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等身大の生き方でいい:素直な心で見つめる力

はじめに

好きな画家はルノワールです。絵の雰囲気も好きなのですが、その発言を知り、一番の好きな画家になりました。

画家として有名になって地位も名誉も手に入れたにも関わらず、晩年になって「ようやく絵の描き方が分かってきた」という驚くべき発言をしたそうです。絵画への探求心がにじみ出ているエピソードです。そして、「絵の中は美しくて楽しいものを描かなければならない。わざわざ描かなくても不愉快なことは世の中に溢れているから」というようなことを語ったともされています。人間愛というか絵画愛というか、自身の人生すら芸術にしたような人です。初めてこのエピソードを聞いた時には、私の中でしびれるような感動がありました。

さて、この記事では、いわゆる理系のソフトウェアエンジニアである私が、どうして絵画に興味があるのかについての話に触れつつ、私が提唱している実構造主義(Architecturalism)の考え方を掘り下げていこうと思います(参照記事1)。

実構造主義とは、簡潔に言うと、物事を分析する際に以下の手段を重視する考え方です。

  • 物事の本質を多角的に抽出する

  • その中から実用的な構造を見つけ出す

例えば、この構造を元に様々な人や組織の間に共通言語を作ることで、様々な立場やバックグラウンドを持つ人たちの能力を協調させて、力を合わせて問題解決に向かうことが可能になります。また、複雑な物事を多角的に分析すると、それぞれが調和する協調関係にありつつ、一貫した方向性を見い出せることがあります。

このように、複雑な対象や問題解決を行うチームに見いだされる協調関係を「和(場の調和)」、それらの持つ方向性を「我(強い思い)」という二つの側面から捉えることも、実構造主義は重視しています。

自分の生き方を考えたとき

確か、小学生の高学年くらいの頃、もしかしたら中学校へ自分のライフステージが変わる頃だったかもしれません。自分のこれからの生き方を、試しに考えてみる、という経験をしました。何か切迫していたわけでも、誰かに言われたわけでもないのですが、ともかく考える事は好きだったので、考えて見たのだと思います。

その時に考えた人生戦略の骨子は以下の3つです。シンプルですが、この基本を守ることが大切だと思っていました。

  • 自分に合った目標や基準を決める。

  • 最小の努力で最大の成果を得る。

  • 先の事を見通す。

そして、まず考えたことは、自分は何か夢や野望のようなものを持つことに興味がない人間だな、という事でした。

世の中には夢や希望を心に抱く人たちも大勢いると思います。人生戦略や自己啓発の話なら、ここで大きな夢や大志を抱いたという話になるのでしょう。私も純粋に自分自身の事を見つめて、考えたのです。有名になったり何か大きなことを成し遂げたり、そういう気持ちが自分にあるのか、何か目指してみたい夢はあるのか。考えたものの、どうもピンと来なかったのです。

そこで私は、とにかく「それなりに平凡に生きる」ことを自分の生き方の目標というか、基準にすることにしたのです。周りの人に言わなければならないのだったら、ちょっとカッコ悪いし、変に思われるかもしれないので、そういう結論は出さなかったかも知れません。けれど自分の心の内の事です。素直に考えていいはずです。だから、そう決めたのです。

基本戦略の軸

人生の基準は決まりました。そこから考えたことは二つです。一つは、どのような職業に就くか。もう一つは、将来をどう見通すか、です。

今はインターネットがありますから、調べようと思えばいろいろ情報を集めることができます。世の中にどういった仕事があるかとか、どんな大変さがあるかとか、上手く生きていくための処世術にはどのようなものがあるかとか。けれど、当時はインターネットは無く、しかも、私は最初から調べ物をしてわかった気になるというのは、自分のためにならないという考え方を持っていました。

このため、私はこの二点について、誰にも聞かず、何も調べずに、ただ考えました。

まず、将来の見通しです。少なくとも世の中で誰がどんな事を言っていたとしても、未来のことを正確に把握できる人はいません。その当たり前のことをしっかりと認識し、それを前提に考えを組み立てることが重要だと考えました。ただ、正確な把握は不可能だとしても、一定の見立てはできるとも考えていました。

それを前提にすると、現時点で自分の職業を定めることはできません。その職業を目指しても、いろいろな事情で上手くいかないかもしれないからです。そこで、考え方を変えて、それなりに平凡に生きるために困ることがない程度の職業に就くだけの、能力やスキルを身に着けることを考えるのが得策だと思ったのです。

どんな能力を身に着けるか

私は、人気者になったり経済的に人よりも裕福になりたかったわけではなく、平凡に生きることを目指す事にしていました。そうなると、人と異なる特別な能力やスキルに特化して伸ばしてナンバーワンになる必要はありません。一方で、平均的に能力やスキルを身に着けるということも悪いやり方ではなかったと思います。しかし、社会がもしも今よりも大きく変動したとして、それでも安定して収入を得るためには、人と同じことをしていては駄目だと考えました。

