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これからの社会のために:問題解決のフレームワーク創造の民主化

第1章:はじめに

私たちの知能は、知覚された情報に基づいて、現実を認識します。その際に、知覚された情報だけは足りない部分を補完する能力を持っています。この補完するための情報は、経験に基づいて頭の中に構築した世界に対する理解(世界観)です。その中には自分自身がどういった人物かを理解するための自己像も含まれています。

何度も経験している事については、知覚した情報が限られていても、この補完能力を発揮して、はっきりとした現実の認識を得ることができます。その状況では、ほとんど意識をしなくても、いつも通りの行動をすることができます。

しかし、あまり経験がないことや、少し先のことになると、はっきりとした認識を持つことができず、漠然とした認識になります。それの漠然した認識しか持てないことに不安に感じたり、あるいは、情報を集めたり思考を深めることで、できるだけ明確に認識できるようにすることが必要だと感じたりすることがあります。そうした場合に、意識的に思考することが必要になります。

従って、意識的な思考は、認識している現実の中で、情報が欠けていたり上手く補完できずに漠然としている部分に対する対策を立てることを目指します。これが上手くいけば、遠くの物事やこの先の将来の事に見通しを立てたり、自分が取るべき行動を自信を持って選択できるようになります。しかし、上手くいかなければ、いつまでも考え続けたり、精神的な悪影響が出る恐れもあります。

このため、認識している現実の中で漠然としている部分を、はっきりとさせる能力が求められます。これは、いわゆる問題解決能力と呼ばれる能力です。問題解決能力は、ビジネス用語として取り上げられることが多い言葉です。しかし、ビジネスマンだけでなく、全員が持つべきスキルとして認識することが大切です。

問題解決の方法としては、主に、1) 様子を見る、2) 別の角度から見る、3) 仮説を立てる、4) 論理を構築する、5) フレームワークを創造する、という方法があります。問題解決能力は、これらの方法を組み合わせて現実を上手く認識するための能力を含みます。そして、認識した現実に沿って自身の行動を決める能力でもあります。

これらの問題解決方法のうち、フレームワークを創造するという方法に着目します。これまであまり重視されてこなかったこの観点を意識することで、新しい問題解決のアプローチができる可能性があります。また、この能力を社会全体で底上げしていくことで、個人の生活や社会全体をより良くすることができる可能性があります。昨今話題のチャットAIを、そのサポート役として活用することも考えられます。

以下、第2章では知識の概念を整理して、意識的な思考が必要なるまでの知能の働きを分析します。第3章では、意識的な思考が必要になる状況と、意識的な思考による問題解決の方法について分析していきます。第4章では、問題解決の方法のうち、フレームワークの創造に着目して、その有効性と可能性についての考察と、社会への応用提案を展開します。フレームワークの創造のサポート役としてチャットAIが有効活用できるという点も説明します。

第2章 知能の概念整理

2.1節 知能の構成要素

人間の知能は、過去の経験をベースに構築した世界観を持っています。

その世界観の構成要素には、a) 認識した要素であるエンティティ、b)エンティティ同士の関係、c)エンティティや関係にある法則、d) シチュエーションがあります。

例えば、自分の目の前にペンがあれば、それがペンという「エンティティ」です。友人Aから借りたものであれば、友人Aとそのペンの間には所有という「関係」があり、私と友人Aの間には、そのペンの貸し借り「関係」があります。私と友人Aの間には、毎週末、一緒に遊ぶという「法則」があります。そして、このペンを早く返した方が良いのか、週末に返せば良いのか、が不明です。つまり友人Aとこのペンを取り巻いている「シチュエーション」が不明なため、念のため電話で友人Aを話をする必要があると感じます。こういった形で、私たちは現実を認識し、行動を決めています。

また、世界観の中には、自己像も含まれています。自己像も、世界観の中で上記の構成要素から組み上がっています。世界観の中の一部として自己像も存在していることになります。

