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将来の夢

小学校の卒業文集によくある、
将来の夢というやつに「水泳選手になって金メダルを取る」と書いた。
今思い出してもひどい嘘を書いたもんだ。

そんな少年は翌月、中学に進学してソフトテニスを始めた。
あまりに早い方向転換である。
しかも、なぜ急にソフトテニスだったのか?

実は、少年は入部先を選ぶときに、
いくつかの選択肢で迷っていた。

・水泳部:小学校4年生までスイミングスクールに通っていた

・バスケットボール:インハイ選手だった父の薦め

・陸上部:小学校時代に長距離走でクラスで一番だった

・音楽部:3歳くらいからピアノを習っていた

・野球部:野球が好きだった(未経験、見る専門)

・ソフトテニス部:父から強い部を選べと言われた(過去に全国大会に出場実績があった)

迷った挙句に、少年は上記6つであみだくじを作った。
(実はあみだくじもお婆ちゃんに選んでもらった)

結果、未経験で特に興味も無かったソフトテニス部に入ることになった。
(結果、高3まで続けることになる)


少年が通っていた中学は、高校との一貫校で、
進級試験などもなく"ほどほど"の成績であれば、
中学から高校へと内部進学できる仕組みになっていた。

高2になるときに、進路希望によって、文系と理系に分けられた。
少年は数学が苦手という理由で文系を選択した。

進路選択

高3になって、受験シーズンを迎えたが、
特に行きたい大学や学部、学びたいことも無かったが、
周りはほとんどが進学に向けて、受験勉強をしていたため、
"そういうものだ"と思って、
特に予備校もいかず、自力でなんとなく受験勉強をしていた。


結果、見事に全ての受験に失敗した。


ここで初めて、少年は自分の進路について、
自分の頭を使って考えた。


母親は(出来ればそこそこの)大学は出ておいてほしいと、
浪人することを強く勧めてきた。

しかし、当の本人は、
特に学びたいこともないのに、なんとなく進学してよいものか?と
就職することも視野に入れて考えていた。


色々と考えた結果、
少年は進学を志し、浪人生活を送ることを選んだ。
しかし、具体的に学びたいことや、行きたい学校は頭の中には無かった。

予備校で授業を受けている時に、
とある先生がさらっと口にした大学に興味をもって、
そこを志望校に決めた。

学びたいことが明確にあったわけではないが、
なんとなく楽しそうな予感があった。


就職活動

大学3年になって、
就職活動のガイダンスが大学内で実施された。

大学生活では、単位こそしっかりと取っていたものの、
勉強に熱心ということはなく、
サークルなど楽しく遊んでばかりいた。

結果、やりたい仕事や入りたい企業なんてものはなく、
卒業したらフリーターになることを考えていた。

先輩から「単位取るのが楽だよ」と勧められて、
たまたま入っていたゼミの先生との面談でやんわりと諭されて、
卒業後はとりあえず就職することを選んだ。


しかし、少年はやりたいことが見つからない。
結果、100社ほどエントリーして、60社ほどの説明会に参加し、
1社だけ、働くイメージを描けたベンチャー企業に入社した。


けれど、少年は働く姿はイメージ出来ても、
何のために働くかなんて、脳みそを逆さまにしても出てこない。


海外に出る

働き始めて2年ほど経った頃、
どうしても海外に行きたくなり、貯金を始めた。
そして、4年目の春に会社を辞めて、海外に出た。

海外に出たのは、
なんとなく海外生活してみたかったという単純な憧れと、
近い将来、英語が出来ないことが
ビジネス上での大きな弱みになるんじゃないか?
という漠然とした不安からだった。


海外生活開始から1年経ち、
ビザの期限となったので、帰国することにした。
英語力は帰国前と大きくは変わらず、
若干の挫折感というか敗走感もあった。


再び就職活動

帰国してから、就職活動を始めた。
1社目が東京の会社だったこともあり、
また東京で働きたいと思って、実家のある大阪から上京した。

海外生活でさんざん遊んできた青年には、
預金が15万円くらいしかなかった。

就職活動を腰を据えて行うために、
まずはアルバイトを・・・と考え、
5社くらいにまとめて応募したところ、
幸運にも1社からお声がかかり契約社員として、
翌週から働くこととなった。