そこで私が考えたのが、オンリーワン戦略です。これは特別なことに思えるかもしれませんが、先に挙げた戦略の骨子を持っていた私は、最小の努力でオンリーワンの能力を身に着ける方法を論理的に考え出しました。それは、2つのスキルを人よりも高くしておく、という作戦です。

例えば、1つのスキルをトップレベルまで高めることは、相当の努力を要する割に、社会の変化に脆いという弱点があります。そこで、あまり他の人が組み合わせとして持たないけれども、組み合わせると価値が出るような2つのスキルを持つことを考えました。それぞれが平均より少し高いレベルだとしても、その2つを平均より高いレベルで持っている人はあまりいない。そういうスキルの組み合わせを見つけて、それを伸ばすのです。そうすれば、比較的容易に十分なスキルレベルに到達できる上に、自分が苦手なスキルは伸ばさなくても大丈夫です。この2つのスキルを持っている人を探している会社があれば、他の事が出来なくても、私はとても魅力的な人材に見えるはずです。

もともと、算数や理科が得意で、この戦略を考えた時に既に合格点だと思っていました。普通に学校に通っていれば、社会で十分役に立つレベルにはなるという自負はありました。幸い、理系の基礎能力が高ければ、開発者や研究者など具体的かつ様々な仕事に応用できることはわかっていましたので、これは私にとって幸運でした。

もう一つは文章を書く能力を身に着けることにしました。私の周りの友人たちを見ても、算数や理科が得意な子は、あまり小説を読んだり作文が得意ではなさそうでしたし、世の中も理系と文系というカテゴリ分けが一般的でしたので、この両方にまたがる形でスキルを持っておけばオンリーワンになれると踏んだわけです。

そこで、この頃から、趣味というか子供の遊びレベルで小説を書くようになりました。幸い周りに仲間もいて、楽しく続けることができました。

その後のこと

中学校に入ってからは、プログラムを作る機会に恵まれました。友達とゲームを作って遊ぶというのが楽しくて、すっかり好きになり、高校と大学は情報工学の道に進みます。その間も小説を書いていました。

また、大学では、古本屋さんが近くにあったので、理系の学生でありながら、社会学や経済学などの基礎的な本を読んだり、知らない分野があればとりあえず本を一冊読んで浅く広く知識を身に着けることを心がけていました。もちろん、楽しんで続けられる範囲で、です。

そんな中、感性を磨くようなことはあまりやっていなかったことに気がつきました。そこで、何か芸術分野のことも趣味に持とうと考えたことが、美術に興味を持ったきっかけでした。ちょうど、様々な絵と共に、作者の考え方や生き方も紹介する番組があって、それが面白くて毎週欠かさず見るようになりました。その中で、ルノワールのエピソードに触れ、私の中で一番好きな画家になりました。

また、人生戦略を考える中で、自分が平凡でそこそこ幸せに生きていたいなら、周囲の人も平穏で幸せでなければならないことに思い至りました。そして、私ができる範囲で、周囲の人のプラスになることをすれば、自ずと自分のためになるはずだという考え方を持つようになりました。

これも、最小の努力で最大の成果を得るという、あくまで利己的かつ合理的に考えた帰着です。「情けは人の為ならず」ですね。ルノワールの言葉に私の心が共鳴したのは、こういう背景もあったのだと思います。

実構造主義の観点から

私のやってきたことは、実構造主義の考え方の実践例と言えると思います。我田引水になり恐縮ではあったのですが、私自身が考えてきたことを示すことが、実構造主義の理解に最も有用だと考えたのです。

  • 物事の本質を多角的に抽出する。

    • 自分の性格、時間と社会の変化、職業とスキルの関係、スキル向上と努力の関係、自他と幸福の関係など、自分の人生に対して多角的かつそれぞれ本質的な部分を捉えることに努めてきました。

  • その中から実用的な構造を見つけ出す。

    • 単なる観念論や理屈ではなく、自分の人生に役に立つものにフォーカスを当ててきました。夢や利他の精神など、自分の性格に合わない理想のようなものを求めるのではなく、あくまで自分のために合理的に役立つものを選んできました。

また、「和(場の調和)」として、社会と自分、他人と自分、自分の性格と嗜好性と得意不得意を上手くバランスを取って調和させることを目指していたことも説明できたと思います。

そして、常に自分を中心に物事を考え、平凡に生きるという自分の人生の在り方という「我(強い思い)」が、常に私の中心軸にありました。

この2つは、私の中で反発することなく相補的に同居していました。これが実構造主義の重要なポイントです。

さいごに

自分の子供頃に考えていたことを振り返ってみましたが、自分の原点はあの時に真剣に自分の人生を考えたことにあったのだなと改めて整理できました。そして、こうしてnoteに記事を書くのが楽しいのも、あの時に2つ目のスキルとして文章を書くことを選んでいたおかげだなと気が付きました。

小説は大学生の時を最後に書いていません。けれど、エンジニアの仕事でもたくさんの文章を書きますので狙い通り役に立ちました。そしてまたこうして文章を書くことを趣味にできたというのは、幸せなことだなとつくづく思います。

参照記事一覧

参照記事1


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