自己像の特徴は、自分の意志で操作や制御が可能な部分があるという点です。これは主には、動かすことができる身体、他者に発信することができる言葉や文章などのコミュニケーション手段など外部への働きかけを行える部分です。加えて、自分自身の考え方や思考など、知能の内部にも変更したり付け加えたりといった操作ができる部分があります。そうしたものも自己像の一部です。

また、ポジティブとネガティブの評価軸を持つ痛覚や心地よさなどの感覚や、怒りや悲しみや楽しみや嬉しさなどの感情、ひらめきやときめきなどの興奮など、様々な知的反応の受け手としても、自己像は位置付けられています。

先ほどの例で言えば、友人関係であっても慎重に行動するという「法則」を、私という自己像が持っていることが伺えます。また、電話を掛けて友人を話をするという、操作や制御可能な部分も持っていることを認識しています。自分の身体というエンティティ、電話というエンティティ、会話能力というエンティティを操作することで、友人から必要な情報を引き出すことができるという「法則」が世界観の中に構築されているわけです。また、友人に電話を掛けたら慎重すぎると笑われるかもしれないと思います。笑われるというネガティブの評価軸です。このことが頭に浮かんで、慎重に行動するという自己像の「法則」の見直しをする、つまり自己像を操作することもできます。

2.2節 想起された現実と構築された世界観

人間の知能は、外界からの知覚で得られた情報を、過去の経験から構築した世界観に照らすことで、現実を認識します。こうして認識された現実を、ここでは想起された現実と呼びます。

この際に、パターン認識とパターンによる補完、という知的作業を行うことで、空間の認識や少し先の未来予測、そして可能であれば自動に行動を決定します。

これらの作業は異なる知的メカニズムのように思えるかもしれません。しかし、基本的にはパターン学習、パターン認識、パターンによる補完というパターン処理の能力があれば、これらを実現することができます。

2.2.1 パターン認識

まず、パターン認識について簡単に説明します。

知能は、視覚や聴覚などの知覚で直接的に得られた情報を、現実性が高いものとして扱います。その現実性の高いと判断した情報から、そこに存在するエンティティやエンティティ間の関係を認識します。同時に、シチュエーションも認識します。

例えばテーブルの上にペンが乗っていることを目で見ることで、「テーブル」「ペン」というエンティティを認識します。同時に「上に乗っている」という関係があることを認識します。また、それらが安定状態にあるというシチュエーションの認識もします。

このためには、過去に何度もペンやテーブルを見て経験的に学習していることが前提になります。これがパターン学習と、それに基づいたパターン認識です。同様に、法則や関係やシチュエーションも、過去に同様のパターンを何度も見たり聞いたりして、経験的に学習している必要があります。

2.2.2 補完の方法

次に、法則パターンによる補完について見ていきます。まず、補完の方法を説明します。

認識されたエンティティ、関係、シチュエーションに対して、法則をパターンとして適用します。これにより、知覚情報では得られていない情報を補完します。そして補完した結果を、想起された現実に反映します。

この時、パターンがぴったり当てはまると判断できる場合があります。その場合、外界から得られた知覚に基づいた認識と同程度の現実性を持つ情報としいて、補完した情報を扱います。

例えば、部屋の中の床は、テーブルや棚などの家具によって、全てを目視できません。しかし、私たちは四角い部屋の中には平らな床が均等に敷き詰められているという「法則」を学習しています。このため、直接目視できなくても、テーブルや棚の下に、床が存在していることを確信しています。

一方で、法則を適用して得られた情報が、既に認識したものと矛盾する場合があります。その場合は認識に誤りがある可能性が高いと判断します。この場合、別の法則を適用したり、パターン認識の時点からやり直したりします。

