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「ひらめき」と「ときめき」のメカニズム:教育への応用

はじめに

私たちは、頭の中で「ひらめき」が起きて新しいアイデアを発見したり、心に「ときめき」が起きて見聞きした物事に感動したりします。これらの2つの現象は、とても強い喜びを私たちに与え、強い印象を残します。

この喜びを求めて、私たちは「ひらめき」を求めて新しいアイデアを考えたり、「ときめき」を求めて自分が好きな物と触れる機会を増やそうとしたりする傾向にあります。

そして「ひらめき」や「ときめき」が残す強い印象は、発見や感動に対する私たちの記憶を強化します。また、発見や感動を他人に直接伝えたり、本に記録したり作品として表現する意欲を駆り立てます。

「ひらめき」と「ときめき」は確かに感じるけれども、その仕組みは謎に包まれてます。一方で、この2つは別々の心理的な現象のように見えますが、上に挙げたように多くの共通点を持っています。私はこの共通点に着目することで、この謎のメカニズムの解明に近づけると考えています。

「ひらめき」と「ときめき」のメカニズムを理解することで、学習や教育への応用することができるようになるはずです。大きな発見や感動は難しくとも、小さな発見や感動が生まれるように工夫し、それを積み重ねていけるように学習や教育の環境を整えたら良いでしょう。

本来、人間にとって知識を学ぶこともスキルを習得することも、楽しいはずなのです。実際、様々な分野で高い成果を上げている人は、その分野の知識やスキルを楽しみながら学び身に着けてきたのではないでしょうか。そこにある楽しむ方法、喜びのメカニズムを「ひらめき」と「ときめき」の観点から解き明かし、教育への応用を考えていきたいと思います。

「ひらめき」と「ときめき」の素

「ひらめき」と「ときめき」の謎を解き明かす鍵は、1つの物事で2つ以上の利点や価値が得られるもの、にあると考えています。

これを簡潔に表す言葉がないため、「結素(ゆうそ、Simul)」と私は名付けています。一石二鳥とか、一粒で二度おいしい、といったようなものだと理解していただければと思います。

ちょっとしたことでも、何か生活の中での問題を考えていて、それを上手く解消するアイデアが浮かんだという事は、誰しもが経験があるでしょう。

棚を買って物を収納したら、部屋がすっきり片付いて、スペースも有効利用でき、たまに必要になるものを探す時間を短縮できます。加えて、好きな色やデザインの棚だったら、毎日が少し楽しくなるかもしれません。さらに、それが今なら割引セール中だったら、買うしかない、とあなたは直感するでしょう。

棚を買うという1つの物事で、多数の利点や価値が得られています。したがって、これは棚を買うというアイデアは結素の発見であり、また棚との出会いは結素によるちょっとした感動である、と捉えることができます。結素は、喜びを与え、印象を残すという例です。ここに「ひらめき」と「ときめき」に近い現象があると考えます。

数学や物理の法則も、1つの法則で多数の対象に応用することができる結素です。こうした論理の世界の結素は、頭の中で組み合わさって次々と別の結素を生み出します。それがその人にとって新しい結素であれば「ひらめき」として喜びと印象を与えます。

論理の世界だけではありません。雑誌のデザインやファッションやメイクにおいて、鮮明な色をワンポイントで適切な場所に配置することで、視点を集中させて全体を引き締めつつ、しかも調和と洗練された印象を与える、というようなテクニックがあります。これらの世界にも、数学や物理に負けず劣らずたくさんのシンプルなテクニックや法則が見いだされていますが、これらも結素です。新しい色の口紅を塗って、それが自分の魅力を引き立てることに気がついた時、きっと「ときめき」を覚えるはずです。

遊びの中に、結素あり

この1つの物事で2つ以上の利点や価値が得られるもの、という結素ですが、動きがないタイプと動きがあるタイプがあります。また、内面的なタイプや社会的なタイプなどもあります。これらのシンプルな例をいくつか挙げていきますが、いずれも馴染みのある子供の遊びの中にも見られるものです。

動きがないタイプは、いわゆる建築構造の素になるようなものです。例えば積み重ねです。建築で言えばレンガですが、子供の遊びで言えば積み木です。小さなブロックだけで実現できる手軽さがありつつ、上手くバランスを取れば高く積み上げることができます。

その他の例として、支え合いがあります。二枚の板やカード、あるいは3本以上の柱を、倒れないようにお互いに支え合うように立てかけることで、バランスよく立てることができます。これも、シンプルな材料で構造物を作ることができるという2つの利点があります。

