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【人生に波瀾万丈が無い話】長い長い道の足元に、花を植えてみようと思うのだ。

ふと思うのだけど。私の人生って・・・特に何もない。特に何か大きな不幸が起こった事が無い。ラッキーだ。多分。

回復が難しい大病にかかったことはない。チャリンコでこけて骨折したことはあるし、なんかいじめられたこともあるし、彼女とのデートで寝坊して3時間遅刻したこともあるが・・・人生の転機になるような大きな出来事も。大きな恩がある師もいないし・・・大切なものが・・・んなことを言ったら家族に怒られるのだろう。まぁ家族や親友も大切なものであることは相違ない。ホントだよ。


幼稚園、そして小、中、高を経て、四年制大学を卒業し、就職して、転職した。結婚し、子供も生まれた。



「良い」文字や言葉を残す人達は何かしらの試練等を経て、大きなイベントを通し、大きく人生の道を進んでいく。私とは違う何か困難な道を歩んでいく。そこにはどんなものが待ち構えているか。彼らは望むのか望まないのか。それは私ではない誰かが知っているのかもしれない。





私にはそういうものが何もない。



世に言う普通という表現は使いどころの難しい言葉だが、おそらくは普通。どっちかと言えばイージーな方で過ごしてきた。色々あったはずだけど。いつ見ても波瀾万丈をいつも見ている側だった。




私を作る多くのイージーな出来事、それらで支えている私の言葉は軽い。
当然私が苦労していると思う出来事よりも大きな苦難や苦悩、はたまた命を考えるような出来事そんなことに出くわしている人々の方が誰かに大きなものを与えられる人になるのだろうなぁ。うん。




誰かが涙するような、悲痛な出来事。絶望。ツライ。私なんかが涙する出来事はそれらに比べてとても軽い。毎日をどのように皆が過ごしているのか分からないが。何かを伝えようとするとき私の文字はどんな風に踊っているのだろうか。彼らが激しいモノを表現、優しいモノを表現しているようであれば、私は子供のお遊戯会みたいなものだ。





よく考えてしまう。



でもそんなことを言ったとしても、自ら不幸な出来事に体を預けるのは気が引ける。そうやって当たり障りなく、無理のないように生きてきたつもりである、無理のないように親にも言われてきたし、大きく反対された無茶なことは多数あった。同じように無茶な事は妻にも止められた。私の人生だと突っぱねることなく、彼ら、彼女らの人生が穏やかであってほしいと思う事もあった。





私はあの時、自分というものをどのように見ていたのだろう。




無難に生きるという事はつまらない事なのだろうか。私がどれだけ苦悩しても私の言葉は何処までも重くならない。物事に質量があるように、自分の言葉をそれっぽくこねてみても、それを伝えようとしても手に乗った綿毛のようにどこに定着するでも無く、ただ宙に舞う。




・・・そんな日常を多くの人が歩んでいると思う。それはそれで幸せな事なのだろう。トラブルに巻き込まれる事の大変さはトラブルに巻き込まれた人だけが良く知っている。それを「なんか、事件でも起こらないかねぇ」なんて能天気に言っている人間が居たら激怒されるに決まっている。




それでも多くの人は「何か起こらないかしら?」と自身の生活をつまらないものと認識して毎日を過ごす。例にもれず、私もその多くの人に入るような何にもない人間なんだろう。日常はそこそこだ。そこそこだから、日常であり、毎日だ。

それは悲しむべき事なのか、喜ぶべき事なのか。






よくわからない。



ただ、毎日何か面白いとされる出来事がおこらなくても、物事に角度をつけて面白がることができる。と知ったのは働くようになり、自分に何も無いような感じがしてからだ。

生き急ぐとは、何かをやって燃え尽きる事ではなく、あれもこれもやってみたいし、自分に残された時間がなんぼのモノかよくわからないから、「生き急がねば」という風に思う。そしてそれは自分以外にの皆にも言える事ではないのだろうか。

家族、親友、同僚、彼らの姿が此処から忽然と姿を消し、何処を探しても反応がなくなる日は予定されていないし、知らされていない。それが明日かもしれない、寝て覚めたらかもしれない。今この瞬間なのかもしれない。



