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便利になると忙しくなる社会構造:シビアリティの視点

便利な道具があふれている中で、どうして私たちはこんなにも忙しいのでしょうか。また、歴史上類を見ないほどの豊かさを手に入れているにもかかわらず、なぜ私たちは争いや苦しみから逃れられないのでしょうか。

この記事では、シビアリティという考え方を用いて、こうした社会の現状を分析していこうと思います。

■シビアリティ

シビアリティは、過酷度や深刻度を意味します。シビアさの度合いです。

私たち個人が、シビアリティの高い状況に置かれると、常に緊張を強いられ、遊んだり休むことができなくなります。

集団がシビアリティの高い状況に置かれると、リーダーに多くの権限が集中し、ルールが厳しくなります。また、シビアリティが高い状況は、社会の内部に対立や分断をもたらします。

これは、例えば天敵や大規模な災害に遭遇した場合や、食糧難や疫病が蔓延する状況に陥った場合などが当てはまります。

■シビアリティの変化

社会が豊かになると、食糧難や疫病の蔓延のリスクは低下します。天敵との遭遇機会や災害での被害もある程度抑えられます。

従って、社会の豊かさはシビアリティを低下させる大きな要因となります。

社会のシビアリティを上昇させる要因は、天敵、災害、飢饉、疫病のような外部要因だけではありません。それは欲求や要求の大きさです。

欲求や要求が大きくなれば、シビアリティは相対的に大きくなります。

このため、社会が豊かになってシビアリティを低下させても、それと共に欲求や要求が増大すればシビアリティは上昇します。

もし、上昇の方が大きければ、社会は豊かになったにも関わらず、シビアリティが高くなったという事です。それは、権力をリーダーに集中させやすくし、ルールを厳しくして個人の自由を制限する傾向に社会を向かわせます。また、それと同時に、対立や分断が生じたり、それが促進されたりします。

■資本主義とシビアリティ

資本主義を経済的な観点からでなく人間社会の観点から捉えると、競争を促して個人を生産活動に駆り立てる仕組みです。そして生産活動に従事している個人や組織同士は、競争が促されることで生産性の向上やイノベーションを目指します。

また、資本主義のもう一つの側面は、欲求を駆り立てる仕組みでもあります。

生産力と生産性の向上や、イノベーションによりモノやサービスが豊富に生産されるようになると、手に入れやすくなることで欲求のハードルが低くなり、モノやサービスが欲しくなる、という心理的な側面が1つにはあります。

また、生産活動に従事することで報酬を受け取る事ができるため、それを使って消費活動ができるという個人レベルの経済的な側面もあります。

さらに、企業が利益を上げるために広告を出し、政府も経済を循環させるために需要喚起策を打つという形で、個人の欲求を高めることに努めます。

資本主義は、このように人間社会にこの2つの側面から作用します。これは経済の観点からは、供給と需要の増加を意味します。この両方が増加することで、景気は上向きになり、経済成長します。

そして、資本主義による経済的な豊かさや物質的な豊かさの増大と、欲求の増大は、社会のシビアリティに対しては、減少と上昇の両面で作用します。

■豊かさと外的要因のシビアリティへの影響

シビアリティの観点では、社会が経済的あるいは物質的に豊かになる事は、歓迎すべきことです。

家族でも企業でも、経済的に困窮している状態よりも、経済的に余裕がある方が、シビアリティは低くなります。もちろんそれ以外の要因も大きく作用しますが、経済的に余裕がありシビアリティが低い方が、争いは少ない傾向にあるでしょうし、権限の分散とルールの緩和もしやすいでしょう。

一方で、別の要因によりシビアリティが高くなってしまえば、経済的あるいは物質的な豊かさが大きくても、争いが起きやすく、権限の集中とルールによる束縛が強い環境となります。

シビアリティを高める要因が外部からのものである場合には、経済的あるいは物質的な豊かさと相殺することができる場合が多いでしょう。災害や経済環境の悪化のような現象であれば、経済力や物資を使って予防や被害の軽減が図れます。敵対的な組織による干渉であれば、経済力や物資で交渉を有利に進められます。