動きがあるタイプの分かりやすい代表格は、振り子です。ブランコですね。また、重力を利用して斜めに移動する事ができる滑り台や、一度回り始めるとしばらく回転運動し続ける回転遊具なども、動きがある結素です。

この他、歌は既に作曲されたメロディーや歌詞に感性的な結素が織り込まれており、それを再現する遊びです。鬼ごっこには、2つの役割の交換という社会的な結素が織り込まれています。

教育への結素の応用

子供の様々な遊びの中には結素がシンプルな形で含まれていました。こうして結素に触れて理解したり、理解した結素を外に表現することは、本来的に楽しい行為なのです。子供はこのような遊びを通して、世界に存在している結素を、遊びながら学んでいきます。

結素というポイントを押さえれば、より様々な知育教育的なゲームやおもちゃが作れるのではないかと思います。

また、もう少し成長した子供向けの学習教材やカリキュラムや、あるいは遊びや習い事にも結素は応用できると考えられます。複雑な知識やスキルであっても、シンプルな結素の組み合わせや合成として成立しています。ですので、結素に焦点を当てて、シンプルなものから徐々に複雑なものを楽しみながら覚えたり身に着けたりする学習方法もできるはずです。

例えば、算数であれば、掛け算を単に機械的、詰込み的に覚えさせることよりも、結素の観点から掛け算のメリットを教えることに焦点を当てます。9×9の計算は、9つの9を足し算することでも代用はできますので、それだけを見ると足し算だけを覚えていても良いように思えます。しかし、掛け算に足し算を繰り返すよりも、早くてミスをしにくいというメリットがあります。こうした点を教えるのです。そして、実際に足し算で計算した場合と掛け算で計算した場合の比較を体験してもらうのです。

また、すべての結素をこのような形で説明しなくても、反対に子供たちに考えさせることも効果的でしょう。分数や小数にはどんなメリットがあるかを考えてもらうとか、具体的に分数や小数の計算が役に立つ例を考えてもらうというやり方です。

こうした勉強方法なら、きっと楽しみながら学習ができるはずです。遊びの中に結素があるという点から考えて、結素に焦点を当てて教えて、結素の観点で応用をするような仕組みの方が、楽しくかつ効果的に学習が進むはずです。

加えて、物事を単に覚えるのではなく、その利点や理由の方に意識を向けることの重要性も理解してもらえるはずです。また、実践的な応用ができるような学習環境も用意すれば、遊びのようにして自ら主体的に学習に取り組むような状況を作り出すこともできるかもしれません。

このような質の高い教材と学習環境が与えられれば、子供たちは自分の好みに応じて様々な教材で、楽しみながら知識やスキルを身に着けるでしょう。そして子供のうちは、各自が好きな物を楽しみながら伸ばしていくことで、全員が均質化されず能力が多様化します。

そして、青年期に入ったら、自分の意図で学習したものを選び取っていくことが大事になります。自分のこれからの生き方や働き方に影響しますので、できる限り本人に選択をさせて、学習の方向性を決めるというやり方が良いと考えています。

さいごに

本文中では触れませんでしたが、私はこの結素という概念が、人間の意識の中でのみ意味を持っているわけではなく、生命の進化にも大きな役割を持っていたと考えています(参照記事1,2)。自然選択の中においても、一つの物事が二つ以上の利点を持っているならエネルギー効率が良く自然に維持されやすいものになるはずです。

このため、結素が発生して組み合わされるようなメカニズムが働きさえすれば、結素は複雑に進化して発展していくと考えられます。こうした一つの物事で二つ以上の利点があるという結素が、多様に生み出されて組み合わされることで、生命が誕生し、生物が進化してきたというのが私の仮説です。

そう考えると、その進化の先に誕生した私たちの頭や心が、新しい結素を発案して「ひらめき」を覚えたり、新しい結素に出会って「ときめき」を覚えることは、人間の生存や成長のための合理的な仕組みだと思えます。また、発見されたり想像されたりした結素を見聞きして覚え、自分でもそうした結素を使ってみるということに、私たちが楽しさを感じるというのもまた、自然なことに思えるのです。

私はこの特性を理解して教育や自己啓発に応用することで、個々人の心が豊かになり、同時に社会も明るく前向きになるのではないか、そんな風に考えています。

参照記事一覧

参照記事1

参照記事2


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