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やられたらやり返さずにやり過ごす

とても面白い記事を読んだ。
という書き出しで始まる、とても面白い記事を読みました。

高須賀さん(Twitternote)による、性格と人生についての深くて読みやすい考察です。

高須賀さんは「ほんとうの医療現場の話をしよう 医学部を目指す君たちへ」という本を書いておられる現役医師です。

この記事を読んで、私が若い頃から抱いていた、「周りの人にエラそうに振る舞うヤツ」に対して感じていたモヤモヤとした疑問に、一つの答えが見つかりました。

私が長年抱いていた理不尽なヤツへの疑問

僕は昔からこういうタイプの人間が好きになれなかった。それこそ何度も「なんでこいつはバチが当たらないんだろう?」と何度も思ったものである。

同記事より

高須賀さんの記事にある上記の問いは、私が長年抱いていたモヤモヤした疑問の核心でした。

人は、他人から理不尽な振る舞いを受けた際、どのような反応をするか、瞬時の判断を迫られます。

その場を穏便に済ませる必要に迫られたり、強硬に反発する覚悟を決めたりといった様々な状況判断を経て、選択した自分の行動に対し、何かしらのやるせなさや、わだかまりが残ります。
どんな方法でも、相手の理不尽さから自分(と仲間)が受けるダメージを最小限にとどめるように努めるものの、悔しさが残ります。

正面から反論して一杯食わせたりや、気の利いた返しができれば、どれだけ胸がスカッとするだろうか、と思うわけです。精神的なダメージが大きいときなど、帰りの電車に揺られながら、"理不尽なヤツのバックに回って、ヘソで投げるバックドロップを豪快にキメる"妄想までしていた次第です。
もう、壊れかけのカツオですね。

悔しさの効能

さて、私は年齢を重ねるうち、「貴重な"自分の心"という限られた資源を、嫌なヤツへの思いで消費するのは勿体無い」と、理不尽な振る舞いに心のフォーカスを合わせないワザを身につけました。

それでも、理不尽なヤツは学校にも会社にも何人もいましたので、数々の心の生傷は癒えにくく、整理できない思いがありました。

ビンの底にこびり付いて取れない汚れのように、この整理できない思いを解消したくて、いろいろな生きるためのワザを身につけたように思います。

ナインティナイン岡村隆史さんの「悔しいという思いがあるから頑張れる」という言葉を紹介されていますが、自分のメンタルのバランスを取り、心を守るワザを身に付けたいと考えた源流は、この「理不尽なヤツに一杯食わせられなかった悔しさ」だったように思います。

やり返さずにやり過ごす良さ

振り返ると、理不尽なヤツに対し、「いつか(プロレス技などで)やっつけてやりたい」という妄想をしていた私ですが、当然ながら、結局やっつけたことはありませんでした。

やり返さずにやり過ごす。

この戦略で防衛しました。
ただ、やられ損のいじめられっ子状態じゃないかと、思い出すと悔しくて惨めでたまらない、そんな日もありました。

これもまた、年を重ね、知識や経験を積んでくると、自分の心理状態を自分から少し離れて見られるようになりました。

自分は情け無い自分を許せなかったのです。
自分はこんなもんじゃないだろ、もっとデキるヤツだろうと。
そういうセルフイメージが、自分を許せずに苦しんでいたのです。

そうと分かれば、情け無い自分も許せました。その時の判断では仕方がない事情があったとか、反省すべき力不足や準備不足があったわけで、改善点にフォーカスを当てれば良いと考えるようになりました。

また、理不尽なヤツを組織的に指導したり、事前の準備でマトモな方向へ誘うなど、仲間の力、知識や経験で「中和させる」選択肢も選べるようになりました。

そのうち、平家物語で「盛者必衰」というように、そういう人にはバチが当たるはずだ、反面、つらい人には良いことがあるだろうという思いに至るようになりました。

しかし、理不尽なヤツにバチがあたる姿や、その事例を目にすることは、ごくわずかでした。
たいていの理不尽なヤツは「憎まれ者、世にはばかる」を地で行く、イケイケドンドンな感じで、またその姿に一抹の悔しさを感じるのでした。

しかし、高須賀さんの記事を読んで、理不尽なヤツにバチが当たる姿を見ないのも無理はないんだな、と感じました。

理不尽な行いを改めなければ、晩年になって性格の悪さが災いするという、私たちが知りえない人生のステージで、抗えないバチが当たるというシステムがあることを学びました。

最後の最期に。

棺桶に財産は持っていけない、と言われるように、人の最期に残っているのは、自分自身と周りの人とのつながりだけになります。地位も名誉もお金も残高もフォロワーさんも持っていけないんですよね。

最後の最期は、別れを惜しむ人に囲まれつつ、「アリガトー」と言いながら人生を全うしたい。
そのためには、「やられてもやり返さずにやり過ごす」ワザを駆使して、周りの人には理不尽さを与えるではなく、思いやりを贈るようにしようと思いました。

とか言いつつ、ついさっき、我が子にガミガミと小言を言ってしまいました。

高須賀さんの記事に感銘を受けたお話を胸に刻み、理不尽なヤツからの攻撃は、柳のようなしなやかさでやり過ごすとともに、自分が理不尽なヤツにならないように肝に銘じます。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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