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【東日本大震災から10年】移住者の私が気仙沼の高校生に気づかされた 3.11による奇跡と違和感

新卒無職ボランティアがどうせ納税するならと「移住」

10年前の春、ちょうど大学卒業のタイミングだった私は気仙沼の唐桑半島に飛び込みました。兵庫県出身で、東北には縁もゆかりもありません。早稲田大学在学中に中国でハンセン病回復者が今なお隔離されている村を回っていた私は、その原体験から「今私が現場に行かねば」という「勘違い使命感」を発症、内定先の会社へ勤めることを辞退します。学生時代の仲間の支えが、この新卒無職ボランティアという無謀な被災地入りを可能にしました。

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(唐桑半島の舞根1区 通称 浦。左が筆者)

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(被災家屋の片付けから体育館の物資の整理、家庭教師まで。なんでも屋さんでした)

滞在が数ヶ月に渡ると、自然とボランティアと被災者をマッチングするコーディネート業務が主になっていきます。毎日、電話でニーズをかき集め、地元の人との信頼関係も徐々にできていきます。こうなると気仙沼の沼にハマります。9月にはだいたい瓦礫の片付けが済んだのですが、自分にまだやれることがある、と年の瀬になっても、年が明けても東京に戻りませんでした。被災地としてではなく、そもそも気仙沼が抱えていた課題と魅力に気づき始めたからです。

12年春、中野区からの納税の催促が嫌になって、どうせ納めるなら気仙沼市に、と思い住民票を移します。「えぇ!いいのぉ?」唐桑総合支所の窓口のおばちゃんにそう驚かれたのをよく覚えています。のちに地方創生が始まり、これが「移住」と呼ばれるようになる訳ですが、当時はそんなこと知りません。もう1年も居候してるし、ちゃんと納税します、くらいの感覚です。

被災する前から“いなか”はオワコンだったのか

課題と魅力とは。そもそも被災する数十年前から右肩下がりのまちの実情。どういう算段で将来を見て見ぬ振りをしているのかと思うくらい急激な少子化。「子どもがいないんじゃこのまちに未来なんてないでしょう。ヤバいという自覚はあるんですか」酒の席でまちの話になり、20そこそこの小僧が地元のおっちゃんに突っかかって、こっぴどく叱られたこともあります。「お前にエラそうに言われる筋合いはない」と。そりゃそうだ。そんなとき小僧は決まってぽろぽろ悔し泣きするのでした。

一方、この唐桑半島という当時7,000人のまちにとてつもないポテンシャルを感じていました。海にたくさん殺されて、でも縄文時代から生かしてくれているのは海で、憎くて仕方ないんだけど、今さら憎めないと涙を流す。「板子一枚 下地獄(いたごいちまい したじごく)」だと表現される海の仕事。「このまちの人間はな、漁師でねくても漁師なんだ」居候させてもらっていた馬場康彦さんはそう嬉しそうに教えてくれます。この人たちは命がけで海と共存して、栄えてきた。「本当の豊かさとは何か?」をこの人たちは知っているのかもしれない、そう思いました。私たちは物心ついたときから「失われた30年」で、お金=豊かさなのか疑問を持つ世代ですから。

ここのくらしや哲学には次世代の豊かさのヒントがある。たった半世紀ほどのグローバルな資本主義で三陸の漁村が浮き沈みした挙句、東日本大震災でトドメを刺され、50年後消滅したとしたら、それは100年後、後悔してもしきれないくらい日本全体いやアジアにとって大きな損失になる。このくらしは消しちゃいけない。「勘違い使命感」はついにここまで至ります。

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(もこもこと森が海にせり出す唐桑半島から気仙沼大島を一望)

それは移住者である私のエゴでした

そして2021年、滞在期間はついに10年を数えます。現在は妻と2人の子どもと半島の空き家を借りてくらしています。ボランティアを卒業して起業、事業内容もようやく固まってきました。まちの持続可能性を追いかけた結果、中高生向けの教育事業に至ったのです。その過程には大きな反省がありました。

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(地元の中学生と漁師体験)

この地域が100年続くためには少なくともここの子どもたちには将来Uターンして定住してもらう必要がある、と教育事業に手をつけ始めたのですが、中高生の顔と名前が一致していくうちに、それは彼らの可能性を縛っているだけじゃないかと違和感を覚えます。「集落は夢を諦めさせる装置だって言われてる」「それは移住者であるあなたのエゴでしかない」そんな言葉を先輩からかけられ、ハッとします。なんと。使命感はエゴと化して、それを次世代の子どもたちに押し付けていたとは。猛省しました。

中高生にとっての価値とは何でしょう?自分はこれから何者にでもなれるんだという「わくわく」を共有しよう。地域ぐるみで彼らの背中を押してあげよう。彼らの未来の選択肢が増えていく、そのために集落を「夢を広げる装置」にアップデートしていこう。それが結果的に地域の持続性にも寄与すると信じよう。地域の持続性が目的じゃない。地域づくりから人づくりへ、目的と手段ががらりとひっくり返ったのです。

