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無駄と冗長性の違いとは?

こんにちは、今回は冗長性という考え方について理解を深めていきたいと思います。

冗長性とは?

IT系で使われることが多い用語になります。
ちょっと説明は難しいのですが、無駄と言っても良いかもしれません。
無駄であるならば必要性が無い概念なのかと言えば、そういうわけでもなく、IT系では肯定的な文脈において冗長性という用語が用いられることが多いです。つまり冗長性は必要なものと考えられているのです。

ソシャゲの課金等、無駄というものは悪いものとして語られるのが一般的です。かく言う私も、昨年はウマ娘に大量課金を行いまして、やがては生活費を圧迫するほどでした。まさしく無駄であったでしょう。
合計で言ったら百万円以上は課金したんじゃないですかね。全く、恐ろしい限りです。

無駄遣いの良い面

課金の結晶➀
課金の結晶②
課金の結晶➂

しかし考え方によれば、ウマ娘への課金によってストレス解消の効果が働いていたならば、必ずしも無駄ではなかったかもしれません。
ストレスはあながち馬鹿にできません。溜まりすぎれば精神病になりかねませんし、最悪の場合、自殺や凶悪犯罪へと繋がることも珍しくありません。

いやいや、ストレスくらいで大袈裟だろうと思われるかもしれないですが、それはたまたま大丈夫なだけの話で、本当にヤバい状態になるとストレスによって生じた悪い感情は自分自身でも制御できなくなるということを言いたいのです。

ここまでの話の中で、無駄(遣い)の悪い面と、良い面について考えてみました。悪い面はそのまま無駄であり、良い面は冗長性という理解もできるのではないかと思います。

コインの裏表

モノは言いような面もあると思いまして、無駄と冗長性は概念的には同じものを指しつつも、前提条件が変わることによって、時には無駄になったり、冗長性になったりするんじゃないかと思います。

無駄か冗長性を判断する中で、前提条件というものはとても重要です。
前提条件次第で、ウマ娘への課金は無駄にも冗長性にもなり得るからです。
お財布事情という前提条件において、ウマ娘への課金は無駄となりますが、ストレス解消という前提条件においてウマ娘への課金は冗長性となるのです。

↑癒し

無駄であることは、冗長性であることを否定する根拠にはなりません。
いくら、ウマ娘への課金が金銭的には無駄であっても、ストレス解消という前提条件において効果的であるならば、冗長性であるという視点を排除することはできません。

また、冗長性であることは、無駄であることを否定する論拠にはなりません。いくらウマ娘によってストレス解消の効果を発揮できていても、金銭的に無駄であるという事実は揺らぎません。

無駄冗長性とはコインの裏表であって、必ずしも対立する概念ではなく、むしろ並び立つ概念であると言えるのです。

無駄と冗長性の例

この無駄冗長性の考え方は、課金以外のケースにも適用できます。いくつか、例をご用意しました。

例➀ 紙の保険証

上の記事でもご紹介しましたが、紙の保険証を廃止してマイナンバーカードに一本化すべきという議論が存在します。

この場で詳細については言及を避けますが、紙の保険証には様々な問題点が存在しており無駄が多いので、これを廃止しようと考える方がいわゆる賛成派であり、紙の保険証には問題が存在がするとしても、冗長性を持たせるために性急に廃止するべきではないと考えるのがいわゆる反対派です。

この議論においても、片や無駄と考え、片や冗長性と考えているわけです。
前者はデジタルという前提条件で考えた時の無駄を重視しており、後者は紙の保険証といういわばアナログ的な前提条件から考えた時に、保険証は冗長性であるとしているわけです。

②大阪の二重行政

大阪において、大阪市と大阪府の二重行政に関して議論がなされることがあります。

この場で詳細については言及を避けますが、大阪の二重行政には様々な問題点が存在しており無駄が多いので、これを廃止しようと考える方がいわゆる賛成派であり、二重行政には問題が存在がするとしても、冗長性を持たせるために二重行政を解消するべきではないと考えるのがいわゆる反対派です。

この議論においても、片や無駄と考え、片や冗長性と考えているわけです。
前者は効率という前提条件で考えた時の無駄を重視しており、後者は行政としての遊びの部分も必要であるという前提条件から考えた時に、二重行政は冗長性であるとしているわけです。

さて、上述以外にも様々な例がありますが、結局書くことは同じです。異なる前提条件から見た時に、同じ概念は無駄にも冗長性にもなり得るということに尽きます。これ以降の例の列挙は無駄と思いますので、紹介は割愛したいと思います。

箇条書きにします

とは言え、例自体は示したいので、前提によっては無駄にも冗長性にもなると考えられるものについて、箇条書きで書いていきます。

・立憲民主党や共産党などのオールド野党
純粋な政策議論という前提条件においては無駄、行政監視という前提条件においては冗長性

・政党内の非主流派
政党内の速やかな意思決定という前提条件においては無駄、いざと言う時のプランBという前提条件においては冗長性

・国会議員の多さ
仕事をしない国会議員は好ましくないという前提条件においては無駄、より幅広く細やかに民意を集約するという前提条件においては冗長性

ざっと思い付く範囲ではこんな感じです。
視点によっては無駄でもあり、視点によっては冗長性にもなるということがやはり全てなのではないかと思います。

自分自身は無駄と考えていても、その無駄こそが冗長性であると考える人もいるということですし、自分自身は冗長性と考えていても、その冗長性こそが無駄であると考える人がいるということでもあります。

筆者の私見

私個人の考え方をすれば、私はすぐに物事を無駄と決めつけるのではなく、冗長性としての側面も考えていきたいと思っています。

確かに、世の中には感覚的に無駄だと感じるものはとても多いのですが、別の前提条件から考えた時、その無駄冗長性として機能している場合もありうるわけですから、無駄を排除したその先に、大事なものが失われてしまうということに危険性が存在すると考えているのです。

本当に無駄なのか?

確かに、無駄を取り除いた方が豊かな社会や生活が生まれる面もあるのかもしれませんが、冗長性としての側面を検証しないままになんでもかんでも無駄として取り除いてしまえば、今は大丈夫でも、将来的には「あれは必要だったんだな」と思うこともあるかもしれません。

その時になって作り直そうとしても、一度壊したものを作り直すのは容易ではないですし、それこそ、無駄なコストが生じる場合もあると思います。

無駄を取り除くときには、冗長性の側面も考えたうえで、本当に削ってよいものなのかという議論を深める必要があるのではないかと思います。
ラディカルに、無駄を除けば社会や生活が豊かになるという考えを持つことの危うさに警鐘を鳴らしたいと考えましたので、記事を書かせていただきました。

面白いと思ってくださった方は、高評価や記事の拡散をよろしくお願いします。
以上、「無駄と冗長性の違いとは?」でした。ありがとうございました!


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