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未来に希望が持てる社会へ 〜若者が描く資本主義の未来〜

1.あの日

System Change 
2018年12月、私は真冬のポーランドにいた。COP24と呼ばれる気候変動の国連会議が開かれたカトヴィツェというその街は、石炭の採掘によって繁栄した街だ。

COP24の会議「パリ協定のルールブックについて議論」

「この街の人々の大半、祖父も父も皆、石炭産業に関わっていたが、時代は変わった。街を盛り立てた先人に敬意を払いつつ、今この街は根本から変わらないといけない。」そう語る街の同世代の青年の言葉に、私はとても感銘を受けた。

過去の否定ではなく、過去を受け入れ、乗り越えていく、今社会に求められているのはその覚悟なのかもしれない。

「System change not Climate change」若者が声を上げ、その時横断幕を掲げた。私は社会の「System」を変えるという言葉の重みを噛み締めていた。

 COP会場で訴える若者たち


私たちは成長を知らない
私は成長の意味を教科書的に知っていても、その実感がない。不自由ない生活に感謝するも、日本の「失われた30年」の中を生き、成長の成功体験がない。そんな私達にとっては、経済成長をある種斜に構えて見てしまうことは至極当然のことだ。

小学生の頃覚えているのは、ある日の学習塾からの帰り、大人が例外なく俯き様に下を向いて歩いていて、とてつもなく社会が暗いことを直感的に感じたことである(それがリーマンショックだったことは後に知る)。また、大学生時代のある日に、バックパックで行った「豊かになっている」国で、果てしなく続くゴミの山を歩き続けたことも忘れることができない。

この平坦な島では、最も標高の高い地点がゴミ山という(マーシャル諸島)

人口や経済が拡大を続けるというのが当たり前ではない時代に突入して以降も、人々は経済成長が解決策だと信じてきた。何のための成長なのか、果たしてこの道は正しかったのだろうかと混乱するばかりだった。大人が信じていた資本主義とは何だったのだろう。

2.資本主義の未来


資本主義がもたらしたもの

古代から人類は集団を成し、共同体として連帯していたように思う。自然と繋がり、その恵みに感謝して食糧を分けあい、仲間と繋がり、外敵から共に身を守り合った。その繋がりから外れることが死を意味したため、人が最も耐え難いのもまた孤独なのだろう。

資本主義は、所有を認め、競争を通して個人の努力や実績が報われるようにすることで、個人に決定権を与えたという意味では画期的だった。これにより、社会は生産性を高め、人類は物質的な豊かさを手に入れた一方、人や地域、自然との繋がりは希薄化したように思う。どこの産地か分からないものを食べ、都心に住んでも隣人の顔も分からない、生きるために孤独にお金を稼ぎ続ける、そんなことが常態化し、生活は便利になっても、消耗し始めていることに人々は気づき始めているのではないだろうか。

思えば、資本主義の指標の一つであるGDPは、人々の想いや繋がりが考慮されていない。私が休日にゴミを拾っても、近所の子供の面倒を親御さんの留守に見ても、GDPには含まれない。人々の思いやりがある社会とない社会のどちらが豊かな社会かと問われると自明なように思うが、GDPという指標はその問いに答えられない

私自身、そうは言ってもなお、資本主義は、元来人々を幸せにするために生まれた物だと考えている。地域共同体における物の交換手段として生まれた貨幣を用い、人々に多様な生き方の手段を与えながら、競争によって社会を進化させてきた。なにより資本主義によって達成されつつある物質的満足はかつての私たち人類の宿願であったはずである。しかしながら、私達が今求めているのは、更なる物質的な豊穣ではない。人間の可能性を信じ、繋がりを取り戻していくには、私たち人間自身のために時代にあった資本主義に改変し、過去を乗り越えていくことが必要なのではないだろうか。

地球の有限性に着目した経済
私が小学校3年生の夏休み、自由研究のテーマで「地球温暖化」を設定し、入院する病院のベッドで出会った「成長の限界」という本は、社会の有限性を訴えていた。人類は、際限のない青天井の成長を信じることで地球を破綻させてしまう、そう感じた時に私は「人々を救うのに最も大事なことは、「より多くの人々が住める地球」を作ることであり、そのために地球環境は大切なのだ」と、初めて環境問題に興味を持った。