■豊かさと無関係の内的要因のシビアリティへの影響

一方で、シビアリティを高める要因が内部的なものであれば、経済的あるいは物質的な豊かさで相殺することが難しい場合が多いと思われます。

例えば、リーダーが権限の集中を好んで権限分散に抵抗したり、そもそもメンバーが権限分散に意欲が無ければ、権限は集中していきます。また、そもそもルールを厳しくすべきという思想が蔓延していると、豊かさと関係なくルールは厳しくなる傾向に進むでしょう。

さらに、経済的あるいは物質的な取り分や分配の問題に起因した対立ではなく、怨恨や差別などによる分断や対立が促進される環境であれば、豊かさとは無関係に分断や対立は進行してしまいます。

■生産性や効率のシビアリティへの影響

仕事に対して便利な道具や技術が出てくると、直感的には仕事が楽になるように思えます。しかし、現実は真逆です。便利な道具や技術に囲まれた現代人は、どんどん忙しくなっています。

もちろん、道具によって肉体労働に必要な筋力や体力が少なくて済むようになり、肉体労働から頭脳労働へのシフトするという意味では、体力的に楽になるかもしれません。

しかし、時間短縮や効率を高めるような便利な道具や技術は、資本主義における労働者にとっては、過酷な状況を生んでいきます。例えば、画期的な道具により、半日かっていた仕事が30分で済むようになったと考えてください。

誰もが半日かかって仕事していたとすれば、たまたま体調が悪かったり気分がのらなくて、30分ほど誰かとお喋りをしたり、休憩を取ったとしても、大きな影響はありません。しかし、30分で済む仕事になったら、30分休憩しただけで、その時の仕事には2倍の時間がかかってしまいます。

もちろん、他の多くのタスクは30分でこなすことはでき、1つのタスクだけが1時間かかるだけに過ぎません。しかし、そのタスクの完了を待っている人にとっては、30分で終わるはずのタスクに1時間かかっていたら、不満を抱くでしょう。

また、自分で行う作業を終えて、それを処理する装置を仕掛けたら、これまでは10分くらいその装置を待つ必要があったとします。それが改善されて10秒で終わるようになったらどうでしょうか。いままではその10分の隙間時間に飲み物を飲んで休憩ができていたのに、その時間が無くなってしまいます。

このように、生産性が高くなったり、効率を高める道具が出てくるという事は、仕事をこなす時間や労力は削減できますが、その分、1人の労働者に、隙間時間なく仕事をし続けるよう圧力がかかります。

もしも将来、バイオ的な技術や体に装置を埋め込むような技術が発達して、睡眠や排せつや食事が不要な体を手に入れられるようになったら、とても便利な体になる一方で、24時間休むことなく働き続けるように圧力がかかるのかもしれません。

資本主義、つまり競争社会は、道具や技術の効率化と共に、労働者へ高いプレッシャーをかける仕組みとも言えます。便利な道具や技術は、このような形で労働者のシビアリティを上げていきます。

■欲求や要求と豊かさのバランス

加えて、資本主義の話でも挙がったように、欲求や要求が高くなると、シビアリティは高まります。

欲求や要求が高まる事で、モチベーションが上がったりイノベーションが促進されて、経済的あるいは物質的な豊かさが増大するというサイクルが上手く回れば、シビアリティのバランスが取れます。

しかし、経済成長には限界があると仮定すると、経済的あるいは物質的な豊かさの増大には限界がありますので、それに合わせて欲求や要求の増加を抑えなければ、シビアリティは一方的に高くなってしまうだけです。

また、経済成長の限界がある中で、経済的に不利な人たちが経済的に豊かな人たちの生活に憧れ、それを欲求したとしても、その欲求をすべて満たす事はできません。これは、経済格差の増大は、成長の限界局面においては、シビアリティを高めてしまう事を意味します。

