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最近気に入ったもの2

アートな人間になりたいー

心に余裕ができたとき、多分誰もが一度はそう感じたことがあるんじゃないかと思う。

でもクリエイティブな人間でない限り、本当の“アートな人間”になれないんだろうな。。。

そう思いながら、それらに積極的に触れていくことで“アートな人間”に近づいていると感じることにした。

全然シリーズものにするつもりはなかったが、脳内に積み上がっていくコレクションをそのままにして、ビーカーの奥底に沈殿させて忘れてしまうのももったいないと感じたので、第2弾としてお送りする。


日本酒の徳利

この前、京都に旅行で行ったときに出会ったもの。

徳利

▲中の日本酒は「寺田」

三角フラスコみたいでかわいい。

底の方からグラデーションで、
まさに日本海の色のような深く暗い青と
金箔のような金色がところどころついている。

最近は「インスタ映え」を意識してか、
綺麗な色や演出があるお酒を出すバーが流行っている。

しかし、「お酒」じゃなくて
「容器」に趣があったのは珍しい。

ガラスでできているせいか、
中に液体が入っていないと
この徳利のデザインの美しさが
見えてこないように感じた。

この徳利は、他の酒と違って
色がついていない日本酒のためだけに
生まれたんだと思う。

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私が普段、飲み会などでよく目にする
あのビールジョッキに何も感じない、
むしろ「酒は量!ガツン!」みたいな
のを感じて嫌気が差すのは、
京都旅行の徳利みたいな
“個性”がないからなんだろうか。

ジョッキの中の酒がなくなったとき、
「ジョッキの見え方が変わったな」ではなく
「あ、酒がなくなった」と
酒のことしか気にしないからなんだろうか。



求人・採用情報「センスは必要ない」

最近インテリアにハマっている(というか見るのにハマっている)ので、
いろんなサイトを訪問する。

そんな中、このサイトの求人・採用情報のページに書かれてあったことがとても腑に落ちた。

ちなみに、センスは必要ありません!
センスは知ることで身に付くものです。経験や体験を通し、そこに個性がミックスされてできあがります。一番大切なのはすきであること。

いや、本当にそうだな。

既知のもので自分の知識が構築されて、
既知のものと組み合わさって未知が理解され取り込まれる(どっかで読んだ)
のと同じ話じゃん。

センス=インプットだな。

だから、この「最近気に入ったもの」コーナーも、
インプットだと思えば“アートな人間”にほぼなっているようなもんだ。

「私センスないからあなたが選んで」とかよく聞くけど、
その“私”はセンスを磨く機会を自ら手放しているようなもんだ。
こういうのを今後誰かが言っていたら、
「あぁ惜しいことをする人だな」と思ってしまうかもしれない。


一番大切なのはすきであること。

最近見た中で一番の名言だと思う。

「好きなことを仕事に」「好きだから続けられる」とか、
好きなものを生き甲斐にしている人はこの世に多いと思う。

インターネットが発達したせいか、
youtuberとかInstagramのインフルエンサーが
好きなことを皆に紹介したり仕事にしたりしているのを
よく目にするようになって、
「自分が好きなものって何だろう?」
と自問するようになったし、
「好きなものがないといけない」みたいな
強迫観念に駆られそうな世の中になったと感じる。

私は趣味や好みが転々とする人だ。

“広く、浅く”そして“大きな螺旋階段のようにループし続ける”。

中高のとき、1つのものにのめり込んで
例えば体育祭の委員会に何年も所属している人がいたら、
私はその逆だ。
毎年、違うコミュニティに入って雰囲気だけ味わう人。

あるとき、パタッとそのときの趣味や好みに飽きたら
違う方向に伸びて、また飽きて……というのを繰り返すが、
それらをグループに分けたら、
同じようなものに戻ってきているような気もする。

昔は絵を描くのが好きで、いろんなコンクールに出していたが
なんか自分の作品が気に入らなくなってやめた。
けれでも、今はデザインという形で絵やイラストに関わっている。

全く同じ趣味じゃないから、円ではなく螺旋なんだ。

しかも、下にさがるだけじゃなくて、上ったりもする。

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「好き」から派生して、
Instagramの投稿もその人の「好き」の集まりなのではないか
と思い始めた。

最近は、写真に適用するフィルターやアプリの加工で
投稿に統一感をもたせているアカウントが多い。
別アカウントやアーカイブ機能を使ってまで
統一させる人もいるから、すごいもんだ。

今の流行りは、グレー系の色を写真に
乗算させるようなフィルターなんだろうか。
鮮やかでクリアな写真よりも、
(統一させている人の投稿は)blurな感じのをよく見る。

そういう人たちの投稿を見ていると、
自分は食べ物か景色の写真しかないし
ビビッドな色合いばかりで、
“統一感”には程遠く、なんだか悲しくなる。

けれども、
私は私なりに思い出とか好きなものを集めているんだ
と思うようになってきた。

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▲自分の投稿。(個人情報のためぼかしを入れている)

私は鮮やかでクリアーな色の写真が好きだし、
景色も「空+建物」みたいな、青が入ったものをよく撮る。

私はvividカラーのメガネをもっていて、
統一させたい人はgray blurredなサングラスをかけている。



夜のサイン

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真夏だし(といってももう8月の終わりだが)
昼間に散歩するのはちょっとキツい。
だから、今はちょうど夕方〜夜にかけて散歩している。

その方が涼しいけれど、ちょっと困ったことがある。

周囲がよく見えないし、夜になると暗くて車が飛び出してくるのが分からない。

「黄昏時(たそがれどき)」という言葉がある。
黄昏という漢字は当て字だが、
夕暮れで薄暗い中、辺りが黄金色に輝く時間のことを指す。

中高の古典の時間?で「たそがれ」は
「誰ぞ彼」から由来していることを知った。
夕方の時間で、ちょっと灰色っぽい夜の色が差してきて
誰の顔か見分けがつかないのが黄昏時。

逆に、明け方は「かわたれ(彼は誰)どき」と言うそうだ。
英語にはない日本語の美しさを見た気がする。

私たちは普段、無意識に「夕方」と「夜」を使っている。

朝と昼と夜は、
見分けがつくし
時間帯で区切ることもできる。

じゃあ、夕方と夜の違いは何だろうか。
夜はいかにして「来た」「始まった」と感じられるのだろうか。

私は、
マンションやビルや家の屋内の照明が
外から見えるようになってきたら
「夜だ」と感じることに最近気づいた。

太陽のオレンジ色の光が当たって
建物や窓が黄金色に輝いた後、
昼間はついていなかった/見えなかった
電球色が見えるようになる

ーそれが私にとっての夜のサインだ。

昼間は地面と建物と空の境界線が明確だったのが、
夜になるとその3つの境界が1つの闇に溶け込んで
内側からの光が存在感を放ち始める。


他の人たちは、どんな夜のサインを受け取っているんだろうか。
ちょっと気になった。


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