原爆と国民国家〜長崎と広島〜
以下では、俺は原爆と国民国家について述べる。国民国家を認めると、原子力爆弾の投下の善性が戦争中における殺人行為(戦闘行為)として正当化される。そのため、俺らは国民国家を認めない。
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1. 原爆と国民国家
儒教系統の思考規範 もしある主体が国民国家を認めるならば、原子力爆弾の投下の善性が戦争中における殺人行為(戦闘行為)として正当化される。
原子力爆弾の投下の善性が正当化されいる。なぜなら、西欧白人は投下を戦争に蹴る戦闘行為の一種と認識している。もしその行為が戦争における戦闘行為でないならば、それは快楽的な殺人行為に等しい。
儒教系統の思考規範 もしある主体が国民国家を認めないならば、原子力爆弾の投下の善性が戦争中における殺人行為(戦闘行為)として正当化されない。
上記の場合、国家それ自体が存在しないことになる。もし国家が存在しないならば、戦争は存在しない。なぜなら、戦争の主体は国家である。
もし戦争が存在しないならば、戦争における戦闘行為が存在しない。もし戦闘行為が存在しないならば、戦争における殺人行為の善性は戦闘行為として正当化されない。
この時、長崎と広島への原爆の投下は戦争における戦闘行為でない。つまり、長崎と広島への原爆の投下は西欧白人によるモンゴロイド人種へと単なる虐殺行為や快楽殺人である。
2. 類似例〜インディアン戦争〜
インディアン戦争を戦争というべきでない。インディアン戦争をインディアン虐殺と呼べ。なぜなら、西欧白人は虐殺や快楽殺人でなく、アメリカ先住民の虐殺を戦争における戦闘行為として処理したい。その時、アメリカ先住民の虐殺の善性は戦争におけるある種の戦闘行為として処理される。
西欧白人はインディアンに対する単なる快楽殺人の善性を戦争におけるある種の戦闘行為として正当化したい。俺ら有色人、特に俺らモンゴロイド人種はこの種の悪意に乗ってはいけない。
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