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英語教育者としてのキャリアは終えたものの、結局イギリスには導かれなかった話

気付けば前回の投稿から数年経ち、そして今はインドネシアで生活をしているという、相変わらずのフッ軽な人生を好奇心Drivenで過ごしています。

今回noteに投稿しようと思ったのは、前職の英語コーチングスクールを退職しようと思ったきっかけを整理したかったからです。また、その話をするうえで、今回もイギリスに導かれなかった話は避けられないので、いろいろな自分の現状の整理も込めて記事にしようと思いました。

英語コーチングスクールの退職

2021年の3月末に入社した日本初の英語コーチングスクールであるPRESENCEを2023年の8月末に退職しました。正確には7月末が最終出社で、8月はまるっと有休消化となり、10年来の親友が住む台湾や、東南アジアをプラプラしておりました。

ちなみに英語コーチングに関する思いや、入社に至るまでの内容はこちらの記事に長ったらしくまとめています。死ぬほどヒマな方はぜひどうぞ。

英語教育に、コーチングのアプローチを取り入れた英語コーチングという日本独自のサービスを自分で体現すべく、コロナ禍真っ最中のベトナムから日本に戻ってきて、単身で上京しました。

無我夢中で働き、気づけば全コース、全レベルを担当するようになり、クラス担当以外でも、育成や教材作成、ウェビナーの登壇や動画編集やクリエイティブ作成、ブログ執筆など、なんでもやってました笑。

そして、自分の中の結論が出ました。

「コーチングを取り入れた外国語学習が外国語習得の最先端の学び方であるという自分の確信は間違っていなかった。そして、自分はこれ以上できないことはもうない。」

生意気にも、こんな達成感と満足感、さらに言えば、なにやら物足りない感情を持ちました。

クラスの満足度も正直ぶっちぎりで高い自信がありました。まあ各コーチに色があるので、コーチ間の比較はあまり気にしないですが。

英語コーチングという唯一自分が体験したことがなかった教育形態に打ち込み、結果を出したとき、もう自分ができないことはなくなってしまった、という感覚になりました。

実はこんな感覚を持ったのが、働き出して1年半くらいたった2022年の7月末くらいでした。

早いだろ・・・

熱しやすく冷めやすい体質なのかもしれません。

次の道を意識した瞬間

2022年の7月、安倍元首相が暗殺されるという、平和な日本では考えられないような残念な事件が起きてしまいました。その時、ふと自分の人生の終わりを急に感じました。

自分もいつ死ぬかわからない。

極端ですが、そんなことを思いました。
そして、いつ死ぬかわからないなら、自分が満足する生き方をしないと。そんなことを、改めて自覚することになりました。

英語コーチングでやり切った自分が、次に目指していたこと。
それは、教育の分野で発展途上国に貢献することでした。これは、PRESENCEに入社する際にも面接で伝えていたことです。そして、実行に移すタイミングが今まさにこの瞬間だと感じました。

実行に移すうえで、そのまま世界に飛び出しても良かったのですが、せっかくなら専門的に学んでみようと思い、もう一度大学院へ進学するという選択肢が浮かびました。

すでに英語教授法の修士課程はイギリスの大学院で修了していましたが、オンラインでコースを履修したこともあり、現地での生活をしたかったという心残りがあったのは事実です。そんな以前の大学院進学に関する内容はこちらのLinkから見れます。

大学院で本気で勉強に集中して、同じ志を持った世界中の人間たちに出会いたい。そんな思いで大学院進学をもう一度目指すことを決めました。ここまで約3分ぐらいでの決断でした。

早すぎるだろ・・・。

私が興味がある発展途上国と教育に関連する学術領域で、教育開発という存在を知り、イギリスのUniversity of Sussexという大学が世界でNo.1だったので、迷わず単願で出願することにしました。そして、自分の想いを会社の上司にも共有し、退職の意思を伝えました。この時点で、2022年の7月末だったと思います。

