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不可知性の次元:自己としての信念

信念は、人によって異なる主観的な観念です。

この記事では、信念について2つの観点から掘り下げます。

一つは、不可知性の観点です。事実を確認できない物事を、信じる、あるいは信じないというのは、個人の信念の一つです。不可知性が根底にある信念は、覆されることがないため、強い信念となり得ます。

もう一つの観点は、自己認識の観点です。脳が信念を自己として認識してるという仮説を提示します。自分の身体に危害を加えられた時と同じように、信念を否定されたときに、強い感情を抱くことがあります。この仮説は、そのことを上手く説明できます。

このことを理解していくと、異なる信念を持っていても、相互理解ができる可能性が開けてきます。この事が重要です。

では、順を追って説明します。

■不可知性の次元

知能は情報を手に入れることで、対象を知ることができます。一方で、絶対に確定的な情報を手に入れることができない対象もあります。情報が手に入らない以上、その対象の事を知る事はできません。この性質を、知ることができないという意味で、不可知性と言います。

例えば、以前に、あなたの祖父Aが、有名人Cと友達だった、という話をしたとします。そして祖母B、その話は疑わしいと言ったとします。現在は、三人とも会うことができないとします。この時、祖父Aと有名人Cが友達だったのかどうかは、あなたにとって不可知性の知識です。

ここで、あなたは3つの立場を取ることができます。一つ目は、祖父の話を信じることです。二つ目は、祖父の話を疑う事です。そして、三つ目は、不可知であることを認めることです。

確定的な情報は絶対に手に入れることができないため、どの立場を取ったとしても、それを覆されることは絶対にありません。

もしあなたに兄弟がいて、彼とあなたの立場が異なった場合、お互いの立場を変えることはできません。どちらも、決定的な情報は得られないためです。例え口論や喧嘩になって、どちらかが負けを認め、立場を変えると宣言したとしても変わりません。

口で表明する立場は変えられても、心の中の立場までは変えることはできないのです。結局、不可知性の知識に対して、どの立場を取るかは自分にしかその決定権はありません。つまり、不可知性の知識は、自分の意志で完全に決定可能です。

■自己=決定可能な不確定性

知能は生存のために予測を行います。予測のために、知能はパターン認識やシミュレーションの能力を持ちます。

予測をした結果を脳はイメージとして持ちます。予測が当たっていれば、イメージと現実が一致します。

一方で、自分が完全に制御できる対象は、必ずイメージと一致します。

未来は不確定性を持ちます。その中には、予測できるものだけでなく、決定可能なものが含まれています。決定可能な不確定性は、自分の意志で完全に制御できるものです。

この原則を利用して、幼児は自分の制御できる身体と、外界とを識別してくことができます。そして、自分の意志で完全に決定可能なものを、自己として認識していきます。

■自己の一部としての信念

不可知性に対してどの立場を取るかは、自分の意志で完全に決定可能です。これは、私たち一人一人が持っている信念です。

そして、自分の意志で完全に決定可能なものを、私たちは自己として認識しています。このため、決定可能な信念も、自己の一部と言えそうです。

信念は個々人で異なり、かつ、他人が変える事はできません。このため、所有権の面からも決定権の面からも、自己の要件を満たしています。

また、自分が信じていることを他人から否定されると、怒りや悲しみなどの強い感情や、反抗心を抱きます。この点も、身体を拘束されたり、傷つけられそうになった時の反応にそっくりです。

突飛な話に思えるかもしれません。しかし、このように整理していくと、共通点が多いのです。知能から見た身体と信念の間に差異を見つける方が、むしろ難しいとさえ思えます。身体のように物理的な物だけでなく、信念のように観念的なものも、脳は同じように自己として認識することができるということです。

■自己認識のメカニズム

自己は、イメージと現実が一致する部分になります。これを利用して、自己と外界を容易に識別するメカニズムを作ることができます。

知能は予測を行う機能を持っています。予測に基づいてイメージを描いた時に、時々あえて法則のないランダムなイメージを描いてみます。外界であれば、予測が外れてしまう事になります。しかし、ランダムにイメージを描いても、現実が追随するのであれば、それは外界でなく自己と判断できます。一度では偶然一致することもあるでしょうから、何度もランダムな操作をすることで、自己であるという確信を高めます。

その後、自己であると確かめられた部分を使って、その先にあるものも操作できるかを確認していきます。例えば手に馴染んだ道具は、思い通りに扱うことができますので、それも自己の延長線上に位置します。また、物理的な道具だけでなく、言語能力や様々なスキルも、自己の延長線上に位置します。このようにして、自己の範囲は広がりを持って行きます。

■信念を自己と認識する過程

身体面だけではありません。観念上の自己である信念も、同じメカニズムで自己であることを確認します。

認識している知識に、わざとランダムに変更を加えてみます。この時、確定的な情報を持っていたり、そこからの推論で確定できる情報があると、どこかで矛盾が生じます。一方で、不可知性の知識は、ランダムに変更しても、矛盾を生むことがありません。

その不可知性の知識を、信じる、疑う、不可知のままにしておく、のいずれかの状態にします。そこからの推論で、周辺に派生知識を広げることができます。推論された派生知識も、不可知性の知識に由来してるため現実と矛盾することはありません。

ある程度の段階になると、最初の知識についてわざとランダムに変更しようとしても、周辺の派生知識と矛盾が生じてしまいます。周辺知識を含めてすべて同時に変更しない限り、変更することができなくなります。

かつて自分だったものは、例え自分では制御ができなくなったとしても、自分だと認識します。信念についても、例え周辺の派生知識によって変更ができなくなっても、自己の一部であると認識しつづけます。

■信念と不可知性の自覚

自分の信念のうち、不可知性に由来している部分と、そうでない部分を認識することが重要です。

不可知性に由来しているからといって、信念を否定する必要はありません。ただ、確定的な情報を得ることはできないという事実を理解しておく必要があります。そうでなければ、相手が自分の信念を理解しないことや、異なる信念を持っていることに、違和感や不満を抱くでしょう。そして、相手の信念を否定したいという欲求に駆られることになります。

不可知性の対象については、確定することができないため建設的な議論は不可能です。お互いにどんなに否定したり説得しようしても、徒労に終わるだけです。

不可知であることを認識しつつ信念を持つという事が重要です。そして、自分には自分の信念があり、他者には他者の信念がある、それさえ理解できれば良いのです。

■さいごに

この記事では、身体的な自己認識の方法について説明し、それが観念的な自己認識にも考え方を応用できるということを整理しました。そして、信念も自己の一部と考えることができることを示しました。

また、一度確立した信念には周辺に派生知識が広がるため、容易には覆せないという事にも触れました。

そうした信念の根底にある不可知性を把握することが重要です。自分には自分の信念、他者には他者の信念がある、ということを理解することができるようになるためです。

これにより、異なる信念を持っていても、不毛な対立や分断を避け、相互理解の土台を作ることができます。

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