【子育てむずかしいんじゃ】2024年バレンタインディはピクミンとマリオカートを褒められる
2月14日は不思議な日だ。
私が生まれた時よりも前からイベントが設立されており、「世間体的に女子が男子にチョコレートをあげる」という無情な設定があった。そして3月には「男子がお返しとして飴をあげる」なんていうフラグを立てるという。そっちも思っていただろうが、こっちも思っていたよ。もうね。大変。
チョコにも分類があった。「義理チョコ」は一応あげといてやるかみたいな設定「本命チョコ」は好きな相手に。そんな感じだったっけ。大変だよね。これ。
「ワッシはアニキに返さなきゃいけない恩義があるんでさぁ・・・」の「義理チョコ」ではなかったし。「ホンマわしはあのアニキの為なら「命」はれるんでさぁ・・・」の「本(当に)命(はれる)チョコ」でもなかった。なんか血生臭えな。この設定。
とかく、ルールというか世の中的な流れがあったせいでそれを楽しめた人もいれば、それを苦痛に思っていた人もいるだろう。私が逆の立場だったらすごく嫌だったと思う。「義理チョコ」なんて定義が深すぎる。いっそ私が提唱した「恩義チョコ」の方がまだ話がわかる。だって恩義があるんだから礼儀をもって返せばいいだけだ。本命はわかりやすいけどね。命はれるんだもん。シンプルだよね。うん。
昔ではキャッキャと学校でそんなの渡したりもらったりしていた。私は一応生物学的に義理をもらえる分類にあったようだ。今考えると驚きではあるが。ただ私の同年代もその辺りはちゃんとわきまえていたと思う。チョコを溶かした後、お湯を加えて濃度をかぎりなく下げて「ギリ(ギリ成分的に)チョコ(と分類される程に薄い)」を作って私にくれていたのだと思う。そうやって聞いた言葉を当たり前のように「義理チョコ」だと思うなよ?お前がもらっているのは「ギリギリチョコと分類される物体だぞ?」というウィットにとんだジョークをやってくれていたに決まっている。準チョコレートを超える。ギリギリチョコレート。手が混み過ぎててもはや尊敬である。
しかしまぁ今の時代だったらそんな小包を学校に持って行ってしまったら「テロ」扱いされてしまうんじゃないだろうか。関与を疑われてしまうんではないだろうか。勉強に関係ないものを持ってきてはいけない。先生のホイッスル(首からかけている)に反応して爆弾処理班が窓ガラスを割って飛び込んできて、全員避難。エスケープフロムホームルーム。日直の子は泣いている。図書係の子は今日は休み。仕事人はハンドサイン後に、私の娘の小包をチェック。開けてパクリ。うまい。いや!!!食うなよバカ!!!仕事しろ!
まぁでも多様な価値観は世界の広がりと共に一気に拡散する。会社という謎のジャングルでチョコレート配るなんてそんな事を気にしなくなって久しい。すごくいい事だと思う。っていうか、そんなこと言うんだったらもうこの世からバレンタインというイベント無くしてしまった方が話が早いんじゃないかなとすら思う。チョコレート会社の人たちには心苦しいが。
大変じゃないと思う人もいるのだろうけど。大変だと思う人もいると思う。
悲しいことに私の娘たちはどこで覚えてきたんだか知らんがチョコを男に渡すという文化を知っているようだ。まぁ渡す相手は私だからギリギリ許すとしよう。本音を言えばそんな事をいちいち考えるのは大変だから感化されて欲しくなかったのだけど。
っていうか。妻。
妻は昔から「なんで会社でチョコ配らないかんの・・・?なんでなん・・・?」と疑問を呈していた人物であり、彼女が大統領になったら「二月十四日は無理やり祝日を設定してその日を働かないようにさせてめんどくせえイベントをパスさせる」とか「2月にチョコレートを食べたものには罰金を」とか「でもチョコレート禁止にしたら闇チョコが出回るか・・・」など政策と法整備を考えながら日本の未来を憂いていた。抜群のリーダーシップを誇りそうな空気ではあるが、2月しか働かなさそうだから当選は無理だと思う。
そんな妻も娘が意気揚々と「お父さんにチョコレート作るんダァい!」なんて事を言っているのを聞いて見事な表情を浮かべる。
「ダルい」
もし、美術館にそんなタイトルの彫刻が存在したら彼女は見事に再現できていると思う。モノマネ上手。ダルいのデパート。ダルダルダルダルダルメシアン。
しかし父に何かしてあげたいと言う子供の思いを無下にすることはできないため、妻は渋々。いや。苦渋の決断。もしかしたら舌打ちの二、三発はあったと思う。結果チョコレート菓子作りをすることにした。私の目の前で。
そうやってできたチョコレートは来たる2月14日。私の机の上に置いてあった。わざわざ子供たちの手紙を添えて。
こう言ってはなんだが、手紙はいつの時代でも嬉しいものだ。妻が文房具大好き芸人であるためレターセットやらスタンプやらシールやら小包やらなんでもかんでも持っている。妻も娘たちによく「お手紙を書きなさい」と言っている。言葉に普段できないものは文字に起こすことができる事を理解している。
・・・ただ妻は自分が手紙を作るのは好きだが、文字に起こすのは下手くそということも理解しているため。文面を考えると正味1ヶ月ぐらいかかる。メールの返信ですら1週間ぐらいかかるのだ。こういう人は言葉にした方が早い。うん。
こっちは、上の娘か・・・なになに
「お父さん、この前ピクミンをやらせてくれてありがとう。大好き」
えーと。
こっちが下の娘か・・・
「お父さん、マリオカート楽しいよ。ありがとう」
・・・任天堂に何かされたか?
