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「光は暗闇の左手」人間のひとつの理想の姿を描いた物語


これは極論ですが、もしわれわれが男女両方の役割を備えた両性具有体であったとしたら事態はどのようになっていると思いますか?
両性具有体だと仮定した場合、男性は自分もまた生理痛に苦しみ、妊娠や出産を経験し、意思に反して性的暴行の被害に遭うのだと思えば、手のひらを返して言うことも態度も変えるんじゃないかと思うんですけどね。

更科いつき 『男女は平等では確実に何かが足りない』 より引用

自分の記事から引用してどうする💧
そう思ったのですが、もう1回おなじことを書くよりもコピペしたほうが早いので。

この思いつきがどこから来たのか、書いてる時は気づかなかったのですが、偶然、たぶんここからだろうという出典が見つかりました。

アーシュラ・K・ル・グウィンの『闇の左手』です。


『闇の左手』(やみのひだりて、英語原題:TheLeft Hand of Darkness)は、アーシュラ・K・ル=グウィンが1969年に発表したSF小説。1970年にネビュラ賞、ヒューゴー賞を受賞し、ダブルクラウンを達成した。

Wikipediaより引用

2018年に亡くなったアーシュラ・K・ル・グウィンの名前は、ジブリがアニメ化した『ゲド戦記』の原作者としてのほうが有名かもしれませんね。



『闇の左手』の物語の舞台となる惑星ゲセンの人々は両性具有です。
繁殖期のケメル以外の時には性を持たず、ケメル期には誰でも妊娠する可能性があります。
そこでは地球人のように、女性は妊娠と出産、家事と育児で家に縛られ、男性は強さや男らしさ求められるなど、「性別による役割」を一方的に押しつけられることもないのです。

それはどういう世界かというと、冒頭で引用した、わたしが以前に男女平等をテーマに書いた記事のような世界なのです。

記事では、両性具有体だと、どちらが子供を生むかわからないし、保育園は各企業が福利厚生の一環で社内に設置しているはず…といった、たぶんこうなるだろうという妄想なんかも書いています。
そういうスタンスであれば本当の男女平等もあり得るけれど、現状では結婚すれば女性側の負担のほうが確実に重くなるわけで、どこに問題があるのかをはっきりさせてみたわけです。


その記事は男女平等がテーマだったので、女性側の観点からしか書いていませんが、もちろん反対側には、男はこうあるべきだという考えに縛られたくない男性だっているはずです。

もしそう出来るなら、自分で子供を産んで母親になりたいと望む男性もいるかもしれないし、子供も産みたくないし母親にもなりたくない女性だっているでしょう。

われわれが実際にそれを自分で選べる種族であれば、惑星ゲセンのように、地球の歴史からも戦争の概念は消えていたかもしれません。


『闇の左手』の設定では、王だろうが宰相だろうが、政治家も一般市民も、みんな男であり女でもあるわけです。
そこにまぎれこんだ地球人のゲンリー・アイだけが、その惑星で唯一の男性です。

惑星ゲセンの人々にとっては、男性の機能だけで、女性の機能をもたない地球人は不具者であり、年がら年じゅう発情期にある性的異常者です。
もちろん地球人のアイにとっては、両性具有のゲセンの人々のほうが普通でなく思われるのですが。


惑星〈冬〉に来てはや二年になるが、いまだに私は、ここの住民を、彼らの目を通して見ることができない。そうしようと努めるのだが、そうした私の努力は、ゲセン人をまず無意識的に男として見、それから女として見、しかるのちに、彼らの特質からいえばまったく不当な、私にとってはきわめて本質的な男女いずれかの範疇に押しこむという形をとるのであった。

©️ アーシュラ・K・ル・グウィン著『闇の左手』より引用

まぁ地球人ならそれが普通でしょうねって感じ?

惑星ゲセンは〈冬〉という呼び名も使われる凍てついた極寒の星で、それもあって、食糧事情は惑星規模であまり恵まれていません。
これは本筋に関係ないので物語には出てきませんが、そういう星で、地球のように男女に分かれた種族の男性が国のトップにつくと、どうなるか想像してみてください。

窮乏しているものは高値で売買されるのが普通です。
しかし売買するほどの量がない場合、隣国や他人のものを奪ってでも手に入れたいと考える者が出てきたりすると、高い確率で戦争になります。
地球の歴史を振り返ると、戦争は物資の窮乏と侵略を抜きには語れませんから。

科学文明以前の馬と剣と槍の装備での戦争では、暴力的な性質で、力と支配権を手に入れることを欲し、部隊をまとめて訓練で機動力を高められるような「誰か」が必要です。
さらに加えて、その「誰か」が妊娠や出産とは無縁であり、傷つくことも恐れず部隊の先頭に立って突き進んで行ける男性であれば、彼に心酔し従う者たちはいくらでも出てくるでしょう。
たとえそのなかに女性が混ざっていても、結婚や、妊娠と出産と育児が、いずれは彼女を戦争から遠ざけることになるはずです。


両性具有のゲセン人のやり方は、「暴力による支配」ではなくコントロールするか、罪人として「追放」するかです。

財産を没収されて放りだされた罪人は、友人知人や身内にも頼ることができないように孤立させられます。
追放者を助ければ罪になり、罰せられます。
極寒の惑星ゲセンの気候では、ほとんどの追放者は生き延びられませんから、それで十分なのです。

社会的制裁に小中学生のいじめを足したようなそのシステムは、なるほどゲセンでは武力で他者を制圧したりするようなこともない代わりに、男性にとっては重要な面子や権威なんかが考慮されることもないらしいのがよくわかります。

罪人を助ければ罪になるとわかっていても、こっそり援助したり助けようとする者がいたりもするのですが、そうした好意を拒絶するのは、自分が追放者で「相手に迷惑をかける」からであって、相手との関係しだいでは友情や好意をあてにすることもあるようです。
こうなると「追放」刑は緩いのか厳格なのかよくわかりませんね💧


ただ「男の面子がたたない」といった心理や、おのれの権威を盾に要求するといった考え方は、その世界には存在しないようです。
対等の立場で当たり前に役割を分担するのが両性具有のゲセン人のやり方です。
自身の男性性を意識せずにいられない地球人のアイとの対比や噛み合わなさは、アイが何故そうなのかをわかっている女性の視点で眺めるとなかなか愉快です。

地球人とゲセン人のふたりがソリを引いて800マイルを超える氷原を踏破するシーンは、ちょっと某ファンタジー作品を思いださせて、そこが長い見せ場なだけにファンタジー色を強く感じさせるようです。

SFなんだし、上空の軌道のどこかにいる宇宙船を呼ぶならここなんじゃないの?とか思ってしまうのは、わたしがハインライン作品のほうのファンだからなんでしょうね。
そんなことをすれば、クライマックスシーンが台無しになってしまいますが💦


『闇の左手』は、50年以上も前の作品なのですが、妙に新しくも感じます。
物語の世界観を緻密に作りこんであるせいで、リアル世界のそれが入りこむ余地がないのも、時代を気にかけさせない理由のひとつだと思われます。

ただ、ハインライン作品のような明快さやリアリズムには欠けるので、好みが分かれそうです。

今の時代にはこちらのほうがウケるかもしれませんが、わたしはハインラインが描く世界観のほうが好きです。


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