その会社は採用のアウトソーサーとして、
顧客企業から依頼を受けて、顧客企業の人事部に常駐し、
採用活動の代行を行っていた。

青年は1ヶ月ほどの社内研修を経て、
ある日系大手企業のグループ会社での、
新卒採用のサポートチームにアサインされた。


サポート業務が残り1か月を切ろうかというタイミングで、
その後の業務について、選択肢が提示された。

・アウトソーサー企業で正社員となり別業務を担当する

・契約社員のまま別のプロジェクトに参加する

・契約満了のタイミングで退職する

青年は新卒採用で一緒に働いていた先輩社員の方との仕事は楽しかったが、
その企業については、なんとなくカラーが違うような気がしていた。

しかし、退職したとしても次の進路は決まっていない。
という消去法で、別のプロジェクトにアサインしてほしいと伝えた。

その別のプロジェクトとは、
GAFAの1社で新拠点立ち上げのための中途採用のサポートだった。

この時点で、青年には中途採用の経験など一切ない。
けれど、GAFAの中の様子が見られるというだけでも、
このプロジェクトに参加する理由としては十分だった。

顧客先での業務が始まって1~2か月ほど経過した頃に、
ある情報を耳にした。

「採用担当募集」

青年は、顧客先の採用チームのマネージャーに、
募集に興味がある旨を伝え、選考に応募した。

常駐開始から2か月程度と短い期間だったが、
その時の働きが良かったのか、よほど人手不足だったのか、
通常は複数回実施される面接が1回に割愛され、内々定が出た。

青年はその旨を採用アウトソーシング企業の上司に伝え、
契約満了に合わせて退職することを決めた。

しかし、この時点でも、青年にキャリア上の目標などはない。
GAFAの中で働くという漠然としたワクワク感と、
契約社員時代と比較すると、収入が大幅アップという、
目先の欲に目がくらんでの転職である。


そこから9年ほど経過し、青年は中年になっていた。
忙しい日々の中で、ある程度の責任ある仕事を任され、
ある程度恵まれた収入を得ながら、ほどほどに満たされて生活していた。


しかし、なんとなく過ぎていく日々の中で、
「このままでいいのか?」という、漠然とした疑問や、
達成感の得られない生活の中で、
どんどんと世界が色を失っていくように感じていた。


決断

そして、ある日中年は決断をする。
このほどほどの線路から降りるということを。
無理やりにでも、考えざるを得ない状況に、
追いやらないと、いつまでもなんとなく生きてしまう。


中年は長らく働いた会社を辞めて、膨大な時間を得た。
それまで目を背け、考えないようにしてきた、
自分という存在に対して、正面から、時には斜めから、
角度を変えながら、見つめ問いかけ、掘り下げていった。

何がしたいのか。
どう在りたいのか。

そんなことを考えて3~4か月ほど経過したタイミングで、
ようやく一つの方向性を見出した。
生まれて初めて自分がどう在りたいかを見つけ、決めた。



*******
長々と書いてしまいましたが、上述の内容は全て私の話です。

もちろん、全てのターニングポイントで、
それなりに真剣に考えていたり、
もう少し足掻いていたり、ドラマ的なこともありましたが、
大筋はこんな感じです。


夢や目標という言葉を問われるたびに、
その場しのぎの答えを返し、お茶を濁して生きてきました。

逆を返すと、夢や目標なんてなくても、
40年近く生きてきたので、たぶん残り40年くらいも生きられるはずです。

子供の頃に「消防士になりたい」「ケーキ屋さんになりたい」と、
純粋な気持ちで言える友人に、ずいぶん憧れたものでした。

40歳を前にして、やっと言えるようになりました。
「私は、これからも自分自身を探求しながら、
 その人生を楽しんで生きたい。
 機会があるならば、同じように「夢」や「目標」というものに、
 悩んでモヤモヤとしている人の話を聞いて、
 その人の内面にある『何か』を一緒に探してみたい」



追記:
超ざっくりと自分のキャリアを振り返ってみましたが、
つくづく偶然と運と縁に生かされていますね。

これまで関わって頂いた皆さん、ありがとうございます。
そして、これから関わってくださる皆さん、宜しくお願いします。


そして文字にすると自分の適当さがよく分かりました。
けれど、まぁ、それも自分と受け入れていくしかないよね。

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