【エッセイ】どこかで失くした憧れというもの
先日の鳥山明先生の訃報からぽつぽつとわたしの中で考えていることがある。
それは「憧れ」というものだ。
漢語的表現をすると「憧憬」ということになる。
画像に『僕のヒーローアカデミア』のオールマイトを使ったのもそのためだ。
あなたにも、あっただろうか。
子どものころに見ていた「憧れ」というものが。
ーーー
わたしにも、「憧れ」というものはあった。
憧れの対象はマンガやアニメのヒーローだったこともあるし、俳優やロックバンドのメンバーだったりする。あるいは、マイケル・ジャクソンだったり。
わたしは現在無職である。
仕事でうまくいかなくなって、退職した。
それで、無職なのである。
時間に余裕ができたので、「考えるため」の時間が作れるようになった。
いままでは、仕事のことやお金のこと、あるいはプライベートのことでいっぱいだった。
それが、自由になったのである。
ばんばんざい。
さて、そんなわけで、わたしは「自分の人生」について考えていたりする。
わたしの人生。
それは、ここで語るのはかなり難しい。
とても複雑で、膨大だ。
何から話せばいいのかわからないし、どう説明したらよいのかもわからない。
とりあえず今言えることは、「負けている」ということだ。
それは、金銭面でもそうだし、(借金を抱えている)、無職ということから、仕事もうまくいっていない。
結婚もしていなければ子どももいない。
自分が描いていた「夢」さえも、まったく叶えられていない。
それを、「勝ち」か「負け」かでいったら、「負けている」のである。
それは、「現象」あるいは「事象」として受け止めるとして、
わたしはふと思ったのだ。
「あれ? そういえばオレ、強くなりたいって、思わなくなったな。かっこよくなりたいって、思わなくなったな」と。
冒頭にヒーローへの憧れのことを書いたのはそのためである。
子どものころ、たとえば『ドラゴンボール』なんかをみて、「オレも強くなりたい」と本気で思っていた。
そしてまだ、十代、二十代のころは、憧れの人を見て、「オレも将来そんなふうになりたい」と願っていた。
でも今、どうなんだろうと、内省してみた。
ぜんぜん、そんなこと思っていないんじゃないかと、気がついた。
ーーー
どこかで、「諦めて」しまっていたのだ。
わかってる。いくら夢見たって、かめはめ波は打てないし、ケンカも強くなれない。
わかってる。いくら夢見たって、お金持ちになんてなれない。
わかってる。いくら夢を見たって、ロックバンドのスターになんてなれないのだと。
分かって、しまっていたのだ。
ーーー
でもなんだろう。それは、違うような気がした。
分かっているのではなく、「分かった気」になっていただけだったのかもしれない。
なんだろう、わたしの言いたいことが伝わるだろうか。
分かっていようが、分かっていまいが、分かった気になっていようがいまいが、そんなのは関係なくて、あのころの「自分」は前を向いていて、走ろうとしていて、進もうとしていた。
なのにいつからか、わたしは前さえも向かなくなっていたのだ。
だからなんじゃないかなと、思う。
だから、わたしは「負けている」のだと。
そりゃそうだ。前を向いていない。「勝ちたい」と思っていない人間が、勝てるわけなんかない。
ふとね、そんなことを思ったんだよ。
あなたはどうだろう。
わたしは、反省しました。
もう一度、「強くなりたい」「かっこよくなりたい」と、思うことにする。
自分の行動指針が、「かっこいいか」「かっこよくないか」にする。
自分が迷ったとき、自分の憧れの人ならどうするのだろうと思うことにする。
今までの人生、辛いことが多かった。
社会に飲み込まれていた。
でもまだ、わたしは諦めたくなんかない。
もう一度、前を向いてみようと思います。
読んでくれて、ありがとう。
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