見出し画像

永井文仁×増田拓史 トークイベント「1# introduction」Report(前編)

アーティストが葛尾村に滞在してリサーチや制作を行うアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「Katsurao AIR(カツラオエアー)」。2024年の滞在アーティストである永井文仁さん、増田拓史さんによるトークイベント「1# introduction」が、7月27日(土)に葛尾村復興交流館あぜりあで行われました。

地域に長く通いながら制作を行うロングタームアーティストの御二方に、お互いのプロジェクトについてや、葛尾村の人々と交流して思うことなどについて、たっぷり語っていただきました。本稿では、その一部をレポートします。

葛尾村復興交流館あぜりあ内の一角でトークを収録

永井 本日は、福島県葛尾村の復興交流館あぜりあからYouTubeで生配信しています。私たちはここでアーティストとして活動しているのですが、葛尾村って、意外と福島県民でもどこにあるのかわからないという人が多いですよね。

増田 意外とそうですよね。この村は福島第一原発事故で全村避難を強いられて、2016年6月に一部地域を除いて避難指示が解除されました。ぼくたちはその中で移住・定住の文脈にのせながら、アーティストがどう関わっていけるかということをやっています。

ショートタームとロングタームという2つのパターンがあって、ショートタームのアーティストは連続した最大2か月間の滞在です。一方で、ぼくたちロングタームアーティストは、5月からはじまって11月末までの間で、地域に通いながら最大60日間滞在するという形になっています。

Katsurao AIR 2024の年間タイムライン。
永井さん、増田さんは「ロング滞在」で、5月から11月までの間、地域に通って制作を行う

増田 そして、たまたまですが、ぼくも永井さんも、今年度に入る前から葛尾村には関わっています。その意味で、リサーチの素地ができた状態で今年度の滞在プログラムを迎えているということも特徴ですね。

まず、簡単に自己紹介からはじめていきましょうか。では、永井さんから。

永井 永井文仁(ながい・ふみひと)といいます。写真というものを入り口として、ものごとをみるということをテーマに制作しています。

Katsurao Collective自体は活動をはじめて3年目になりますが、1年目から活動の記録のための写真撮影をしに、しょっちゅう葛尾村に来ていました。今年は記録ではなく、自身がアーティストとして参加し、ここ3年間考えてきたことを形にできればと考えています。

では、増田さんもお願いします。

増田 増田拓史(ますだ・ひろふみ)です。いろいろな地域に入って、記憶に残っている料理のことをヒアリングするなど、その土地の人々の記憶に関する作品を制作しています。アウトプットは映像になるときもあれば、書籍にするときもあるし、台湾の芸術祭では人力車をつくったこともありました。

永井 マテリアルは問わないということですね。今年度はどんな制作を進めているんでしょうか。

増田 この村でふたたびお米をつくる人たちに取材をして、ドキュメンタリー映像をつくっています。

きっかけは、昨年度葛尾村で活動していたときに、農地を改良して稲作をしているという話を聞いたことです。ご高齢の方が多い中で、5年に及ぶ避難を経験されて、さまざまな投資をし、手間暇をかけて農地を整備して、ふたたびこの地でお米をつくる。その話を聞いたときに、なぜそこまでして、もう一度この場所でつくるんだろうと疑問に思ったんです。

その問いを起点として、田起こしから収穫、その後の耕うんまで、ひとつのシーズンを通していろいろな人たちと関わったりしながら、その問いへの答え合わせをしていくようなドキュメンタリーを制作しています。

永井 今回は映像なんですね。

増田 最初は書籍などの他の形も考えたのですが、人の体の動きとか、喋り方の絶妙なニュアンスが伝わるほうがいいと思って、映像に決めました。テキストに起こすと、言葉を少し書き換えてしまう場面も出てくるだろうなと。よりリアルにアーカイブするために、映像がよいと考えたんです。

7月25~27日の活動報告会では、復興交流館あぜりあの「蔵」の中で
中間報告版のトレーラーを上映した

増田 震災が発生した年に還暦だった農家さんは、今は70代半ばですよね。若いときに比べれば体も動きにくくなってくるし、ひとりひとりで農業をするのは大変なんです。今ぼくが取材している集落では、営農組合をつくって、小さかったそれぞれの田んぼを、まとめて大きい田んぼに変えています。大きい機械で、より少ない労力で収穫できるようなしくみを構築しているんです。そうすれば、次の世代の人がやりたいと言ったときに、スムーズに引き継ぐことができる。

誰が受け継ぐかは具体的にはまだ決まっていないんだけど、後世のことを考えて手を打っているというのがすごいなと思ったんです。

永井 農家というと家族単位で取り組む印象がありますが、組織化して持続可能性を高めようとしているんですね。葛尾村は元々、米どころなんでしょうか。

増田 おそらくそうではないです。葛尾村は阿武隈高原に位置していて、高地かつ寒冷。そして、谷あいに人々が暮らしています。田んぼにすごく適しているというわけではないんじゃないかな。

永井 ただ、日本のどの地域でも、稲作っていうのは生活の根底ですよね。そもそも特定の地域に定住するということ自体が、米づくりからはじまっている。

増田 その点はおっしゃる通りですね。葛尾村にもじつは縄文時代の遺跡が発見されていて、古くから人々はこの地に暮らしていたんです。現代に至るまで、環境や気候も、社会や言葉も変わったかもしれないけれど、米をつくるっていう行為だけはずっと続いてきました。だから、米をつくらないで人が暮らしている大都市は、この文脈においては異常といえるかもしれない。ほんとうは、米をつくるのをやめるっていうことは、そこの文明が途絶えるということに等しいことなんだと思います。

永井 つくることができなくなったらその土地を放棄して、つくることができるところに移る、というのが自然な考え方だったんでしょうね。

増田 最近でこそ地域づくりの文脈で移住・定住とよく言いますが、昔は気候の変化などによって、人々は常にそれを繰り返していた。

でも、この村の人たちは、ここで再び米づくりをやるんだという決断をしています。5年以上手をつけられなかった田んぼを稲作ができる状態に戻すだけでも大変だし、風評被害が出てしまう可能性だってあるのに。これって、ものすごいことだと思うんですよ。

永井 近現代以降は、イエを継ぐ、守るという概念が出てきて、単に稲作がしにくいから別の地域に移るという考え方は変わってきたのかもしれません。取材が続いている途中だと思いますが、もう一回ここで米をつくるという決断の理由はみえてきましたか。

増田 意外だったんですが、人によって理由が違うんです。単に家系を守るためとか、土地を守るためっていうだけではない部分もあるということがみえてきました。この理由を集めていくと、地域の再生へのヒントのようなものにも繋がるかもしれないと思っています。

田んぼを撮影する増田拓史さん

後編につづきます。

本トークイベントの模様は、YouTubeおよび各種リスニングサービスでもお楽しみいただけます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?