文体迷子、の話。

noteで記事を書く時に、どんな口調で始めればいいのか定期的に迷う。
口語か文語か。ですますなのか、そうでないのか。
面白おかしい日常をお送りできればいいんだけれど、書く内容について再々悩んでは下書き保存ばっかりしているんだから、それなら書きやすい方で書けばいいだろう、とりあえず。
と脳内会議ではそんな意見が過半数を占めている。構成員「私」のみだけど。他の誰かがいたら怖いわそんなん。イマジナリーなんとかさんを召喚できる技量がないんだから。
先月だか先々月だかに「心にいつも右京さんを」とか言っていたけれど、右京さんだって常勤ではない。思い出した時に出勤なさる非常勤ばかりで支えられている。そんな頭の中。何の話だ。

私はしょっちゅう迷子になっている。文体迷子、手帳迷子、筆記具迷子、人生迷子、道で迷子。壊滅的な方向音痴の為、本気で北に何メートルとか言われてもわからない。地図アプリに助けられる前は、目的地の地図を印刷して観劇遠征にも行っていた。今思えばそれでよく池袋⇔新宿をマチネとソワレの合間に往復したもんだ。唐突に今は無き相国最中を買ってきて欲しいとお使いを頼まれ、距離感もわかっていないのに買いに走ったのだった。東京の地下鉄、駅名が同じなのに路線の乗り換え時「○○線はこの先1000メートル先」とか何の罠かと思ったわ。それ1キロや……。そんなこんなで冬なのにソワレの開演前に着席した時は汗だくだった。その時の隣前後の方々、正直申し訳なかったな……。例の感染症流行以前の話である。
物理的に自分が迷子になったり、ボールペンやらホッチキスをどこに置いたかわからなくなって迷子にしたりとそんなことは再々あるのだけれど、文体迷子はいただけない。だって書き出しずらい。最近日記をデコしたいのにどうしたらいいのか急にわからなくなって白紙を前に途方に暮れるなんて状態なのだけれど、文章のみの記事を書くのにも白い画面を前に途方に暮れるなんて。どれだけ迷子になれば気が済むんだ。

多分、きっと、迷子からの脱出方法が皆知りたいんだ。人は何かしらいつも迷子だから。
でも脱出方法を見つけられたと思う前に、気付いたら何かふんわり次の地点に立っていて首を傾げることになるのかもしれない。私は割と大抵そうである。迷いすぎてみたくないと思った手帳の一ページが、数か月後に覗けば何だか味があるような気がしてくるのだ。
結局迷うっているのは、選択肢がまだあるっていうことなんだろう。それはある意味幸運なのだ。と、思いたい。

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