結局イギリスに導かれなかった話

Sussex出願に向けて、準備は色々面倒ではありましたが、以前経験したことではあったので、比較的スムーズに進みました。IELTSのスコアやエッセイの作成、推薦状の作成も問題なくでき、無事にUnconditional Offerをもらうことができました。2022年の12月くらいだったと思います。

自分の合格は信じて疑いませんでしたが、単願でアプライするという話を留学のエージェントに話した際に、担当の方は引き攣った顔で絶句していたので、あまり良い選択肢ではないと思います。大学院進学を考えている方の参考になれば・・・。

ただ、ここで問題発生です。
当初、出願を決めた時点ではイギリスポンドのレートが約145円くらいでした。最悪自費になったとしても、600万円あればいけるという計算で、奨学金にひっかからなくても行こうと思っていました。

ところが、そこから凄まじい勢いで円安が加速し、気づいた時には170円を超えていました。12月に再度計算してみたところ、当初見積もった金額から100万円くらいは上振れしており、これは自費では無理だとちょい焦りがありました。

ちなみに2024年の1月現在では1ポンド188円というとんでもないことになっており、日本は経済的地位をもう失ってしまったと悲しい現状に見舞われております。(個人の感想)

話を元に戻し、結局自費で留学は厳しいので、奨学金にすべてを委ねることになりました。少額のものにいくつかアプライはしていますが、メインは世界銀行の奨学金でした。教育開発の内容的にもマッチングし、そして何よりほぼ全額カバーしてもらえる奨学金です。

そして、その奨学金に全身全霊を注ぎ、いろいろな方にサポートしてもらいながら、3ヶ月くらい時間をかけて申請をしたところ、見事に落ちたわけです。

このメールを受け取ったのが2023年の5月でした。不思議と悔しい気持ちはなかったです。

なので、借金をしてでも、何がなんでも留学するという気持ちもなく、今回もイギリスには導かれなかった。留学は今ではないんだな、と思い、メールを受け取ったその日に、留学は取りやめることにしました。

世界銀行の奨学金は、アプライすること自体が非常にハードルが高く、推薦状も3人必要になります。他にもいろいろ文章を英語で用意する必要があり、自分が伝えたいことのニュアンスがブレないように、何度も頭を悩ませてアプライしました。

とにかくできる準備をし、自分の人生をすべて懸けて臨んで、それでダメなら、ダメなんでしょう。そんな非の打ちどころのない、完膚なきまでに振られたわけです。

大学院合格のデポジットで、34万円を4月くらいに払っていたので、勉強代か・・・。
このお金だけはちょっと執着しそうでしたが、すべて理解したうえで、デポジットを払っていますので、諦める以外になかったです。

人生は今を全力で踊るダンスのようなもの

そんな文章が、ひと昔流行った「嫌われる勇気」に書いてありましたね。
過去なんて存在しないし、未来もわからない。かけがえのない今というこの瞬間を全力でダンスする。

そんな文章だったと思いますが、私もそんな生き方をしています。
イギリスに行きたかったのは本音ですが、全力で準備をしたものの、結局導かれなかった。パラパラを踊るOPのコナンばりに全力で踊ったものの、辿り着かなかったわけです。

計画は計画でしかないし、その通りに行かないことも当然あります。なら、自分ができることは別の道で、また全力でダンスするのみです。

日本で英語教育を続けるという選択肢はありませんでしたので、発展途上国に教育で貢献するという人生の目的に向けて次の道を見つけよう。そう思って、また一歩踏み出すことにしました。世界銀行の不合格をもらったその日に。

切り替え早すぎるだろ・・・。

ということで、会社の退職と、イギリスへの留学を諦めた話はこれにて完です。また次回の更新では、インドネシアに来ることになった経緯や、インドネシアでやりたい教育事業についてまとめていきたいと思います。

もろもろSNSもやっていますので、プロフィールからフォローしていただけると嬉しいです。気ままに今の自分の考え方やライフスタイルを発信しています。

ちなみに英語教育は1つの自分のアイデンティティとして、今でも土曜日限定でやっています。サポートをもしご希望の方がいれば、ご連絡ください。


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