私たちは、何と名乗るか 〜NGO・NPOの「自称」をめぐって〜
市民(これは好みで人々、民衆、大衆、人民と置き換えてもよい。以下同じ。)主体で取り組まれる社会的な活動(やそのための組織)であり、運動性とともに一定の事業性・継続性をもち、比較的、非党派的(政治的・イデオロギー的でないとは限らない)な活動・組織をどう呼ぶか、その渦中にいる当事者として、いろいろと悩み、時に葛藤も抱えてきた。口幅ったい言い方をしたが、要するに上記で述べた活動・組織は日本でいうところのNGO・NPOのことなのだが、個人的にどうもそれがしっくりこない。口馴染みが悪いのである。
国際協力分野を出身とする私にとって、それでも最も違和感が少ないのは「NGO」である。今さら、語彙の講釈を垂れる気はないが、国連の場など国際場裡で生まれた概念・用語という来歴上、国際協力、地球環境、平和・人権などの分野で好んで使われる。正確なことは分からないが、日本の運動界隈への登場はNPOより早いかもしれない。活動を通じて各国政府、国際機関と対峙することも少なくないこれら分野の活動・組織にとって、その性質・アイデンティティに近い名乗りということもあるだろう。自分も含め、NGOと名乗ることに誇りと自負をもっている同分野の仲間たちも少なくない、と私は感じている。
一方、国内系の活動・組織からもいろいろな呼び名が登場してきた。1970年代までの運動性・反権力性が強く、時に党派的であることも厭わなかった、いわゆる社会運動、市民運動のオルタナティブとして、1980年代に、まちづくり系の活動・組織で好んで使われ出したのが「市民活動」であった。実は、冒頭に述べた活動・組織をより広く包含する用語としては、個人的に日本語で最もしっくりきていたので、後に台頭する「NPO」に席捲されて、あまり使われなくなったのは、個人的に残念に思っている。「市民活動」の語からは、活動に関わる組織を指す「市民活動団体」や、市民活動の制度化や(後のNPO法につながる動き)公的資金や行政との関わりを意識した「市民公益活動」という言葉も現れてきた。しかし、これらの言葉も1980〜90年代に制定された自治体の条例名(市民活動推進条例など)や支援センターの名称などに残るのを見るくらいで、今ではあまり一般的ではない。
今や、日本国内で最も一般的に用いられるのは「NPO」であろう。個人的には、最も違和感があり、自分の活動や組織を指して呼ばれたくない言葉である。1990年代に使われるようになったこの言葉は、私の記憶に間違いがなければ、恐らく日米の市民活動関係者の交流を通じて移入された、アメリカ由来の概念・用語であろう。冒頭に述べた活動・組織より広幅な、社会全体の政府・企業以外の社会活動全般を、その税制上、経営・資本上の特色(非営利性)に着目して表現した用語である。なので、そもそも市民性や運動性などとは別の観点からの概念・用語であり、そこに自負がある活動・組織にとっては居心地の悪い呼び名である。もっとも、事業性の高い団体にとっては、一般に理解されやすい企業経営との差異から話を始めやすいので、説明に便利な言葉かもしれない。ともあれ、後に特定非営利活動促進法(NPO法)の制定や同法のもとに設立される特定非営利活動法人の略称が「NPO法人」とされるに至り、現状で冒頭に述べた活動・組織を指す包括的な用語として日本で最も出回っている。しかし、NPO法人制度がNPOという概念・用語が指す本来の範囲通り、市民による社会活動全般(運動性や事業性の高い活動・組織だけでなく、趣味同好の集まりに至るまで)に便利に用いられるようになり、NPOの指す範囲も広がりをみせているので、特に運動性の高い活動・組織にとっては他との差別化が難しく、特色を言い表しにくい、使いにくい言葉になっているように思う。
一方、最近しばしば見かけるようになった「市民社会」(市民社会組織、CSOとも)は、政府・企業など別のセクターと「違う」ことで表現するNGO・NPOと違い、市民主体の前向きな名乗りとして、自称する組織が少しずつ出てきている。国際的・学術的に使われる概念・用語でもあり、もともとNGOを使ってきた国際的なつながりが深い分野でも好んで使われる傾向がある。ただ、市民社会という用語には複数の含意・使い方があり(市民主体の結社・活動を指すとともに、市民主体の言論・活動が展開される社会領域の意味もある)、かつ、日本独特の市民社会論(戦後民主主義を背景に、市民主導の政治を基調とした社会全体のあり方を指す)の存在もあって、読み手、聞き手を意識しながら、気をつけて使うことが求められる概念・用語でもある。あと、ソサエティを単に「社会」と訳してしまうと、これに組織やセクターの意味を含意させることが難しくなり、やはり使いにくい。日本語で「市民社会」と書いてあっても、話し言葉で「シビル・ソサエティ」と言い換えて誤解を防いだりすることもあるし、文脈の中での意味に合わせて、市民社会「組織」や市民社会「セクター」と言葉を継いで使うのも、ひとまずの対策としてはよいのかもしれない。
このように、私が携わってきた、冒頭で述べたような活動・組織には、いろいろな呼び名があり、必ずしも一定しない。そして、この呼び名も活動・組織のあり方や自認・自覚、社会の中での存在感・役割性の変化に伴って変わりゆく「暫定的」なものでもあるだろう。逆に言えば、それだけ可塑性の高い活動・組織(あるいはセクター)ということなのかもしれないのであり、市民が何かに向けて、自由に集い、語らい、活動するという特質において、あるいは相応しいことなのかもしれない。自分が何者であるのか、どのように名乗り、呼ばれるのかについてさえ、いつもしっくりこない「居心地の悪さ」を感じるということも含めて。
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