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#参政党現象

こんにちは、やりたいことが多すぎる渡邉坊です。

今回は、最近注目を集める「参政党」を通して、日本の民主主義のその先を考えてまいりたいと思います。

当初は、参政党については全く関心がなかったのですが、
参院選が公示されたということもあり、
その名前をTL上で見る機会が多くなってきました。

#参政党現象  なるハッシュタグがトレンド入りするなど、
その注目度の高さが伺えます。

党員数5万人


まず、私が最初に気になったのは、党員数五万人を達成したという情報です。

参政党の生い立ちや、党員数の詳細については、
この記事が詳しいですが、
この党員数五万人を達成したという情報に、
私は驚愕しました。

その数の凄さは、既成政党を見てみれば一目瞭然。
野党第一党である立憲民主党の党員数(協力党員含む)は、
昨年の12月時点で10万人程度。

国民民主党の党員数が、昨年10月時点で5万人程度と、参政党の党員数5万という規模は、主要野党に引けを取らないものであって、その存在感に度肝を抜かれました。

革新的な民主システム

なぜ、国会に議席も持たない、新興政党に過ぎない参政党が、ここまでの党員数を獲得できるのか?
その裏には、参政党が持つ画期的な民主制度にあると思います。

参政党に参加する | 参政党 (sanseito.jp) から

参政党には、さまざまな種類の党員が存在していますが、
フルスペックに特典がある運営党員ともなると、
党内の政策会議で決定した政策立案における投票権や、公認出馬議員の党内予備選挙における投票権など、直接的に党運営に関わることが可能であり、これまでの政党には見られないような、画期的なシステムであると認めざるを得ません。

こういった画期的なシステムが、政党を有権者自らが作り出すということをまさに体現しており、党員数が爆増する一因であるとも推察できます。

民主主義の理想形

有権者自ら、政党の運営に関わり、
自らの意思を通していくというその姿は、
まさに民主主義の理想形のように思えます。

民主主義の本義に乗って考えれば、この参政党のシステムは王道も王道であり、日頃から民主主義にうるさい私としても、認めざるを得ないものです。

既存政党も、党員を増やすキャンペーンなどを行ってはいるものの、
その成果は、正直なところ芳しくはなく、
参政党の飛ぶ鳥を落とす勢いを見た後だと、きわめて微温的なものであると感じざるを得ません。

既存政党が党員を増やすためのヒントが、参政党にあるものと考えます。
既存政党の所属議員、候補者や、党員や支持者としても、参政党から知見を得る必要があると感じます。

直接的な民主主義のその先を考える

ここまで、参政党のシステムの良い面や、
直接的な民主主義の意義について、説いてきましたが、
果たして本当に、そんなに良いことづくめなのでしょうか?

参政党のシステムの良い面は、直接的に民主主義に参加できる部分にあるかと思います。これがまさに画期的な部分であり、既存政党の一歩先を行く部分とも言えます。

逆に言えば、間接的な民主主義に終始している既存政党は、一見遅れているようにも見えるわけですが、間接的な民主主義であるから悪いとか、直接的な民主主義であるから良いとか、そのように簡単に断言できるものなのでしょうか?

直接的な民主主義は、参加コストが高い?

民主主義の基本と言えば、主権在民。民衆自らが主体性を発揮し、
国家の運営を行っていくというのが理想形であります。
その一つの手法として直接的な民主主義を選ぶことには理があると考えます。

しかし当然、民衆には生活というものがあります。
仕事や、仕事のための勉強、家族や友人との人間関係など、
政治ばかりに集中する時間的な余裕もなければ、肉体的な余裕もないものと思います。

政治に抵抗がない方であったりとか、政策を考えるのが好きという方にしてみれば、直接的に政治に関われる仕組みがある政党は、まさに理想郷とも言えますが、そうでない人からしてみれば、負担面の方が大きく、かつ、積極的に参加する人の意見ばかりが通るので、自らの意見が通っているという実感を持ちにくい面もあるかと思います。

間接的な民主主義は、参加コストが低い?

それに対して、間接的な民主制度というのは、
直接的に声を届けるという面では弱いものの、
参加のしやすさは優れています。

日頃は生活で忙しい方でも、
政策についての勉強などをそこまでせずとも、
ついていくことが可能です。

直接的には、職業的に政治家を務めている専門家が、
政策の立案やら、官僚との交渉など、
担ってくれるわけです。

そこに対して間接的に介入できるのが、間接的な民主主義の強みです。
この政治家は、統治者として相応しいのか、不適格なのか。
政治に対する細かな知見がなくとも、その判断を下す役割を担うことができるわけです。

民衆は統治のスペシャリストか?


君主政体を擁護したフランスの哲学者「モンテスキュー」

そもそも、いくら国民感覚が必要だとしても、
国民自身に統治能力があるとは限りません。

「餅は餅屋」ということわざもありますが、
専門的なことは、専門的に政治家を務めている政治家に委任するほうが、
生活への負担も少なく、かつ的確な判断を下すことができる場合もあります。

あくまでも、民衆の感覚や知見は民主政治には不可欠ではありますが、統治であったり、政策立案であったといった、個別具体的な部分にまで民衆が介入し、うまくいくかは別問題です。
少なくとも、私は理想郷であるとは思いません。

政治参加のコストが高いということは、結局は一部の政治に集中できる国民の意見が通りやすいということでもありますし、国民広範の利益につながるとも断定はできません。直接的な民主主義という着想自体は面白いと思いますが、間接的な民主主義がこれまで主流であったことにも、それなりに背景はあるものと考えます。

少なくとも、直接的な民主主義を体現すれば、理想の政治が実現できるというものでもないと考えます。

しかしやはり、理想としては「面白い」

後半では、打って変わって直接的な民主主義の悪面と、間接的な民主主義の良い面を考えてみましたが、これをもって、直接的な民主主義の全てを否定したいというものでもありません。

実際、現状の我が国においては、国民の声が届きにくい現状にはあり、それが結果として日本の停滞に寄与している面はあると思います。

既成政党も、間接的な民主主義を維持する面は大であり、このままであると、あらゆる国民の声が反映される政治の実現は難しいとも思います。

ですから、直接的な民主主義という視点から、国民の介入できる部分を増していくということは、必要なのだと考えますが、いきなりそれを実現しようとしても、上手くは行かないものと思います。

間接民主主義の枠内で、民権の拡大を進める

ですから、参政党のような、直接的な民主主義をそのまま実現するのではなくて、
あくまではゆくゆくは目指す目標として、参政党の視点を用いていくことが重要であると考えます。

間接的な民主主義には、そうなっている経緯ももちろんあるわけですから、その面をいきなりすべて崩すのではなくて、党の代表選挙における党員票の比重を徐々に強めていくなど、漸進的に、民主主義を進歩させていく方が、私は現実に即していると考えます。

急進的に、直接民主主義を進めても、民衆の統治能力や余裕に向上が見られない以上は、その反動も多いと考えます。
あくまでも、緩やかに、有権者の政治決定における権限の強さを高めていくことが肝要であると思います。

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