラフ化していただき、それに沿って今までのお話をお伺いしました。

【周りに支えられた幼少期】

- 池田さんのご出身はどちらなんですか?

地元である静岡県沼津市です。父親が沼津で卸売り業者をしていて、僕も後継の8代目になります。

- そうだったのですね。小学生の頃で印象に残っている出来事などありますか?

母に無人島に1週間連れて行ってもらったり、船の旅のプログラムに1人で参加したり、毎年キャンプをしていたり。めちゃくちゃ遊んでたし、今思い返すとその頃から自然に触れていましたね。

あと、率先して何かしらやっていた印象です。1人で行動するのは躊躇なかったし、小学校とかでもなんだかんだまとめ役になることが多かったです。

- なるほど。今の活動に通じるリーダ気質はその頃からあったのですね。

そうかもしれないです。あの時からあんま変わってない。笑

ただ中学一年生になった頃、母の治るはずの病気が治らず…すごく落ち込みました。「どうしたらいいんだろう」ってずっと考えてました。

父や兄弟や周りの友達の家族までもが支えてくれて、だからこそ取り戻せたのかなと思います。周りの暖かさに触れて、「自分1人では生きていけない」と強く思ったのはこのことからでした。

- そんな大きなショックがありながら、大学受験に向けてグラフがぐっと上がっています。ここではどんな変化があったのですか?

母の死を受けて「何か、自分がやらなきゃ!」という責任感を急に感じました。ほんと突然だったのですが、人生のスイッチが入ったみたいな。

なので、勉強をめちゃくちゃ頑張って地元一の進学校に無事入学しました。

そこまではよかったのですが、中学では生徒会や部活など積極的に活動してきたのに対して、高校では入学した途端「勉強を頑張らねば!」という想いになったのもあり部活でうまくいかず。中学から続けていたバスケをしていたのですが、監督やチームメイトとうまくいかなくて結構辛かったですね。

ヤドカリ1

【辛かったけど楽しかった浪人時代】

- 浪人時代はどんな生活でしたか?

浪人時代は上京してきて寮のある予備校にいました。そこがとても厳しくて有名なところで、他室訪問もスマホも禁止だし、朝も消灯も早くて。超ストイック塾。なのでせっかく東京に来たのに、東京の夜を知らなかったんです。笑

- すごい予備校ですね。

はい。一浪目でも失敗した時はとても辛かったし、誰とも会いたくない時期もありました。でも、浪人中はとても充実した毎日で今思えば楽しかったです。

- え、楽しいんですか?

なんでかっていうと、1人じゃないんですよ。一緒に起きるし、一緒に勉強する仲間がいるから。厳しかった分濃密で、受かりたいという同じ想いを持った同志と一緒に頑張っていることに魅力を感じていました

- ここでも周りと切磋琢磨していたのですね。

結局のところ2浪もしたのですが本番に弱いこともあり、受験はあまりうまくいかなかったのですが、無事志望していた農学部に進学しました。

【念願の大学生活】

- 2浪を経て、大学入学してからはどうでしたか?

大学1年の頃は今思うとすごく視野が狭くて、ただただ野心がすごかった。浪人時代に「大学に入ったらあれやりたい、これやりたい」って毎日日誌を書いていて。それを全部ここでやってやろうと必死でした。

- 日誌!いいですね。

はい。まずは「山に登る」から。笑
あとは大学1年の時から子ども食堂を立ち上げてみたりとか、学外のプログラムに参加して海外に行ってみたりとか。ほんとに爆発したようにいろんなことして、今振り返ってみてもすごく濃密でした。

結局子ども食堂は失敗してしまって。また後でもう一度挑戦するのですが、その当時はマネジメントがうまくいかなかったんですね。「早く行きたいなら1人で行け、遠くに行きたいならみんなで行け」という言葉がすごく響きました。「1人で遠くに行こうとしてたなあ」と。

- いい言葉ですね。ハッとさせられます。

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- 他に印象に残っている出来事ありますか?

色んな国にも行ったのですが、中でもスリランカは特に印象に残っています。

現地後で話しかけられるので正直全くわからないのですが、こっちも日本語で返して、お互いずっと笑ってて楽しくて。ものも日本と比べると全然ないし、言葉は通じないのに、帰る頃にはホームステイ先の家族が泣いてくれて。「なんでこんなにものがないのに豊なんだろう」と思いました。

また、ボランティアをしていた色んな人と話していくうちに価値観が広がったんですよね。当時は自分の野心がたくさんあって自分の事ばかり考えていたけれど、周りの大学生も色々とやりたいことを考えていてすごく反省しました。自分自身が価値観を狭めていると感じましたね、もっと色んな人の話を聞こうと思いました。


【人の幸せとは?を考えるように】

- 様々な場所に出向いて価値観が広がっていったのですね。今の活動に繋がる起点はなんだったのですか?

他にも農家さんを回ったりとか、オランダへ視察に行ったのですが、そのあたりからかな。「人の幸せとは?」を考えるようになりました。

自分は母親の出来事があってから、一番は「恩返ししたい、親孝行したい」という思いでここまでやってきたのですが、「いや親孝行ってなんだ?」「幸せってなんだ?」って。

- なるほど。原点回帰。

色々考えると、先進国のスリランカで出会った家族も幸せそうだったし、どんな状況下でも幸せである人はいる。その自分なりの答えが「身近な暮らしを大切にすることが幸せに繋がる」だと思いました。そしてこの理想が後々登場する「エコビレッジ」にあると考えました。

単に父親の会社を継ぐんじゃなくて、継ぐからには「暮らしを大切にする」という社会システムを変えていこうと思ったんです。

ヤドカリ3

川崎の大人紹介#3 の前編は以上になります。
最後まで読んでいただきありがとうございました!

後編では「エコビレッジ」との出会いからPerma Futureでの活動を始めたきっかけ、活動のヒントなどをご紹介します。

お楽しみに!!

後編も読む→ https://note.com/kawa_lab_/n/nbca17c23e217

取材メンバー
(聞き手・書き手)はがちゃん(写真)なっちゃん

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