■長期主義の影響

さらに、シビアリティの観点から非常に悩ましい問題があります。それは長期主義です。

長期的な予測に基づいて、将来の問題を軽減させたり予防したりする取り組みを、現在の社会が実行するという事は、歓迎すべきことのように思えます。しかしながら、シビアリティの観点では、その要求は、確実に社会のシビアリティを高めてしまいます。これはとても頭の痛い問題です。

気候変動の問題や、環境問題など、先見性が高まるにつれて、このままの生活を続けることができないことが示唆され、持続可能な社会への転換が求められています。また、様々な技術の野放図な発展は、社会に予期せぬ問題を引き起こしかねず、慎重な対応が求められます。

しかし、このように持続可能な社会や技術の慎重な発展は、それ自体がかつての社会にはなかった要求です。このような先見的で思慮深い要求であっても、それが簡単には達成できない要求であり、かつ、多くの人が真剣に要請するものであれば、社会への要求を高めることに繋がります。そして、それはシビアリティを高めるという形で、私たちを苦しめます。

つまり、長期的な問題を考える長期主義は、社会のシビアリティを高めることにつながります。それは、権力の集中やルールの厳格化、そして、社会の分断と対立を深めてしまうという作用を持っている事になります。

だからと言って、環境問題や技術問題に目をつぶってしまえるわけではありません。シビアリティが高まるからと言って見て見ないフリをしていれば、やがて不幸な未来が到来するリスクを高めてしまいます。

かといって、未来のリスクを抑え込むために積極的に取り組もうとすればするほど、社会はシビアリティの暗い雲に覆われてしまいます。ここには、大きくて深いジレンマがあります。

■現代社会の方程式

シビアリティの観点から社会を考える時、できるだけシビアリティを低くすることが望ましいと考えられます。しかし、様々な要因からシビアリティは高くなるため、複雑な現代社会の方程式を解く必要があります。

シビアリティを下げるためには、まず、豊かさを向上させることが重要です。

一方で、豊かさの向上のために競争社会により生産性を向上させていくと、シビアリティを増加させてしまいます。特に、経済成長率が鈍化した際には、豊かさによるシビアリティの減少よりも、競争社会の悪影響による増加の方が大きくなってしまいます。

ここに、大きな社会的あるいは経済的な工夫が必要です。豊かさを向上させてシビアリティを下げることが重要なため、引き続き豊かさの追求は必要です。他方で、豊かさの追求のためにシビアリティを上げるようなことをしてしまうと、本末転倒です。このため、シビアリティを上げることなく、豊かさを向上させていく工夫が求められます。

そして、その仕組みで蓄えた豊かさの分だけ、環境問題や技術問題に取り組むことで、全体としてシビアリティを上昇させることなく、かつ長期的な問題にも取り組んでいくという道が理想的です。

■さいごに:シビアリティを管理する

物事を上手く進めるためには、指標を見つけることが重要です。

例えば、成人病を予防したいのなら、やみくもに健康的な行為や食事を続けるのではなく、血圧や血糖値や内臓脂肪量などの指標を使って、どこにリスクがあるかを把握して、それらの数値が望ましい範囲に収まるように管理することが重要です。

また、ある国の経済を活性化したいのであれば、国民の預貯金額のようなストック的な指標を見ていても上手く行きません。GDPのようなフロー的な指標を集計して、年度毎のフローの成長率を見ていく方が適切です。そして、その指標が上向くような経済政策を考える事が、経済活性化の近道になります。

このように有効な指標を見つけることは、物事を上手く進める上で、非常に重要です。真に解決したい問題と無関係な指標を見ていては、問題は一向に解決することはできません。

シビアリティは、便利さの向上や豊かさの向上が私たちの幸福につながっていない状況を分析するための、一つの指標となると私は考えています。便利で豊かであっても、シビアリティが高くなれば、私たちは忙しく、苦しくなり、そして分断と争いのリスクが増大すると考えられるためです。

このシビアリティを上手く数値化したり定性的に評価できるようになり、シビアリティを下げるための施策を取っていくことができれば、シビアリティを管理して、この矛盾した状況を改善できる可能性があります。

そして、シビアリティを管理することは、推進が難しい環境問題や技術問題に対しての有効なアプローチにもなるのではないかと考えています。

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