また、知覚情報が不足してパターンを適用しても補完した部分がぼやけることもあります。この場合も、目を凝らしたりして、より多くの知覚情報を得ようと試みるでしょう。

例えば、先ほどの床の例であれば、いつの間にか部屋の棚が少し傾いていることに気が付いたとします。その場合、棚自体が変形しているか、床に何か問題が生じた可能性があります。これが先ほどの平らな床を想定したこととの矛盾です。また、棚が変形しているという現実があるのか、床にゆがみのようなものがあるというのが現実なのか、いくつかの可能性が想起され不確定になります。これが、想起された現実のぼやけです。そこで、棚が変形していないかを確認したり、棚の付近の床に、何か異変がないかを観察して、想起された現実のぼやけを解消して、現実を確定させたくなります。

2.2.3 補完の種類

想起された現実に補完する対象には、大まかに以下の種類があります。

a) 現時点の空間認識

先ほどの例のように、物陰に隠れた床や壁、外界からの知覚で得られていない空間を、世界観の中の法則をパターンとして適用して補完します。また、一度目視した物が安定した状況にあると認識した場合、しばらく目を離しても、先ほどの場所にあり続けていると認識するようなケースも、この空間妊娠期の範疇です。

b) 時間変化

世界観の中に学習した法則の中には、時間経過による変化の法則も含んでいます。このため、想起された現実は、現時点の空間認識にとどまりません。時間的な変化に関する法則を適用した結果、予測されることも、補完結果として反映されます。

時間経過による変化についても、何度も繰り返し同じことを観察したり経験している場合、かなり確実な法則をパターンとして学習することができます。そして、今現在の知覚から得られる情報にパターンを適用して、未来の姿も補完することができます。この未来の姿も、空間認識と同じくらいの現実感を持って認識されます。

例えば、キャッチボールの練習を繰り返していると、ほぼかなり正確に飛んでくるボールの位置を把握することができるようになります。これはボールの動きの法則をパターンとして学習し、そして、そのパターンを適用してボールの動きを予測しているわけです。人間関係においても、親しくなると、こんなことをしたら相手が喜んでくれるだろうとか、きっとこういう事を期待しているだろうということが直感的に分かるようになります。これも、一種の法則の学習です。

c) 自分の行動

自己像についても世界観に含まれています。このため、何度も繰り返し実施してきた事であれば、自身の未来の行動も、自己像に照らしてパターンを適用して予測することができます。

未来の自分の行動を補完して予測する、というのは違和感を覚えるかもしれません。これはもう一歩踏み込むと、予測するだけでなく、無意識にその補完した通りに行動するという事までをも含みます。予測し、行動まで行ってしまうのです。

このメカニズムは、無意識の行動という形で現れます。実際、私たちは慣れている状況で、慣れている作業を行う時には、意識を集中させなくてもほぼ無意識に体を適切に動かして作業を進めることができます。

このことを、キャッチボールの例で説明します。

無意識下で、ボールの動きの法則を使ってボールの未来の軌道が補完的に想起された現実の中に反映されます。

また、ボールだけでなく、自分の体や腕の動きについても補完します。より細かく言えば、想起された現実の中でグローブとボールが上手く重なるような、身体の動し方を見つけます。

そしてほぼ無意識的ではありますが、実際の時間経過の中でその通りに身体を動かします。この時、時間が経過する中でも常にボールを目で追って、知覚情報を獲得し続けます。

仮に、視覚情報と想起された現実にずれが生じたら、そのずれの分だけ、未来においてグローブとボールが重ならなくなります。そこで、未来においてグローブとボールが重なるイメージが得られるように、身体の動し方を調整します。このように、時間経過の中で、身体の制御、知覚情報の反映、制御方法の補正を同時並行的に行うことで、最終的には上手くボールをキャッチします。

第3章 意識の概念整理

3.1節 意識の登場

自動行動を継続するためには、想起された現実のうち、空間や時間的に近い部分は、高い確度で補完できる必要があります。逆に言えば、補完のベースになる知覚情報が不足していたり、今の情報だと補完が矛盾してしまうような場合は、自動行動が継続できなくなるという事です。

