やらかした失敗と支えるチーム どうする?
自分の判断ミスが原因でひとつのプロジェクトが頓挫した。これまでもたくさんの失敗をやらかしてきたが、これまでの自分の仕事人生の中でも今回は最も大きな失敗のひとつだ。1年前、僕はこのプロジェクトで発揮したリーダーシップで表彰を受けた。その時は有頂天になっていた。ところが、その時の自分の判断が甘かった。落ち度があった。それが今になって判明した形になったのだ。
ただ、やらかしてしまったことは、もうチャラにはできない。今から自分ができることを考えるしかない。そこで、今後、自分が取りたい考え、行動を整理してみた。
受け入れる
まず全ての現実をそのまま受け入れることにした。1年前は、自分はベストの判断をしたと思っていた。ただ、今、現実に起こっていることを見ると、その時の判断に足りなかったもの、甘かったことがあることに気づく。有頂天になっていた自分が馬鹿だったと気づく。それを受け入れる。
動揺している、ショックを受けている自分も受け入れる。情けない、格好悪い自分も受け入れる。チームのメンバーも動揺している。ショックを受けている。落胆している。ただ、誰も、僕に対して個人的な責任追及をしないチームであることにも気づかされた。僕が主導で判断したが、チームで合意し、承認したことだと捉えてくれた。チームも会社も、個人の責任追及ではなく、問題に向かう清々しさを持っている。あらためて自分が素晴らしいチームにいる、素晴らしい会社のリーダーたちに支えられて仕事をしていると感じることができた。
向き合い、行動を起こす
事実を受け入れて落胆しているだけでは何も起こらない。チームの仲間も落胆して謝ってばかりいる僕を求めたりはしていない。プロジェクトは頓挫したが、まだ諦めたわけではない。徹底して事実と向き合い、そして行動を起こすことにした。
これまでの判断に使ったデータを徹底して見直す。新たに分かった事実を徹底的に集めて、何が不足していたか、どんなギャップがあったかを解析する。特に自分の専門分野で、自分が最も深く解析できる一次資料を徹底的に見直す。同じようにチームの仲間にも、それぞれの専門分野でできることをやってもらう。そして、それぞれの専門分野の仲間とプロジェクト再開の突破口があるかどうかを徹底的に議論する。ただただ自分たちが馬鹿だったと思い知らされるだけでなく、実は飛躍的に成長できるチャンスでもあることに気づく。
サンクコスト論でプロジェクトをズルズル引きずるようなことがないように、徹底したデータ至上主義で判断するのが僕に課せられたミッションと捉える。サンクコスト(Sunk Cost)論とは、「せっかくこれまで多くの費用、時間、労力を注ぎ込んできたのだから、やめるのはもったいない」と感情論で、現実を見ずに誤った甘い判断をしてしまうことだ。僕自身、これまで何度かそんなプロジェクトを経験してきた。感情論が邪魔をして中途半端なデータと解析で再び誤った判断をしないよう、真剣勝負で仲間と議論する覚悟が必要だ。
どんな意味があるかを考える
これまで自分がしでかした失敗を、あとあと振り返ると、その後、大きな成功に繋がったり、自分を大きく成長させてくれたことを何度も経験した。失敗は大きければ大きいほど、大きな変化を起こす劇薬にもなり得る。
僕が起こした判断ミスを、単なる自分のキャリアの汚点と捉えてしまうことはできる。でも、自分の専門分野で、こんな失敗をした者は世界にほとんどいない。この失敗経験からたくさんの新たなことを吸収できれば、僕はとても貴重な経験を蓄えた専門家に一歩成長できるのだ。
プロジェクトも同様だ。大して波風が立たない順調に進むプロジェクトが結局こじんまりとまとまってしまうのを何度も見てきた。一方、何度も頓挫するプロジェクトが、その都度、復活して、偉大なプロジェクトになるのも経験した。頓挫が、プロジェクトをより強靭なものにすることもあるのだ。
今回の頓挫でチームの緊張感も増した。これまで見落としてきた何かを見つけて、突破口を見出したい。誰もの真剣度が一気に増した。チーム全体が次元上昇するチャンスかもしれない。
今回の失敗が、どんなことを自分にもたらしてくれるか? チームにもたらしてくれるか? プロジェクトにもたらしてくれるか? 真剣勝負で考えたい。どうなることやら?
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