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無責任と責任の間にある「微責任」

SDGsで掲げる「誰も取り残さない社会」は、自分が住まう街、神奈川県川崎市での「こすぎの大学」や「川崎モラル」というコミュニティ活動や、NEC未来創造会議でのコモンズ(共有財)やコモニング(合意形成)などの議論を通じて、「誰もが未来社会に関与できる社会」と解釈し、これを目指すべく各種活動に取り組んでいます。

自分事(I)も、仲間と一緒に楽しみながら取り組むことで自分たち事(We)になり、それが地域事・社会事・未来事に広がっていく。

自分たち事(We)として捉える時につきまとうのが「責任」というやりがいでもあり、プレッシャー。

無責任だと他人事になってしまう。(全)責任だと主体者の一人ではあるものの、負荷が重すぎる。ちょうどいい塩梅の責任感を模索していたところ、出会ったのが微アルコール飲料。緊急事態宣言化でも店内で提供可能なアルコール度数0.5%のノンアルビールでなく、微アルビール。

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無責任と(全)責任の間にある「自分たち事」(We)で感じられる責任感の比率。2割くらいかなぁーと思考を巡らせていたのですが、0.5%程度がいいんじゃないかと。

例えば、こすぎの大学。毎月第2金曜日の夜、19:28-21:15に開催。約100分。参加者の方々は、地域の仲間と交流を深めながら楽しく地域課題に向き合ってアイデアを共創する。アイデアをその場限りにせずに、なんらかのカタチでいづれ具体化する。約100分のイベントの内、30秒でも自分の中で「なんらかのカタチでいづれ具体化しよう」と意識してもらうくらいがちょうどうよさそう。100分の内の30秒。0.5%。まさに微アルコール飲料と同じ比率。

無責任と(全)責任の間にある自分たち事(We)で感じられる責任感を「微責任」と呼ぶことにしよう。0.5%という責任感だから限りなく無責任に近いけど、0ではなく0.5だから仲間の0.5と紡ぎ合わせ続けることで大きなチカラになる。

微責任を感じながら自分たちで創り上げたコモンズ(共有財)は柔軟性に満ちていて、きっと未来社会や関わる人たちをウェルビーイングにするような気がします。

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