また、空間や時間が離れるに連れて、補完できる度合いが弱まっても許容できるようになります。なぜなら、その時点から時間が進行して、視線の移動や体を移動させることで、不確かだった部分が鮮明に補完できるようになるためです。

とは言え、空間や時間が少し離れた部分も、まったく補完ができないようだと困ります。何か非常に影響の大きい危機が迫っていて、補完ができるようになるのを待っていると、取り返しがつかなくなるかもしれないためです。このため、空間や時間が離れた部分の補完度合いがあまりに低いような状況でも、自動行動は継続できなくなります。

人間の意識は、こうした自動行動が継続できなくなった状況下で呼び起こされます。こうして、人間は意識的な思考や活動を行うようになります。

空間や時間的に遠い部分についても、世界モデルである程度の見立てが立てられない状況は、人間にとって心地悪いものです。このためチャンスがあれば、移動をして空間的に補完ができないような遠い場所を、自分の目で見に行こうという気持ちが湧き上がる事があります。また、未来についてはもっと心地悪く、その気持ちは折に触れて将来への不安という形で、頭によぎり、意識を呼び出して不安に思っていることに対してグルグルと思考を巡らせます。

あるいは不安というネガティブな感情ではなく、探求心という気持ちが湧き上がって、未来や未知の事について考えを巡らせたり、一部を実験で確かめようとする気持ちが出てくることもあります。その場合も、もちろん意識によって思考が始まります。

3.2節 意識の役割

このように考えると、意識が登場するのは、想起された現実の補完精度に問題が出た場合です。それは空間や時間的に近い問題の場合もあれば、空間や時間的に遠い場合もあります。

いずれにしても、その補完精度に対して問題が出てきたという事です。このため、解決策を考えるということが意識の役割となります。

そして、意識が常に思考という行為と結びついているイメージがある理由もここにあります。自動行動ができなくなったために、考える必要があって意識が呼び出されますので、意識は考えることを期待されているわけです。

解決策を上手く見つける事ができれば、意識の出番は終わって再び自動行動に移ることができます。

反対に解決方法が見つかず、それを諦めきれなかったり、納得することができなかったりすると、延々と考え続けることになります。

また、解決策を考えてそれを実行しても、知覚や感情や感性からネガティブな刺激を受けてしまうと、解決策を出した意識とその思考の失敗とみなされます。そうすると意識や思考にとっては否定的な評価となります。

そして、知覚や感情や感性からネガティブな刺激を受け続けると、意識や思考が否定され続けることになり、自信の喪失や意思決定への拒絶反応を起こして他人に依存するようになったりします。また、この意識や思考への否定的な評価の継続は、精神衛生上、良くないことなのだろうと思います。

3.3節 意識による問題解決法

このように考えてみると、私達は問題解決の方法を、誰もが必要としていることがわかります。決してビジネスマンに固有のスキルではない、という事を意味します。

外形的な問題解決法は世の中にいろいろあります。ここでは、上で提示したモデルに沿って考えてみます。

1.様子を見る

想起された現実を十分な精度で補完できない場合、情報が不足していたり、補完するための法則にばらつきを与えてしまう要因が存在していたりします。

その場合、より多くの情報を得るように観察することが有効です。また、時間が経過すると、自然と情報が集まったり、ばらつきを引き起こしている要因が取り除かれたりします。

これは、様子を見る、という手段を選択するということが有効なケースです。様子を見るというのは、観察をしながら時間が経過するのを待つという方法です。

2.別の角度から見る

情報が不足や、ばらつきを与えてしまう要因が存在する場合、現実を見る角度をずらすことで、新しい情報を得られたり、ばらつきを与えている要因を除去することができることがあります。

これは、別の角度から見る、という手段を選択するということが有効なケースです。別の角度から見る、というのは、物理的に動いて視覚的に別の場所から対象を観察することです。

