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目の前のこと、やる?やらない?を決める習慣 自分軸>他人軸>自分軸

目の前には、たくさんのやること、やりたいこと、やらなきゃいけないことがいつも押し寄せてくる。心底やりたいこともあれば、面倒だが大切だからやることもある。世の中の常識で当然やるべきとされていることもあるし、他人から押し付けられたやらされごともある。目の前の「やることリスト」は、簡単に飽和する。

僕は、キャパシティが小さい。マルチタスクはできない。それでいて、やると決めたことは楽しみたい。やり遂げたアカツキには充実感や達成感を味わいたい。欲張りだ。だから、目の前のやるべき(とされている)ことについて、とっかかる前に、ヒネクレて実際にやる?やらない?を決めることを、日々の大切な習慣としている。その方法が、自分軸>他人軸>自分軸の順で考えることだ。

自分軸>他人軸>自分軸

まず、自分軸でしっかり考える

自分で考えついた心底やりたいことは簡単だ。思いっきり自分軸だけで考えているから迷わない。トリッキーなのは、他からやってきた大切そうなこと、重要そうなこと、魅力的に見えることだ。

同僚が、自分の専門分野に関する魅力的なセミナーを紹介してくれた。自分の専門性を磨くのに、セミナーの内容は大いに役立ちそうだ。同僚は僕に知らせずに自分だけこっそり受けることもできた。でも、僕のためにもなるはずだと考え、わざわざ親切心で教えてくれた。競争社会なのにいい奴だ! 感謝しなきゃならない。当然、僕も受けようと考えるべきだ。でも、ここで敢えてしっかり自分軸を意識する。

「待てよ! このセミナーへの参加、本当にやるべきことか???」 セミナーに参加する自分をイメージする。セミナーの内容は、確かに自分の専門分野に関するもの。興味は十分にある。本当にセミナーの内容をしっかり自分のものにに没頭できれば、充実した時間を過ごせるし、自分の専門知識も増えるはずだ。しかし。。。 このセミナーの内容に関することで緊急の問題は抱えていない。何が何でも知らなきゃならないという切羽詰まった状況ではない。セミナーは1時間オンラインで受講する受け身のものだ。この状況で自分は本当に1時間、セミナーの内容に没頭し、一心不乱に聞き入ることができるだろうか? 
NOだ。自分には切羽詰まったものでないことに1時間受け身でしっかり聴き入る集中力も忍耐力も持ち合わせていない。これは自分に合った方法ではない。本当にこの専門知識が必要となったら、自分だったら、まずそれが書かれている資料をピンポイントで探しに行くだろう。背景情報をある程度つけた上で、さらに必要とあらば、その道のプロに聞きに行く。そんな能動的な習得方法でないと、自分は知識をものにできないことをよく自覚している。緊張感のないところで一方通行のセミナーを受けたって、集中できない。何も残らない。自分軸で考えたら、やらないの決断となった。

次に他人軸でも考えてみる

いくら自分軸で決断すると言っても、同僚が僕のためにと親切心で持ってきてくれた話だ。少しだけ相手の立場で考えてもバチは当たらない。自分が同僚にセミナーを紹介した場面をイメージする。そして相手にこう言い返されたらどうだろうか? 「ごめん。せっかくセミナーを受けたとしても、僕は集中力がないから身にならないと思うんだ。だから、今回はやめておくよ。」 あるいは、「その時間に別のやりたい仕事があるから、やめておくよ。」 自分が相手の立場であっても、このように素直に答えてくれれば、ぜんぜんOKだ。逆に、「本当は気が進まないけど、せっかく君が勧めてくれたからセミナーを受けるよ」のように恩着せがましく言われたらどうだろう? 「僕のために嫌々受けるなんてやめてくれ! 受けなくて結構だ!」となるだろう。だから、他人軸で考えても、やらないの決断は問題ない。と言うか、やらないの決断でないと相手にも失礼だ。

最後にもう一度自分軸に戻る

自分軸で考えても、他人軸で考えても、やらないと決断できた。だから、もう一度自分軸に戻ってすがすがしくやらないの決断ができる。せっかく同僚が紹介してくれたセミナーを受けないことにしたのだから、その時間は、セミナーを受ける以上に充実したものにしなければ、同僚にも申し訳ない。自分がその時間にやると決めたことにさらに思い入れが強まる。

考える順番を間違って学習したこと

これまで何度も、順番を間違えて失敗した。特に若い頃は、しっかり自分軸で考える前に、他人軸で何となく進んでしまった。せっかく友達が誘ってくれたのだから。断ると何となく悪い気がするから。みんなが参加するものだから。決まっていることだから。と、自分軸でしっかり考える前に、他人軸だけで簡単に受け入れてしまった。挙句の果て、何もやり遂げれないまま、楽しむこともできないまま、無駄な時間を過ごしてしまう。

