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痛みに敏感なのは、悪いことじゃない。
最近 私の周りでは、体調不良や頭痛などを訴える人がわりと多くなっています。私も、1週間くらい前から軽い頭痛が続いています。
でも、この厄介な頭痛ですが下手に悪者扱いはせず、共存できちゃう自分がいます。
というのも、私一人だけが季節の変わり目に苦しんでいるわけではない安心感と、以前よりも
感覚が10倍敏感
いやもっとかな? とにかく鋭くなっているので、痛みを感じやすくなっているのです。
以前は私は、麻酔でも打ったかのように感覚が少し麻痺しているかのようでした。
例えば、
体調がかなり悪くならないと辛いと感じない
心の疲れに気づかない
体の疲れをごまかせる
好き・嫌いがハッキリわからない
今、何したいかをすぐに答えられない
このくらい鈍感だと、ハードな仕事をするぶんには、メリットがたくさんあったので(あったと信じていたので)、あまり気にせずそのまま放置していました。
「痛み」に鈍感になることで、鋼のメンタルを手に入れたかったのです。外敵に傷つけられても、自分の弱みがバレずに自分を守ることができたのです。「私は、平気よ~」と、涼しい顔をして大丈夫なフリをしていたんですね。
でもそれとは引き換えに、さまざまな副作用も出てきました。感覚と心が鈍感になる影響で、いつも全身は硬直してガッチガチ。
足しげく通っていた整体やエステのセラピストさんに、「ずっごい身体がゴキゴキしているし、パンパンに浮腫んでますよ」となかば呆れられていました。
「だからココに通っているんだけどね~」と心の中で元気なくツッコミを入れる。かなり強めに施術してもらっても全然痛くないから、そう思われても仕方がなかったのかもしれません。今はもう、お世話にならずに済んでいますが・・・
◇ ◇ ◇
「感覚」が鈍くなると
「思考」が強く全面に出るため、
「好き・嫌い」よりも、
「良い・悪い」が優位になる。
「やりたい・やりたくない」よりも、
「やるべき・やらないべき」が優位になる。
思考が優位に働くと
自分の本当の気持ちや感情が奥の方に追いやられてしまうので、自分で自分のことをちゃんと理解できずにいました。
感覚が鈍感だと
自分の中で起こっている違和感や嫌悪感、限界アラームに気づけなくなり、最後は爆発するかダウンするかのどちらかになってしまう。
そして私は、自分と向き合う時間をたくさん作り、自分を取り戻した結果、感覚が正常に戻りました。
今はちゃんと「痛い」を感じられるようになりました。今までもきっと、頭痛は時々していたと思いますが、その時は麻痺して感じていなかっただけかもしれません。
今の私は、
「好き」を毎日発見するのが得意になりました。
「嫌い」も遠慮なく感じます。
「悲しい」とつい涙が出ます。
「嬉しい」と小走りしちゃいます。
「モヤモヤ」はいつも感じています。
いいことも悪いことも、すべての感情を抑えずにストレートに感じることができます。
生きてるって、感じます。
だから、痛みに敏感になるのは、実は嫌なことでも、避けるべきことでもなくて生きている実感を呼び起こしてくれます。
だから、頭痛がしたら素直に痛がり、腹痛がしたら素直に痛がる。そこにいいとか悪いとか、痛くなった原因は何だったんだろうと犯人捜しをしたり、「くっそー、何で痛いんだよー」と、自分を責めないこと。
痛かったら、ただ労わるだけ。
痛みを責めると、逆に余計に痛くなるから(笑)。
「痛み」は、私たちの味方。
「痛い」は、幸せの感度が上がっている証拠。
だから、これからも安心して「痛い」を受け入れていくしかない。
あっ、くれぐれも、ドMとは違いますからね(笑)。
念のため。
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