いや、分かっている。最初に言っておくが別にこれが悲しいとは思わない。
ただつい最近「ピクミンの体験版」をダウンロードしてやったら子供たちの食いつきが異常によかったこととか、普段我が家は全くゲームをやらないので、お父さんが家にいてちゃんと勉強も終わって、ご飯も食べて、歯も磨き終わって、お母さんも参加できる(これ重要)ときに、みんなでマリオカートをね週に一回ぐらいやることがある。
普段本とかおもちゃくらいしか与えられていない子供たちの食いつきはが非常にいい。そりゃそうだ。自分も小さい時ゲームやってたもん。制限はあったけど、本当に楽しかったもん。
ので、私は家族でゲームをするようにしている。ゲームという思い出に家族の姿があるように。一人でやるだけでなく、一緒にやる人がいれば楽しいという事を、文句を言い合える人がそばにいることの大切さを、たまにの暴言がどれぐらいのレベルか測るために(反射的にでる汚い言葉を確認しておきたかった)
ということがあるのではあるが・・・そうかピクミンとマリオカートか・・・っていうかこの文面だとお父さんじゃなくて「大好き」がピクミンにかかっていない?マリオカートの話だってそうだよね・・・?ともすればこれはお父さんに「好きだよ!」って伝える手紙じゃなくて・・・
「お父さん。私ピクミン好きだよ」
「お父さん。マリオカートって楽しいよ」
・・・報告だと・・・?
バレンタインデーにそんな面白メッセージ添える文化あったかしら。令和ならあるのかしら?小包と一緒に添えられた一枚のメモ「本日は晴天であります」え・・・どういうこと?報告?チョコと報告?なにそれバズってんの???どうやってバズらせたの?いや、あれか晴天だと報告が過ぎるか・・・「好きです・・・北海道」みたいな感じか・・・北の大地への思いをチョコと一緒に乗せて???乗せてファラウェイなのか?空へ羽ばたくのかそれ?ダヴィンチコードみたいな難解なやつにならない?それってさ!!!
まぁそれは冗談で。
娘たちのメッセージはとても可愛らしいものがある。それがピクミンだろうとマリオカートだろうと。ゲームだろうと、ゲームじゃなかろうと。
「わたし、こんな楽しいことがあってさ!」
という表現なのだろう。つまり報告か。あってたわ。
もっと奥ゆかしい表現の方がいいのだろうか。ゲームの話じゃなくて学校がどうとかそういう事を言った方がいいのかしら。みんなそういうのだろうか。
誰かに手紙を書けと言われて誰だって書き出し、書き初めは難しい。ともすれば子供たちはお父さんに言いたかったこと、本人たちの楽しかった事を初めにお父さんに伝えたかっただけだと思う。ピクミンだろうとマリオカートだろうと、何か伝えたい言葉を。それを必死に考えて出てきた言葉だったらそれをこちらはありがたいと思わなければ。なるほど。文字が多いって言うのはどんな内容でも、伝えようとしてるって努力の証か…頑張ってるねぇ。うちの子。
チョコを一口。うん。美味い。いつもありがとう。家族。
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