伝えておけばよかった言葉というものが多くの人に沢山あるだろう。それを届けられなかったと嘆く人も多くいるのだろう。それを伝えられる環境に居るにもかかわらず、私たちは自分たちが明日、そして今、1秒後に此処に居てそれを伝えられると疑わない。

家に帰れば、家族が居る。ご飯が食べられる。テレビが見られる。



この状況で「生き急ぐなよ」なんて言われても、うんとは言えない。私の明日の保証、今の保証は残念ながらどこにもない。ちょっとイライラした人が私にとびかかってくるかもしれない。だから外に出ないなんて言う風には思わないが、世の中にはいろんな人がいて色んな感情が飛び回っている。いいものもあれば、傷つけるものもある。





「わしに教える事は何もない」


老人はそういうのだろうか。あらゆる漫画や作品で見たことのある台詞。教える事、伝えたいことがない人間は現実にはあんまりいないような気がする。これは、漫画の、紙の中での話だ。多くの人が「やり切る」事は無い。やり切ったと言い放ったその先は命というものが続く以上、何処までも続く道みたいなもんで、ゴールだと思ったそこはスタートだったりする。途中だったりする。何度も切るゴールテープの先にはぐるっと回るトラックみたいに実は一周していたりする。何度ゴールテープを切っても、そこは便宜上定められた「ここまで」という区切りであって、終わりではなかった。


友人達。

もっと遊びたかったといっても遊び足りないのだろう。
もっと笑いたかったなぁと考えても言葉に出さなければ、明日会える約束はできない。私は彼らにどんな言葉をかけているだろう。

家族。

妻にありがとうと毎日言っても多分足りないのだろう。
子供によくできたといっても多分足りないのだろう。
あーもう!うるせえ!と言われるぐらい言っても恐らく私が遠くに行くときにはもっと褒めて欲しかったと文句を言われるような気がする。どちらにせよ。私は文句を言われる。


そして、私の両親。

育ててくれたことを感謝してもその場で親がホロホロと崩れてしまうわけではない。
大人になった今、彼らに頭をなでてもらうような事は無い。これからは彼らに支えてもらうのではなく、私は彼らを支えていく。そうやって彼らが自分の親にしてきたように。代わる役割。


・・・であれば、私の中にあるだけの言葉をちゃんと伝えて、終わりのない道のりが少しでも楽しい道であるように飾り付けをしていきたい。


道に花を植えよう。美味しいものを食べたという印をつけよう。時折ある失敗は悲しい目印にせず、しばらく歩いた後、振り返って遠くから笑い話にできるようにしよう。遠くから見たときに、悲しかったものに見えないように面白い絵を添えておこう。失敗はいつもいびつで綺麗な形に見えないからこそ、後々笑いに熟成されるのだろう。


母は、私の小さい頃がどんな子とだったか、もうあんまり思い出せないと言う。彼女が歩いてきた道を思い出せない事に少し寂しさはあるが、そりゃ歩いてきた道の距離が長いんだから遠すぎて見えねえわ。って無理もない話であって。


だとすれば、今目の前。足元に花を植えておこう。ここなら今から見て凄く距離が近いから。小さい頃好きだった母の料理の感想。今ここで食べたことを美味しいよと伝えておこう。母の料理が今も美味しいという事をちゃんと渡しておこう。

思い出せなくなるのは、また距離が開いてからだもの。すぐ思い出せなくなっても、大丈夫。また足元に花を植えればいい。そうすれば少なくとも今歩いている場所で座り込んでも、花は見えるでしょう。

それを見れば、遠い過去が見えなくなったって、今はそれほど暗いものではないんだと考えられるんじゃないだろうか。



だから私はどうでもよいことに想像を膨らまし、何かしら面白い事にならないかと考える。どうでもよく、力が抜けるようなくだらない事に、私の言葉を添えてなんだかおもしろいことがあったなぁと振り返れるようにしておく。

だから自分の足元にも花が植えるようにしていきたい。

疲れて下を向いたとき、ここに何もないと思わないように。
過去が真っ暗で笑えなくっても、今、立っている足元が照らされていると分かるように。

前を見てそこにも花を植えればいいかと進めるように。

私ではない誰かの道にそんな風に花が植わっていたら良いなと思う。私は私の何もないような人生に今日も花を一本添えようとするのだった。

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