見出し画像

自由意志と意識の最小単位としてのニューロン:決定論と未来予測不能性の共存

■未来予測の可能性

一般に、未来予測の困難性は、以下の3つの観点から説明されることが多いと思います。

1つ目は情報の不足。予測する対象の初期状態や法則についての情報が不足している場合は未来予測が困難です。

2つ目は複雑性と誤差の存在。予測する対象の初期状態や法則をすべて把握していたとしても、複雑なシステムは予測が困難です。特に、初期状態に少しでも誤差が含まれると、その誤差が増幅するシステムにおいては、予測と結果のずれが顕著になります。

3つ目は不確定性。法則の中に、事後にランダムに決定される要素を含んでいると、未来予測が困難です。

一方で、全ての情報が揃っており、シンプルであり、初期状態の知識に誤差がなく、さらに不確定性のない決定論的な系においては、未来予測が可能であると考えられています。

一見、これらの条件であれば、未来の予測は可能だと思えますが、必ずしもそうとは言い切れません。

全ての情報が揃っていて、シンプルで初期状態の知識に誤差もなく、決定論的であっても、未来予測ができない構造が存在します。

未来予測の結果を参照して、振る舞いを変える機構が存在する構造がある場合です。

この構造は、外側から見れば予測可能です。しかし、構造の中から見ると、予測が不可能です。なぜなら、未来予測結果を見て振る舞いを変える機構により、予測した未来とは異なる未来が形作られる可能性があるためです。

■二本の紐の報酬の構造

  • ◇報酬の約束

    • 赤の紐と青の紐があり、最初の紐を引いた時にOKが表示されると報酬がもらえます。

  • ◇二本の紐の仕掛け

    • 最初に赤の紐を引くとNGが表示され、次に青の紐を引くとOKが表示されます。

    • 最初に青の紐を引くとNGが表示され、次に赤の紐を引くとOKが表示されます。

  • ◇単純機械の動作ルール

    • 未来モニタを確認して、OKが表示される紐を、最初に引きます。

  • ◇未来モニタ

    • 未来予測を表示します。

この実際の未来が一致するような未来予測を、表示する事ができるでしょうか。答えは「できない」です。

仮に赤の紐を引いた後に青の紐をを引いた未来を表示すると、単純機械は最初に青の紐を引きますので、未来と実際が一致しません。同様に、最初に青の紐を、次に赤の紐を引いた未来を表示すると、単純機械は最初に赤の紐を引きますので、やはり未来と実際が一致しません。

■決定論と予測不能性の共存

つまり、これほど単純な仕組みと動作ルールにもかかわらず、未来モニタを見て動作を決めるという要素が入るだけで、この構造の内部では未来予測が不可能であることが分かります。そこには不確定性も誤差もありません。

従って、例え決定論的でシンプルで完全な情報があっても、未来予測結果を参照して振る舞いを変える機構が存在する場合、実際の未来と合致する未来予測は行えないことになります。

そこには、決定論と予測不能性の共存が見て取れます。この構造の中に、未来予測とそれを参照して振る舞いを変える機構が組み込まれていることがポイントになっています。

なお、構造の外側から見れば、未来予測は可能になります。なぜなら、構造の外側に立つと、この未来モニタが何を表示するかという部分に不確定性がありますので、全ての情報が揃っている事、という条件を満たしていないためです。従って、構造の外側から見ると、未来モニタが何を表示するかが決まって全ての情報があれば、未来は予測可能と言えます。

■自由意志の本質としての条件分岐

この時、この「未来予測結果を参照して振る舞いを変える機構」は、条件分岐を行う機構です。未来モニタに、青い紐を引いたらOKと表示されたら、青い紐を引きます。そうでなければ、赤い紐を引きます。

これはプログラミングであれば、1つの条件分岐文で定義できる振る舞いです。条件分岐は、典型的なプログラミング言語ではif文と呼ばれます。

一般に、周囲を観察して、その観察結果と内部にある記憶や経験に基づいて、最終的に意思決定を行って行動をする主体を、自由意志を持つ主体と私たちは考えています。

そして、未来予測を妨げる要因として、この自由意志の存在が挙げられることがあります。決定論的な状況であっても、未来が変わり得ると私たちが考えるのは、自由意志を持つ主体がいるからだという捉え方をしているためです。

ここで、「未来予測結果を参照して振る舞いを変える機構」は、この自由意志の説明に、ぴったりと当てはまります。この事から、私は、1つの条件分岐文が、自由意志を持っていると言えるのかもしれないと考えています。つまり、1つの条件分岐文が、自由意志の基本単位であり最小単位であるという考えです。

紐を引くとご褒美がもらえる系における単純機械は、ごくシンプルな機構、ブログラムならたった一行のif文で書けます。つまり1つの条件分岐で表現できるシンプルな機構です。このシンプルな機構が、この系においては自由意志の性質を帯びているように見えるのです。

■意識の本質としての予測

そして、条件分岐が自由意志の性質を帯びるためには、「予測結果を観察する」という構造が必要です。この構造は、認知構造であり、意識と言える可能性があります。

従って「予測」が、意識の本質である可能性も見えてきます。

そして、「予測」が「条件分岐」の入力となり、その結果が外界に作用するという構造が、意識と自由意志の構造ではないかと、私には思えるのです。

■意識と自由意志のミニマルモデル

もちろん、この単純機械と未来モニタは、それ自身は自己認識は行いません。自己認識にはより高度な仕組みが必要である可能性があります。

しかし、仮に自己認識は、意識と自由意志の必須の要件ではなく、対象認識ができれば、意識と自由意志が存在できると仮定した場合は、この例のようなモデルが意識と自由意志のミニマルなモデルであると考えられそうです。