また、その物理的に別の角度から見ることのアナロジーとして、知能の中に構築された世界観に対して別の角度から見る、という方法もあります。つまり構築された世界観に含まれる以下の要素について、別の関係や法則、シチュエーションを組み合わせてみるという方法です。

a) 認識した要素であるエンティティ、b)エンティティ同士の関係、c)エンティティや関係にある法則、d) シチュエーション

これにより、例えば、今まであまり重視していなかったエンティティ同士の関係に着目することで、想起された現実に新しい解釈がもたらさる事があります。その解釈を元に補完すると、精度が高い補完ができる場合があります。関係だけでなく、着目するエンティティ、法則、シチュエーションを変えることでも、同様に想起された現実の補完精度が変化します。

このように、構築された世界観の中で、着目する対象を次々と変えてみるという事が、抽象的な別の角度から見るという行為です。視点を変えてみるという表現も同じ意味です。

3.仮説を立てる

別の角度から見る、というセクションで説明したように、抽象的な構築された世界観に作用することが、想起された現実の補完精度を高めます。これがいわゆる思考です。
構築された世界観への作用方法は、別の角度から見るあるいは視点を変えてみる、という方法以外にも、考えられます。仮説を立てるという作用が、その1つです。
想起された現実の補完を行う際に、補完精度が低いという事が問題の出発点でした。このような補完精度が低い部分が複数ある状況を想定します。

補完精度が低いというのは、全く補完する候補案がないのではなく、複数の候補案があるけれども、いずれも十分な精度を持たないので確定できない状態とも言えます。その状態で、思い切って一度、ある候補案を確定したものとして取り扱ってみます。これが仮説を立てるという作用です。

その上でで想起された現実の補完を試みます。そうすると、他の補完精度が低かった部分の補完精度が大きく改善され、かつ、それ以外の補完部分とも特に矛盾しないケースがあります。そうすると、仮説として立てた候補案が、最適な補完結果であるという信憑性が出てきます。

さらに、他の候補案も試していき、他の候補案では全体の精度が向上しなかったり、既存の補完部分との矛盾が生じたりすると、それらは候補案から除外されていきます。こうして、最終的に1つの候補案に絞り込んでいくことができれば、その候補案が精度の高い補完情報として想起された現実に組み込まれます。

4.論理を構築する

構築された世界観の中の、エンティティ、関係、法則には、さらに抽象化して別のシチュエーションにも適用可能な形に汎用化することができるものが見つかる場合があります。例えば足し算、引き算、掛け算、割り算などといった算数です。この算数のエンティティ、関係、法則は、リンゴの合計数を計算するときにも、人数を計算するときにも、重さを計算するときにも、同じ法則が適用できます。つまり様々なシチュエーションに適用できる汎用的なものです。

こうした様々なシチュエーションに適用できる汎用的なエンティティ、関係、法則の体系を、想起された現実の中で補完精度の低い部分に適用して解釈することで、不足している情報をその体系の中で埋めていくことができる場合があります。例えば100個入りのリンゴの箱と、200個入りのリンゴの箱がある時に、どちらを買えば10人の子供たちに15個以上配ることができるか、という状況を例にします。この状況を既に何度も経験していれば、意思することなく200個入りの箱を買うという行動をとるかもしれません。しかし、初めてのケースでは意識が必要になります。呼び起こされた意識は、このシチュエーションに算数を使えば良いと気が付き、例えば掛け算や割り算、あるいは両方を使って、200個入りの箱を買うとよい、という結論を出すでしょう。

これが、構築された世界観に対して、論理を構築する、という作用です。あるいは推論と言っても良いでしょう。論理を構築や推論でにより、想起された現実の中で直感や経験的に補完できないような部分を、確定的に補完することができます。

この論理の構築と推論は、とても強力です。しっかりとした論理であれば、その論理に基づいて想起された現実の中に補完した情報を元に、さらに次の論理を重ねて、より空間的あるいは時間的に離れた部分まで、確定させていくことができます。ここでいう空間は、物理的な空間だけでなく、構築された世界観の中のエンティティや関係や法則の空間でもあります。論理の構築や推論は、このようにして、構築された世界観の空間をどんどん高い精度で広げて、より深く、複雑な構築された世界観を構築していくことを可能にします。

