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「まだ若いんだから」と言われなくなる前に

時間の流れと共に、
徐々に焦りが込み上げてくる。

こうしている間にも
まだ見ぬ明日に近づいているのだ。

時間は僕らを待ってはくれない。


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「若いなあ」


最初にこの言葉がかけられたのは大学に入学した直後だった気がする。

地域の社会人で構成されている人狼サークルをTwitterで見つけ、アポ無しで飛び込んだとき。

初めて、
「○○中学校出身」や「○○高校野球部」という肩書きなしに「ただ人狼が好きな人」として
「1人の人間」として飛び込んだ。

当時の人狼経験は高校の部活内で流行ったくらいで、

「真」だの「黒」だの「白っぽい」だの。
「あの立ち回りは人狼じゃなくて狂人だ」など。

用語もセオリーもロジックも全然知らなかった。
ちなみにロジックは今でも怪しいけど。


それでも楽しいと思えたのは周りの「大人」たちが僕を「最年少のおぼっちゃま」として可愛がってくれたからだった。

話を振ってくれたり、上級者人狼でありがちなバッチバチの「ロジハラ」から守ってくれたり。

何も出来なくても「若い」という価値だけで、受け入れてくれた。その空間は心地よかった。

特に優しかった人に
どうしたら人狼が上手くなるんですか?
と聞いてみたところ

「私も最初は出来なかったけど、何回もやっているうちにできるようになったよ!」と教えてもらえた。

だけど、それから人狼会には1度も行かなかった。
特に理由はないけど。

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人狼会には行かなくなっても、社会と関わる経験はほんの少しだけあった。

アルバイト、農業、ボドゲ会、旅、ボランティアなど。


どこに行っても大体の人は良くしてくれた。

「19歳?息子と同じくらいだ!」
「20歳なんだ!若いねぇ~」


「学校」という組織で埋もれている自分を。
まだ社会を知らない自分を。

何者でなくても、実力がなくても、
「まだ若いんだから」という理由で、世間は肯定してくれる。


だけど、ふと思ってしまう。


"遠くない未来、若いと言われない年齢になったら?"

"自分は次の世代に「若いなあ」とある種の余裕と優しさを持って接することができるだろうか?"


現に実力ある同世代は既に

「○○がいると盛り上がる」「○○ができてすごい」など

若い以外の評価を得ているし、

常に最年少だった先々でも年下が増えてきている。


"自分は何を持っていて、何を与えられるのだろう"


もちろん、輝いている同世代は自分の才能を正しく理解して生かした結果、あるいは何度挫折しても諦めず挑戦し続けた結果が今の成果に繋がっている。

本当は分かっている。

実力だって、成果だって、人狼だってやることは同じなのだ。
やらなきゃいけないことは何だって、いつだって努力と継続と工夫だと。

分かってはいるはずなのに、
120%のフルスロットルで頑張りきれないような。
そんな自分が嫌いだ。


別に何者かになりたいわけじゃない。

最低限、自分の価値を自分で見出せるようになりたいのだ。


"若さを失った未来の自分に何を残してあげられるだろう"
"どうすれば今の自分に感謝できる日が来るのだろう"

葛藤を抱えつつ1日が終わる。

今日も夜明けがやってくる。「若さがなくなる日」に向かって。



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