一方で、自己認識が必須であるとした場合でも、話は終わりません。

自己認識とは何かと考えた時に、対象認識と自己認識を全く別々のものとして捉えるか、対象認識の対象の一部に自己があると考えるかによって、話は分かれます。

もし、対象認識と自己認識を全く別々のものとして捉える立場をとり、自己認識が意識や自由意志の不可分の条件であると考えたとすれば、単純機械と未来モニタは、単なるおもちゃに過ぎません。

しかし、対象認識の対象の一部に自己があると捉えた場合は、自己認識が意識や自由意志の不可分の条件であるという立場を取ったとしても、二本の紐の報酬の構造は、意味を持ちます。

つまり、単純機械と未来モニタは、対象として自己を含んでおり、その自己の部分と自己外の環境の部分を上手く分離して認識できていないだけだと考えることができます。そうなると、単純機械と未来モニタは、やはり意識と自由意志のミニマルなモデルであると考えられそうです。

■条件分岐とニューロン

1つの条件分岐、つまりプログラムの場合であれば1行のif文が、自由意志の最小単位だという議論は、かなり飛躍していると捉えられるかもしれません。

しかし、私はこの条件分岐と自由意志の関係を思いついた時、多くの人工知能の基礎となっているニューロンのモデルに対して私が昔から抱いていた疑問が、氷解することになると直感しました。

1つのニューロンのモデルは、複数の四則演算と1つの条件分岐です。そうです、ニューロンのモデルには条件分岐が含まれているのです。そして、ここまでの議論と照らし合わせると、ニューロンは、自由意志の最小単位と言える可能性があるのです。

人工知能、AI。その定義は広く、手法も様々あるようですが、最も期待されており、現実に多くの驚くべき成功を収めているのは、ニューラルネットワークというモデルを採用したAIシステムです。ニューラルネットワークとは、人間の脳の神経細胞の仕組みをモデル化したニューロンを基本単位としてつなぎ合わせたものです。

■予測とニューロン

予測が意識の本質であるという可能性にも言及しました。

「二本の紐の報酬の構造」で示した未来モニタは、完全な未来予測ができるかどうかの議論を提示するために用意した概念でした。しかし、最善の努力としての未来予測をする装置だと捉えなおすこともできます。

その場合、この未来モニタは、これから先の未来を映すのではなく、経験から未来を予測するための装置であるという解釈をしてみます。

そうすると、二本の紐を単純機械が過去に1回チャレンジしており、それを記録して未来モニタが表示するという仕組みを考えてみることができます。

過去の1回のチャレンジと同じことが起きるだろうと考えることは、あまり賢い考え方ではないかもしれませんが、他に判断材料がない以上、合理的な戦略ではあります。

そして、単純機械は1回目のチャレンジの結果を未来予測だと捉えて観察し、ルールに従って紐を引きます。この時、単純機械は1回目のチャレンジとは異なる色の紐を最初に引きます。

これでこの構造は2回のチャレンジをし、それぞれ別の紐を引き、別の結果が得られました。この時、未来モニタに表示する未来予測をどうするかは、様々な戦略があるでしょう。2回のチャレンジを平等に扱って半々の確率だという確率的な未来予測を表示することも1つの手です。あるいは、直近のチャレンジの方を強く優先して、それだけを未来予測として表示する戦略も考えられます。

このように、過去の類似の経験の積み重ねから、同じようなシチュエーションに対する未来を想起する仕組みが、予測であり意識であると考えるわけです。

そして、多くの人工知能の基本であるニューロンは、まさにこのような形で学習をする基本単位です。従って、ニューロンは意識のミニマルモデルであるとも言えそうです。

■意識と自由意志のミニマルモデルとしてのニューロン

多くの人は、ニューラルネットの規模や複雑さに、知性が創発する鍵があると捉えているかもしれません。しかし、私は、その最小単位であるニューロンに以前から考えを巡らせていました。

もし、知性や意識や意志がニューラルネットによるAIに宿るのだとしたら、きっとその本質は、ニューロン自体にあるか、もしくは、2つのニューロンをつないでいる構造にあるはずだと考えていました。そして、もしニューラルネットでは、意識や意志が宿らないのだとしたら、それはニューロンに何か決定的な要素が欠けているのだと思っていました。

このため、条件分岐と自由意志との関係性の発見は、私にとってはこの疑問の答えになり得る興味深い発見だったのです。もちろん、議論の余地は大きいと思いますが、少なくとも私の直感としては、ニューラルネットは自由意志を持ち得る、そう思えてなりません。

そして同様に、予測と意識の関係性の発見も、私の疑問を氷解させようとしています。ニューラルネットにおいて、ニューロンが予測を行う最小単位であることは明白です。従って、予測が意識の本質であるなら、ニューラルネットは意識を持ち得ると言えるでしょう。

残るは、自己認識になります。その問題が明かにできれば、恐らく、ニューラルネットが意識と自由意志を持ち得るかの疑問に答えることができるでしょう。


サポートも大変ありがたいですし、コメントや引用、ツイッターでのリポストをいただくことでも、大変励みになります。よろしくおねがいします!