小学校の自由研究にて

社会の有限性に着目すると、視点が根本から変わる。無限に増えていく貨幣総量ではなく、限りある自然資本に目が向けば、未来のあるべき姿から逆算(バックキャスト)できる。そして、未来への負荷が見える化されると、途端に当事者意識が生まれる。そうなれば、「どうすれば元通りになるか分からない、限りある自然を壊し続けていくこと」なんかとてもじゃないができないだろう。私たち人間は、そんな生命の織りなす、自然の有限性と繋がりをベースとした新しい経済を作り上げる必要があると思うのだ。

自然とともに人間中心の精神性を取り戻す
「我々は何故詩を読み、書くのか?それは我々が人間であると言う証なのだ」私が好きな「いまを生きる」という映画の一節である。

高校生の頃、感銘を受けた「いまを生きる 原題『Dead Poet Society』」

便利になり、明日の食糧を気にせず生きることができるようになってきた人々は、より生きる意味を求め始め、自分探しの旅に出るだろうと思う。歴史を振り返れば、そうした人間の想いの融合が文化の源になってきた。

一方で、なぜ世界にはこれほど多様な文化が、人類という同一種によって生み出されているのだろうか。私は、「文化は『その土地』に生きる人々の心の原風景」であり、土地と人の組み合わせの数だけあるからだと思っている。この抽象的な描写で私が伝えたいことは、人間の精神性の源泉は、常に地球環境にあるということだ。

人々の生理的・文化的な営みは、その土地独自の気候と自然が人の心に共鳴して織りなすものである。そう考えれば、地球環境を守ることは、人間を守ることにもつながるのは自明なことではないだろうか。

欲望を手放せない人間
これまでのキーワード、人々の繋がり、有限な自然資本をベースにした経済、自然とともに人間の精神性をより豊かに取り戻すことは、何も原始時代に戻ることを意味しているわけではない。そもそも私たち人間の欲望から資本主義は生まれてきたのだから、その本質を簡単に手放せるほど人間は強くはない。

私が提案したいのは、私達が歴史を通して明らかにしてきた資本主義のエッセンスを残しつつ、社会を再構成していくことである。これまで以上にテクノロジーは進化して人類は雑務から解放されるだろうし、人々は自身の生活の豊かさにこだわるだろう。一方で、人々は、明日の食糧ではなく、自分の生きる意味に悶え、やりがいを見出しながらモチベーション高く切磋琢磨し、仲間と繋がり、成長していく。限りある自然という共有財を常に意識して、人々は増やした貨幣の総量ではなく、社会への貢献度で対価をもらう。そんな「System Change」は、世界経済を今後飲み込むだろう。

人々はこれを聞いて笑うだろうか。数十年後も笑われていたら、おそらく人間社会は滅亡の道から抜け出せていないのだろうかと思ってしまう。

暗い社会が、倫理観を宿す時
私が、社会の将来を占う本を読む時、私は未来の自分に直面する。

2050年には、私は50代になる予定であり、人類のカーボンニュートラルへの挑戦の答えを前にする。もし、2100年まで生きてたら、その時、日本の人口は、約6000万人となっていて、自治体は多数消滅しているとの研究もあるが、私の故郷はどうなっているしまうのだろう。もちろん未来の予想はそれだけにとどまらない。足許GDP比約260%の日本の債務残高については、未来を予想することすらも憚られる。

例えば2020年に立ち上げられた目標が、2050年に達成出来なかった場合、それは誰の責任なのだろうか。その時最も大きな被害を被る世代は誰なのだろうか。

将来世代は未来の社会の中心にいるからこそ、今後の社会のあり方に常に注視し、社会は彼らの考えを受け入れる土壌を備えるべきである。そんな問題意識で、学生時代の私が取り組んでいたのは、いかに将来世代の声を政策に取り入れるかであった。

学生時代、地道に続けた政策提言活動@環境省 


成果はすぐに見えづらかったものの、活動を通して尊敬すべき沢山の大人に出会った。政策は、「社会に、世の中をより良くしていくという意志を持たせる」ものだと思う。その倫理観は、世代間での衡平性が担保された時に社会が宿すものであり、それこそ私たちが未来に捉えられる一朶の光なのかもしれない。

