見出し画像

アメリカで大企業から中小企業に移って学んだこと

僕はアメリカに移って今年で20年を迎えた。20年間、製薬会社の研究者として働いた。20年中18年は、4社の大企業で働いた。日本の大手製薬企業のアメリカ支社が2社、アメリカの大手製薬会社が2社。そして最後の2年間、初めて中小企業で働いてみた。2年前、僕が入社した時の従業員数が100名を少し超える程度の小さな会社だ。そこで経験した良かったこと、残念だったことを振り返ってみた。

良かったこと

大企業の経験は通用した

今の小さな会社に入ることを決めた時は、大企業でぬくぬくと生きてきた自分が中小企業で通用するか、少々不安だった。特にアメリカの大企業では、分業が進んでいる。自分の専門性を磨くにはとても素晴らしい環境だ。周辺の雑多なことは全部他の人がやってくれる。ただ、環境が整ってないと、仕事ができない融通の利かない人間になっていなかと心配した。

でも実際に移ってみると、大丈夫だった。新しい環境に慣れるために手こずることはそれ程なかった。小さい会社だけに、新しい仕事仲間とすぐに打ち解け、分からないことは誰かに聞けばいいだけだった。それより、これまでに培った自分の経験や知識で会社に貢献することの方が、ずっと評価された。大企業で培ってきた経験や知識は大いに通用した。

自分の可能性を拡げられた

分業化が進んで、それぞれの部署にたくさんのエキスパートがいるのが大企業。それに対して中小企業では、それぞれの専門分野に一人もしくは限られた数のエキスパートしかいない。あるいは、一人もいなくて、問題が起こると外部のエキスパートコンサルタントに助けを求めなければならないなどという事態もざらだ。自分の専門分野内でエキスパートとして働くなどと言ってられない時もある。会社としては危なっかしい。でも、部署の垣根を越えて、他部署に大いに口出しできるのは、自分の専門性をグイっと広げることにつながる。

僕は日本にいる時、病理学者の資格を持っていた。でも、アメリカでの学歴がなく、アメリカで通用する病理学者の資格を持っていない。なので、大企業にいる時は、病理の仕事はできなかった。というか、資格がないと病理の仕事に携わってはいけないという規則がある訳でもないのに、日本だけの病理の資格では相手にされないと自分で勝手に諦めていた。今の小さい会社では、たまに発生する病理の仕事のために、資格を持つ病理学者をわざわざ雇う余裕はない。これまでは、必要に応じて外部の資格を持つエキスパートに依頼していた。でも、僕自身ができることを会社に訴えたら、あっさり認められた。そして僕のアメリカでの専門分野に病理学が加わり、広がった。

エキサイティング

小さい会社で、何といっても素晴らしいことが、自分の仕事が与えるインパクトが大きいことを感じられることだ。大企業にいた時は、プロジェクトのリーダーとなっても、同じようなプロジェクトは100もある。プロジェクトを大成功に導いても、大失敗に終わっても、会社にとっては100分の1のことだ。それに対して、小さい会社では、自分の仕事の成功が、すぐに会社への大きな貢献となる。自分の仕事の失敗が、会社全体の大きなダメージになることもある。ハラハラドキドキだ。毎日のようにCEOや幹部とのやり取りがある。もちろん、とても大きなストレスもあるが、大いに自分の存在感・貢献感を持つことができる。

残念だったこと

小さい会社だから風通しが良く、決断が早いとは限らない

小さい会社は、フットワークが軽く、風通しがよく、全てにおいてとてもスピーディーだと期待して入社した。それぞれの専門分野に限られた数のエキスパートしかいない。そのエキスパートが、すぐに自分の提案を幹部に挙げて、実行に移せる。新薬開発プロジェクトにとって超重要なスピードを大いに堪能できる。。。と期待していた。

ところが、そうでもないことを実感することになった。小さな会社の方が、大企業よりも、デシジョンが遅くなってしまうと感じることが何度もあった。しかも、デシジョンが重要であればあるほど、遅くなってしまうのだ。

大企業では、それぞれの専門分野の独立性が高い。それぞれの専門分野で、それぞれのやり方が整っている。組織が大きいだけに、複数の階層での承認プロセスは発生するが、重要項目の決断プロセスも出来上がっていて、スピーディーに進められる。

小さな会社では、専門分野でのデシジョンであっても、重要であれば、会社全体に与えるインパクトはでかい。だから、専門分野のデシジョンであっても、様々な部署に説明し、調整し、合意を得ることが必要になる。専門分野のデシジョンだから、専門分野以外の大多数の人への丁寧な説明が必要となる。いくら丁寧に説明しても、専門分野以外の人からは、さまざまなレベルの質問、意見が出るのは自然だ。デシジョンが完了するまでに、プロセスが、あっちこっち混迷する。挙句の果て、いくつもの階層の承認プロセスを経なければならない大企業よりも、デシジョンがかえって遅くなってしまうことさえある。これは、ただ自分を含めた会社の実力の問題で、コミュニケーション能力を鍛え、しっかりしたデシジョンプロセスを作り上げていけば、いくらでも改善できることなのかもしれない。

ライバルや切磋琢磨する同僚がいない

自分の専門分野に、自分以外にエキスパートがいない状況は、仕事を進める上ではやりやすい。いったん信頼を得てしまえば、上からは簡単に了解がもらえるし、下からはサポートしてもらえる。ただし、自分の専門性を磨いていくためには、かなり厳しい。若手の仲間から、新しいサイエンスを学ぶことはできる。別の部署の人から、今まで深入りしてこなかった分野のことを学ぶことはできる。学ぶことはいっぱいある。でも、最も重要な自分の専門分野をさらに掘り下げていくためのライバルや切磋琢磨できる同僚は周りにはいない。日々忙しく仕事をこなしているだけに終わると、本業の専門分野で時代遅れの人になってしまう可能性がある。

脆い

アメリカに渡ってから安定・安心な職場などどこにも存在しないとは何度も痛感した。自分がレイオフされたこともある。大企業でさえ、数年周期で大きな組織改定を断行する。それに伴って、たくさんの仲間が突然レイオフされたこともあった。ただ、小さい会社では、不安定度はさらに大きい。僕が入社した2年前、社員数は100人を少し超える程度だった。それから2年間で200人を超えるまでに膨れ上がった。その挙句、大きなプロジェクトがとん挫した。会社は突然、約半数の社員をレイオフした。社員数は、また100名程度に戻った。

レイオフされた社員の中には、とん挫したプロジェクトとは全く関係のない人もたくさんいた。それでも大きなプロジェクトを失った会社を維持するために、それらの社員をレイオフするしかなかった。僕の所属する部署も、半分がレイオフされた。それ以外にも毎日のように顔を合わし、一緒にプロジェクトを進めてきたたくさんの仲間を失った。

僕を含めレイオフを免れた社員も、これまでと同じではない。「会社に留まり、会社の立て直しに貢献してほしい」とは言われた。でも、多くの仲間を失い、大きなプロジェクトも消滅し、これまでと全く同様には働けない。残ってくれと言われた社員の中からも会社を去るものが現れ始めた。

まとめ

18年間、アメリカの大企業ではたらいた後、小さな会社に移り、2年が経過した。良いことも、残念だったこともあったが、濃厚にどっぷり仕事に没頭する2年間だった。




#私の仕事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?