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気仙沼のすっぴん?現役高校生にこの10年を聞いてみた

東日本大震災から10年の節目に、気仙沼の高校生たちと5分46秒の動画をつくりました。現在18歳の彼らは10年前、8歳。ぎりぎり震災の記憶が鮮明な最後の世代であり、港町のまちなみが原風景として心の中にありつつも、もう震災前の記憶がない最初の世代です。

10年前の日常はよく覚えていないけど、3.11当日のことはやたらありありと目に浮かぶ。そして被災地というアイデンティティを持つまちで人格を形成してきた。そんな最初で最後の「復興ネイティブ」の彼らは、気仙沼の10年をどう評価するんだろう。そんな彼らは、次の10年をどう眺めているんだろう。それこそ何のバイアスもかかっていない「気仙沼の復興10年のすっぴん」じゃない?

こうして始まったのがインタビュー企画「8歳の震災、18歳の未来」でした。そしたら案の定、気づきがたくさんあって。それは、東日本大震災からの復興がもたらした奇跡と違和感です。人づくりと地域づくり、両方にとって大切な気づきでしたので、被災地であろうがなかろうが人づくり×地域づくりに取り組んでいる方は参考にしてください。

なお、今回とてもアクティブな高校生6人に声をかけました。彼らは、ひとり一つテーマを持って高校で探究学習に取り組み、放課後や休日はそのテーマに沿って地域へ飛び出しプロジェクトを企画、地域の人たちを巻き込みながら実践してきた稀な人たちです。

若くてバカな移住者と大学生はとにかく中高生と引き合わせた方がいい

高3のしょうたろうは言います。「よそから来て地元のために動いてくれてるたくまさんたち世代の移住者に、ぼくらめちゃくちゃ影響受けてますよ」高2のあいなは言います。「将来は、たくまさんやなるさん、あすかさん(3人とも震災後の移住者)みたいな人になりたいです」嬉しいなぁ、エモいなぁ、と浸っている場合ではありません。どうやらお世辞ではなさそうなので、なんでこんなことが起きている?どうやったら再現性を持たせられる?を考えます。

まちづくりに必要な3つの「もの」=「よそもの・わかもの・ばかもの」という言葉があります。地元のしがらみにとらわれないよそもの、次の世代を担うわかもの、愚直に突き進むことのできるばかもの、です。私も被災直後の気仙沼で活動を続ける中で心が折れそうなときは「自分は3つのものを全部満たしているから大丈夫」と鼓舞したものです。

まちづくりに必要な3つの「もの」
・地元のしがらみにとらわれない「よそもの」
・次の世代を担う「わかもの」
・愚直に突き進むことのできる「ばかもの」

そしてこの3つは、地元の中高生にも好影響を与えていた、ということが分かりました。「外界を知ってる」「ちょっと年上の」「親しみやすく熱い」お兄さんお姉さんです。縦の関係=親や先生でも、横の関係=友人でもない「ナナメの関係」という言葉もありますね。教育長が私をコーディネーターとして登用した理由について、激励も込めてこんな風に言います。「出会った当初、あなたは教育のプロではなかった、でもお兄さんのプロであった」素直に喜んでいいのか、なんとも言えない感情で頭をかきました。

好影響とは何でしょう?「感染」と「嫉妬」です。よそもの・わかもの・ばかものは背負うものが皆無で、瞬間瞬間の自分の意志で楽しそうに活動していますので、それは中高生に感染します。さらに、今回のインタビューに出てきませんが、OGであり大学1年生のゆきはよく言います。「悔しい!って最初思いました。私はこの人たちより長く地元に住んできたのに、なんでこの人たちの方が地元のこと知ってるんだろう」よそもの・わかもの・ばかものが楽しそうに地元で戯れていると、なんだか損してる気分に襲われるんですね。「地元にはなんもねぇ」と文句ばっか言ってる中高生にこそ効果ありです。これも大切な感情です。

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結論、若くて熱量が高くいい意味でバカな移住者があなたのまちに来ていたら、地元の中高生と引き合わせてください。気仙沼のように大学がないまちだったら、外から訪れた大学生でもOKです。よし、自分も何か動いてみよう!と中高生に火がつくのです。そこから探究が始まります。東日本大震災はよももの・わかもの・ばかものを三陸地域に大量に連れてきました。それが1つ目の奇跡です。

気仙沼では、震災直後まちづくりのために立ち上がった高校生がたくさんいました。彼ら彼女らは傷ついた地元を見て、私たちもなんとかせねばという「使命感」を燃料に走り出しました。10年経った今は、なんか楽しそうなことをやりたい、自分をもっと表現したいという「わくわく」を燃料に突き進む高校生が多いように感じます。このシフトチェンジがこの奇跡を物語っています。