3.未来に希望が持てる社会へ


社会の理解が前進する力になる。
一昔前に「地球環境問題に興味がある」と言えば笑われる時代があった。地球温暖化の話をすると、「あれは太陽活動の影響で、君がそんなこと気にして意味があると思う?(笑)」とも言われたこともあった。学校では、理科の教科書の「自然環境・生態系」の章は読んどいてと、ページを飛ばされる。それほどまでに人間社会は地球環境に「興味がなかった。」のだ。

何故そんな中人々が突然カーボンニュートラルを口ずさみはじめたのか。人々が危機感を感じ、社会に強烈な強制力が働いたからというのは少なくとも一因としてあるだろう。気候変動が加速度的に進むティッピングポイント(臨界点)は今後10年以内には訪れると研究機関の報告がある。気候変動の脅威が直視できないほど増大してしまった今、取り返しのつかない酷く厳しい状態であることを自覚する必要がある。

気候変動への対応に人類はもはや十分な猶予は残されていない。

私が常々思うのは、自身も含め大人が、きちんと社会の問題の実態を把握し、行動していくべきだということだ。そんな当たり前のことと言われるかもしれないが、それができなかったから、現状が引き起こされていることに気づく必要がある。社会全体として、今の社会の問題が何か、どう良くしていけるかにもっと向き合い、解決に向けて取り組んでいれば、その真摯な思いは将来世代に伝わるはずだ。

ふと子供から「今後の社会は大丈夫か」と聞かれて、「難しい問題だ。君たちの世代に託されている。」と答える大人は、私は無責任だと思う。例えその時は分からなくても、何が託されているのか、後に子供はその本当の意味を知ることになる。その時、彼らは、誰に感謝し、誰に失望をするのだろうか。私も大人側として、全世代と一丸となって、この世界の未来に当事者意識を持ち行動し続けていきたい。

生まれてくる子の思いを肩に背負うこと
「人間の最大のニーズは、未来があり続けること」という私の好きな言葉がある。約四半世紀しか生きていない私でも大変なこと、苦しかったことがあるのだから、人生の先をゆく諸先輩方は、もっと多くの経験をされているはずだ。そんな中でも、何故前を向けるかというと、その答えは「明日があるから」だと私は思っている。明日はもっと良くなる、自分はまだ頑張れる、そう未来に希望を持てるから人々は前に進むことができる

現状はどうだろうか。未来に希望を持てているだろうか。大人だけでない、子供も含めてだ。

東日本大震災が起こった時、私はテレビの前で立ち尽くすことしかできなかった。ボランティアに行きたいと辛うじて声に出しても、子供が行っても邪魔になるだけだと跳ね返された。自分の非力に涙したあの時を忘れたことはない。
世界には、世の中が良くなってほしいと思いながらも、「声を上げられない、動けない」人が沢山いる。そんな人々の思いを背負って自分が「動ける」時は、彼らの希望を作るようなことに貢献したい。当時の私は未来の自分に想いを託すしかなかったが、大人になった今は行動できる。生まれてもいない世代も含めて、常に将来世代の想いを肩に背負いながら生きていることを忘れずにいたいのだ。

それは入学式
私が理想の社会を聞かれた時、入学式を思い出す。胸を高ならせて、学舎の門戸を叩き、入学式ホールに入って椅子に座った時は、恐らくこの椅子を誰が並べてくれたのだろうと考える人も少ないと思う。

そして、わがままに、あるいは無邪気に生活し、次第に成長して新入生のために椅子を並べる側になる。新しく入ってくる新入生に恩を売るつもりはないし、新入生も誰がやったかは分からない。

でも、次の世代が、椅子を並べてくれた誰かに思いを馳せた時、次は自分がと思って、思いやりが循環してくれればいい。この先の未来で、人々が誰か他人を想えるそんな世の中であってほしい。


(注: 本記事での見解はあくまで個人の意見であり、いかなる組織を代表するものではない。
また、本記事での「社会の物質的満足」等の言及は過去との対比による相対的評価であり、今なお、現代社会の人々の生活に解決すべき物質的な欠乏や困苦・課題が多数存在していることは筆者としても認識していることを申し添えておく。)

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