そして、高精度で構築された構築された世界観に基づいて、想起された現実を補完することで、高い精度でより広く、深く、長い時間、確度の高い想起された現実を得ることができます。

さらに、想起された現実には、自分の行動も含まれています。このため、論理によって構築された想起された現実は、未来の時間において、高い確率で実際に現実のものとなっていきます。この強大な力が、人間が木よりも高い建物を構築し、信じられないほど高密度の機器を作り出し、果ては宇宙にまで到達することを可能にしています。

5.フレームワークを創造する

アイデアなどを創造するという作用は、一般的には、上記の、別の角度から見る、仮説を立てる、論理を構築する、という作用に含まれているように思えるかもしれません。広い意味では、確かにこれらの作用は、アイデアを創造することにつながります。

しかし、このセクションで取り上げる「フレームワークを創造する」という作用はもっと限定された概念です。このフレームワークを創造するという作用は、別の角度から見る、仮説を立てる、論理を構築する、という作用とは別の作用を指します。

フレームワークとは、思考の枠組みを意味します。先ほどのリンゴの例では、算数というフレームワークを思考の枠組みとして使ったわけです。この算数のような思考の枠組み、つまりフレームワーク自体がなければ、論理を構築するという強力な作用を実現することはできません。そして、対象の問題の種類が変われば、効果的なフレームワークも変わります。例えば、人間関係の悩みは算数のフレームワークでは解消できないでしょう。

同じ物理学の世界の中でも、固体の運動の問題はニュートン力学のフレームワークで扱えますが、流体をニュートン力学のフレームワークで扱おうとしても上手くいきません。また量子レベルのスケールの問題や、宇宙レベルのスケールの問題でも、ニュートン力学のフレームワークは上手く適用できません。そこで、流体力学、量子力学、相対性理論のような新しいフレームワークが創造されたのです。

また、物理学の世界は、本質的なフレームワークが見つかれば、少数のフレームワークで多くの事を説明できる分野です。一方で、社会学の世界は、多面的で複雑であり、本質的なフレームワークであっても、1つ1つのフレームワークは、社会の限定された範囲や観点だけが説明できるという性質の分野です。このため、社会学は社会学者の数だけ存在すると言われていますが、これは、社会学が多数のフレームワークの創造を必要とする分野であることを示しているのです。

このように考えると、フレームワークを創造するという作用と、別の角度から見る、仮説を立てる、論理を構築する、という作用は、異なる思考作用であることが鮮明になります。

別の角度から見る、仮説を立てる、論理を構築する、ということを行っても、想起された現実のある部分が、満足できる精度にまで補完できない場合、それを知性の限界として諦めることもできますが、新しいフレームワークの創造が必要になっていると考えるきっかけにもなります。このフレームワークの創造という着想を持っており、そして、それが必要な状況に置かれた時に、新しいフレームワークの創造という作用のスタート地点に立つことができます。

第4章 フレームワーク民主化への期待

4.1節 フレームワークの創造というアプローチ

以上の話の中で、おそらく多くの人が注目する点は、フレームワークの創造の部分だと思いいます。それ以外の部分は、言われてみればそうかな、という印象だと思います。一方で、フレームワークの創造の部分は、何だか難しいことや無理難題、あるいは、あまりこれまで聞いたことがないような話題だと受け止める人も多いのではないかと思います。

このアプローチは、先ほど挙げたような、新しい物理学の理論や、社会学者の独自の観点での研究など、一部の人にしかできない知的作業に思えるかもしれませんが、実際にはそうではありません。

もちろん、物理学や社会学におけるフレームワークを新しく考え、有用なものを見つけ出すというのは、とても高度な知的作業であり、専門家でなければ難しいでしょう。しかし、それは高度な学問分野において広く一般に適用できるフレームワークを創造する場合の話です。