他人軸で考えたと言っても、結局、他人にのためにもなっていない。それどころか、そんな中途半端な時間を過ごしたら、他人にも迷惑をかけることさえある。順番を間違えて、自分軸で考える前に他人軸で考えてしまうと、結局、自分のためにもならないし、他人のためにもならない。

自分軸で「やること」となったことも他人軸で考えると「やること」が次元上昇する

自分軸で考えてみて、100%心底やりたいことでも、一度、他人軸でも考えてみる。敢えて他人軸で考えるのは自分のためだ。なぜなら、喜びや幸せのほとんどは、他人との関わりで感じるからだ。自分のやったことを自分の中だけで完結させるよりも、自分のやったことで他人が喜んでくれたら、さらに嬉しいだろう。自己満足するだけより、回りが感謝してくれたら、さらに充実感は増すだろう。

そして他人軸でも考えてみると、「やること」自体が、自分軸のみで考えた時とでは、違ってくる。他人軸で考えることで「やること」を次元上昇させることができる。

上司から最近大きなマイルストーンを達成したプロジェクトについて、部門ミーティングでプレゼンしてくれと頼まれた。自分が最近やり遂げたサクセスストーリーのプレゼンだ。すでに達成したことだから、大した準備もいらない。自分が率いたプロジェクトが、どんな困難に遭遇し、どうやってそれを乗り切り、成功に導いたのかを、大勢の人の前で語れる晴れ舞台だ。自分軸で考えて、超やりがいのある魅力的なミッションだ。断る理由が見当たらない。二つ返事で了解した。

でも、こんな自分軸だけの傲慢な態度でプレゼンを準備したら、どんなことになるだろう? きっと自慢話をタラタラ並べた嫌味なプレゼンになってしまうだろう。他人軸で考えることで、そんな傲慢な自分を修正できる。上司は、なぜ自分にプレゼンを依頼したのだろう? プロジェクトのマイルストーンを達成したご褒美の意味もあるだろう。でも、僕に褒美を与えるためだけに、たくさんの人を巻き込んで、彼らの大切な1時間を拘束するはずがない。たくさんの人に知ってもらいたい何かを僕のプレゼンに期待しているのだ。上司の立場に立って、参加する仲間にプレゼンの中から何を学んでほしいかを考えてみる。すると、自慢話をタラタラ並べる嫌味なプレゼンから、問題解決・プロジェクト達成における重要なポイントを学べる意味のあるプレゼンに変えることができる。

プレゼンを聞きに来てくれる仲間のことも考えてみる。彼らは貴重な1時間を割いて、わざわざ僕のプレゼンを聞きに来てくれる。どんなことを期待して来てくれるのだろうか? 僕のプレゼンを聞いた後、彼らに「1時間無駄になった。プレゼンなんて聞かなきゃよかった」と後悔は絶対させたくない。プレゼンを聞きに来てくれる人の中には、プロジェクトのチームメンバーもいるはずだ。彼らは、自分の仕事がプロジェクト全体にどのように貢献したかを知りたくて楽しみにしているだろう。彼らの貢献をないがしろにして表面的なプレゼンで自分だけのサクセスストーリーにしたら彼らはどんなにがっかりするだろうか? 準備は最初に想定したより大変になる。引き受けた時は、これまでに作ったスライドから適当なものを組み合わせて、自慢話さながらサクセスストーリーをプレゼンすればよいと思っていた。でも、貴重な1時間を割いて、自分のプレゼンを聞きに来てくれる仲間たちの立場に立ってみると、そんな安易な考えでいた自分が恥ずかしくなる。彼らが割いてくれた1時間を、絶対無駄にしてはいけない。「やること」のクォリティは、自分軸だけで考えた時とは雲泥の差がつく。

こうして、自分軸→他人軸と考えてから、もう一度自分軸に戻ってみると、最初に自分軸だけで考えた時の「やること」とは、大きく変わった次元上昇した「やること」があることに気づく。

エラそうに悟りを開いたかのようなことを書いているが、本当は、こんなことは誰でも無意識のうちにやっている当然のことかもしれない。誰もが社会の中で生きているのだから、自分のことも他人のこともバランスよく考えるのは当然中の当然だ。と言い返されても当然だ! でも、僕は、あえて意識しないとできない不器用な人間だ。だから、いつも自分軸→他人軸→自分軸を意識し、目の前のやるべき(とされている)ことについて、本当にやるか?やらないか? そしてやるとなったら、どうやるか?を決めることを、日々の大切な習慣としている。


#日々の大切な習慣

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