【3.11復興が生み落とした奇跡 その1】
よそもの・わかもの・ばかものが大量に流入、中高生とナナメの関係を築いた結果、10年経った今の中高生=復興ネイティブのアクションが加速。

まるで戦後復興?明治維新?未来をつくってる感を中高生と共有した方がいい

高3ののりは言います。「震災前をあまり知らないんですけど…気仙沼は震災前より豊かになってると思います」同じく高3のゆりあも言います。「震災前は記憶があいまいで正直比較できないんですが、震災前より絶対盛り上がってる」

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なんでそう思うんでしょう?しょうたろうは予想します。「震災当時が一番古い記憶だから、もう上がるしかないんじゃないですかね」なるほど、私たち大人にとっては墜ちた谷底から這い上がるための坂道=復興かもしれないが、谷底がデフォルト(初期状態)の彼らにとってみれば空に向かって登っていく山道=復興なのかもしれない。

それを聞いて、焼け野原から立ち上がる戦後の日本が想起されました。「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界観です。あるいは明治の初期。司馬遼太郎「坂の上の雲」の一節を思い出しました。「この時代の明るさは、こういう楽天主義(オプティミズム)から来ている」。不思議なもので、この10年、人口は1万人以上減り、高齢化率もぐんぐん上がったのに、彼らにはそういう悲壮感は伝わっていないのです。それに勝る「未来をつくってる感」を感じとっていました。

先日「ソトコト」編集長の指出一正さんの講話をオンラインで拝聴したのですが、「関係人口を理解するソーシャルな視点」として以下の3要素を挙げてました。

1.関係案内所
2.未来をつくっている手応え
3.「自分ごと」として楽しい

まさに、です。この3つは何も関係人口を育てるだけでなく、中高生の地域における探究心を育てるためにも必須の3条件だと感じました。

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震災10年で取り上げてほしいトピックは「私たち高校生」

この頼もしい楽天家たちに聞いてみたいことがありました。東日本大震災から10年、マスメディアがたくさん気仙沼を取り上げてくれると思うけど、いま気仙沼の何を取り上げてほしい?すると、6人中4人がこう答えたのです。

「私たち高校生」

正直、驚きました。震災のとき幼かった私たち高校生が地元でチャレンジを起こしていることこそ、取り上げてほしい気仙沼の一面だと。この高校生の自信、自己有用感は、本人にとっても地域にとっても財産です。「今、私たちが熱いんだ」という熱量は、未来を切り拓いていくために不可欠です。

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【3.11復興が生み落とした奇跡 その2】
瓦礫だらけのマイナスからの復興が「未来をつくってる感」をまとい、結果
10年経った今の中高生=復興ネイティブの自己有用感が増幅。

内向きになり始めるとそれはそれで黄色信号

これから10年はどうする?将来は?と聞くと6人中3人がこう答えました。

「将来は必ず気仙沼に帰ってきます」

まちづくりに取り組みたい、市職員になりたい、劇団を創りたい。あとの3人も言います。「どんな形かは分からないが必ず関わり続けたい、恩返しをしたい」と。嬉しいなぁ、待ってるね、と浸っている場合ではありません。どうやらお世辞ではなさそうなのですが、だからこそ違和感が生まれます。17、18歳の段階で、早々と将来を小さくまとめなくてもいいんじゃない?と思ってしまうのです。前半で既述のとおり「何者にでもなれるんだというわくわく感」を膨らませてほしいのです。せっかく情熱と能力があるのであれば、私はグローバルに活躍したい!という野望を持ってほしいものです。これも一周回って私の押し付けですが。

この10年あまりにも大人たちが一生懸命あるいは楽しそうに未来をつくっているもんだから、復興のプロセスは実は中高生のビジョンを内向的にしてしまっていないだろうか。弊害とは言わないけれど、違和感として記録しておきます。長期的に見れば、排他的なコミュニティになる危険すらあります。

もうひとつの違和感はしょうたろうの言葉から生まれました。「学校でアンケートとったら、絶対帰ってくるって言う人と絶対帰ってきたくないって言う人にきれいに二分したんです。中間層はあまりいなかったです」もしかしたら、二極化しているかもしれない、そう感じました。今回は地元気仙沼にポジティブな6人の話を聞きました。想像以上にまちに対して、自分たち自身に対してポジティブでした。でもその逆に、10年間の復興プロセスの中で嫌気が差してしまっている復興ネイティブ世代が同じだけいるのです。光が強くなれば陰も濃くなっている可能性があります。今後、話を聞いてみたい層です。

【3.11復興が生み落とした違和感】
地元で起こる動きが活発すぎて、
10年経った今の中高生=復興ネイティブが内向き志向になっているかも?その分、嫌気が差す層も生み出してるかも?

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