一方で、私たちが日常的に直面する問題や不安、先々の見通しを得たり自分の行動を決めたりする際には、自分だけが納得できる考え方ができれば良く、広く多くの人に適用できるものである必要はありません。また、物理学よりも社会学の方が、多面的で多様なフレームワークが必要とされるように、それらの学問という汎用性の高い分野でなく、日常生活というより具体的で人によって抱えている問題が細かく異なるような分野では、それだけ多様なフレームワークが必要とされます。

これは、フレームワークが多様であるという点だけでなく、日常生活で私たちが直面する個別具体の問題ケースは、そのケース毎に似て非なるフレームワークを適用していった方が良いということです。さらには、そうした個別具体的な多様な状況すべてに対して、少数の学者や研究者が全てのフレームワークを提示するとはなく、大まかな広く使えそうなフレームワークを提供しているにすぎないということを理解することが大切です。

そう考えると、個々人が直面している個別具体的な問題について、そこに必要なフレームワークを考えるのは、その当事者たちしかいないという事です。もちろん、学者や研究者が考案した汎用的なフレームワークも適用可能である場面は多いと思いますが、ジャストフィットしているとは限りません。そうした汎用的なフレームワークの選定や微修正、あるいは大胆に新しいフレームワークの創造にチャレンジすることも含めて、当事者である私たち自身が、取り組むことが重要なのです。

4.2節 フレームワーク創造の民主化

ここに、私がフレームワーク創造の民主化というアイデアを宣言します。

私たちは、自分自身が問題に直面した時に、どういうフレームワークを使って自分が考えているかについても意識をし、別のフレームワークを適用できないかを考え、さらには、必要があればその問題固有のオリジナルのフレームワークを創造する権利があります。

社会は、この個人が自分の問題解決に際して、フレームワークを認識、選別、創造することを全面的にサポートするべきです。フレームワークの創造は、一部の専門家や研究者、天才の特権のように扱うのではなく、個々人が自由意志に基づいて行う事の出来る、価値のある知的行為です。これを社会が強くサポートすることが、人々の人生を豊かにし、社会を発展させるのです。

これが、フレームワーク創造の民主化のアイデアであり、誰もがフレームワークを必要に応じて気軽に自由に想像する社会像を描き出したいのです。

フレームワーク創造の民主化は、単に個人の個別具体的な問題解決だけでなく、小さな集団における問題、少し広域な集団における問題、ひいては広く社会的な問題にまで適用できるでしょう。

また、フレームワーク創造の民主化の影響は、具体的な個々の事例だけでなく、より汎用的で、最終的には学問や研究の領域にまで広がります。日常的にフレームワークの創造を行う個人が増加すれば、その個人が研究者や学者になった時に、より多くの価値のある仕事を行うことができる可能性が高まります。

4.3節 フレームワーク創造の民主化の手段

この「フレームワーク創造の民主化」は、別段、社会の何かを大きく変える必要はありません。単に、フレームワークという概念を個々人が理解し、この概念の応用を自分の思考の中に取り入れるだけです。

本当にこのアイデアに価値があると考えるなら、最終的には教育に組み込むことが社会に求められるでしょう。そこまで至らなくても、このアイデアが口コミあるいは何らかの記事や書籍などで世の中に広く周知されれば、「フレームワーク創造の民主化」の初期段階は達成できます。あとはこのアイデアが個人や社会の中で活用されれば良いわけです。

また、少しコツがいるかもしれませんので、フレームワークを認識、選別、創造するための練習法や参考事例の紹介などの周辺情報も増えてくれば、よりフレームワーク創造がやり易くなってくるでしょう。そう考えると、こうした練習方法の研究開発、事例の収集が「フレームワーク創造の民主化」の初期段階を加速させる重点活動になると考えられます。

4.4節 チャットAIの活用

さらにフレームワークの認識、選別、創造は、単純に思考活動であり、主には言語的な活動である点に私は着目しています。大規模言語モデルに基づいたチャットAIは、言語的な思考活動が得意です。従って、フレームワークという概念を意識しながらチャットAIとやり取りをすることで、自身の思考におけるフレームワークについて認識したり、理解を深めたり、他に参考になりそうなフレームワークの知識を得たり、といったことを実現できます。

現在のチャットAIは噓をつくという弱点がありますが、これは細かな具体的の情報の事です。その反面、フレームワークという観点については、チャットAIは高い能力を発揮します。これはフレークワーク自体が様々な具体の情報でなく、抽象化した概念であるためです。このため、チャットAIは具体情報の検索に使うのは向いていないものの、フレームワークの扱いには向いています。

このチャットAIの能力を活用することで、フレームワークの導出、適用、論理的な整合性のチェックが、一人でも効率的に行えるようになります。従来、こうした新しい概念や考え方を思いついたとしても、それを理解して論理的に検証できる友人や知人などと議論を深めないと、新しいフレームワークの深堀りが難しいという課題がありました。チャットAIの登場で、この課題が解決され、いつでも気軽に自分の考えたフレームワークについて議論できるようになりました。

これが、多くの人の知的活動を加速しています。チャットAIと壁打ちをしているという表現をする人が時々いますが、まさに、このフレームワークの創造という知的活動にも当てはまると思います。現在のチャットAI自身は、新しいフレームワークの創造までは簡単にはできませんが、考案したフレームワークに対しての見解は比較的的確に理解して感想や問題点を教えてくれます。

このような形でチャットAIを活用することで、フレームワークの創造が、より多くの人にとって身近なものになっていくと考えています。従って、チャットAIは「フレームワーク創造の民主化」を強力に後押しする動力源になると私は考えています。

4.5節 注意点ともう一つの民主化

なお、勘違いされがちな点について注意点も記載しておきます。

フレームワークの民主化における注意点は、チャットAI自体が適切なフレームワークを考え付くという事にはあまり期待できないという事と、そもそも期待しない方が良いという事です。

フレームワークの認識、選別、創造の主体は、あくまで個々人であり他人やチャットAIに頼っても良い結果は得られないという事です。これは、どんなに賢い友人や専門家に自信の悩みの相談をしても、アドバイスをもらえることはあっても、最終的には自分自身が納得のいく答えを出すしかないという事と同じです。AIがどんなに賢くなったとしても、その真理は変わらないでしょう。そこで問題になっていることは知性の高さではなく、自由意志をどう発揮するかの問題だからです。

そういう観点から考えると、もう一つの観点が得られます。今までの知的労働重視社会や高度情報社会は、自由意志の発揮のためには知性の高さが必要だった時代とも言えます。しかし、チャットAIのサポートが得られる時代は、知性の高さは個人個人の固有能力でなく、共有ツールという側面が出てきました。

もちろん、自分自身がある程度の見識や倫理観を持っていることは必要です。しかし、高度な知識や知性は、それを身に着けることができる人の特権ではなく、誰もがその気になれば使いこなせるもの、という形に変わっていきます。ここに、知性の民主化や、あるいは自由意志発揮の民主化、といった時代が来ることも見えてきそうです。

第5章 さいごに

再度繰り返しますが、この「フレームワーク創造の民主化」は、ほとんど大きな変革を社会に求めることはありません。ただ、大勢の人がこの考え方を知り、価値があると思えば賛同し、思考の中に取り入れてもらえばよいだけです。役に立たないと思う人には、忘れられても構いません。

過半数の人が賛同しないと成し遂げられないわけでもなく、いわばスモールスタートが可能です。一人一人がこの考え方に賛同することで、少しずつ価値が高まっていきます。

そして、もちろん暴力的でなく、そしてとても低コストな社会革命です。それでいながら、心の豊かさや複雑な社会問題という現代社会が直面する壁を乗り越える一つの希望にもなります。

サポートも大変ありがたいですし、コメントや引用、ツイッターでのリポストをいただくことでも、大変励みになります。よろしくおねがいします!